兄弟の覚醒
がばっ!!
寝ていた身体を勢いよく起こした。
いつもの習慣で、そのまま、寝台から降りようとして……、間にいる栞の存在に気付く。
兄貴もそうだったのだろう。
オレと同時に身体を起こしたのに、そこから動けなくなったのが分かった。
だが、その後は迷わない。
そのまま、その場で照明魔法と筆記具、紙を出して書き始める。
兄貴もほぼ同じような動きだった。
違いは取り出す順番か。
兄貴は筆記具と紙、その後に照明魔法だった。
現実に起きたことは忘れにくいが、栞の夢の中での会話は現実味がないためか、忘れやすい。
恐らく、その都度、記録していなければ、完全に忘れてしまうのだろう。
だから、多少不安定な場所ではあるが、動く間も惜しんでそのまま書き付けていく。
外で書くよりは、座っている場所が安定しているだけまだマシのようだが、文字の歪みが酷いとなんとなく意識の外で想った。
静かな空間に、オレと兄貴が記憶を掘り起こしながら紙に書く音と、栞の寝息が聞こえる。
彼女もオレたちと一緒に目覚めるかと思ったが、今回は違ったらしい。
あの世界から、栞が離れただけのようだ。
そして、薄くなっていった彼女の姿が完全に消えると同時に、オレたちも追い出されたということだろう。
栞が寝ているのは好都合だった。
書くことだけに集中できる。
忘れないように。
書き漏れることがないように。
まるで、いつかの栞のようだ。
あの時の彼女は、大神官とともに昔の記録を見せられたと聞いた。
自分の遠い先祖を含めた「救いの神子」ってヤツらを観たらしい。
そして、それから戻った直後、次々と絵を描き起こしていったのだ。
今のオレたちを栞が見たら、同じように思うだろうか?
まずは箇条書き。
内容を思い出せるだけ、その順番を気にせず書いていく。
印象的な単語や文章だけが書かれた、ただの言葉の羅列である。
次に注意すべき点。
特に忘れてはいけない部分を重点的に、表題のような骨組みに少しずつ肉付けしてく。
そして、加筆修正。
前後の繋がりを思い出しつつ、さらに厚みを持たせる。
ここで順番、時系列も入れ替えていく。
修正部分は、完全に消さない。
修正前の文章も分かるように二重線での訂正は基本だろう。
それに、その修正部分が後になって、貴重な情報に結び付くこともある。
最後に補足説明。
あの世界での話に、これまでに得た自分の知識を付け加えていく。
好きな女がすぐ右横に寝ていることも、今のオレには全く気にならなかった。
栞が落ち着いていることもあるかもしれない。
珍しく彼女に目を落とさず、書き連ねていく。
今、オレに目に映っているのは白い紙だけだ。
そして、その紙に見慣れた文字を次々と並べていくだけの作業をこなす。
一文字でも意味を持つ文字が、順番に並べることで様々な意味に姿を変え、さらに次の言葉を引き出していく。
日本語と言うのは本当に暗号のようで面白い。
オレたちは日本で過ごした時期が長いせいか、アルファベットよりも漢字や平仮名、片仮名の方になじみがあるのだ。
だから、報告書の下書き段階となると、どうしても日本語となりやすい。
そうして、一体、どれぐらい書き続けただろうか?
あの現実味の無い世界での会話を。
時間が経てば、ほとんど忘れてしまう夢の世界。
夢の中に入ることができる兄貴の方は、一体、どれだけ覚えていられるのだろうか?
オレはあの魔法が使えない。
契約自体はできたようなので、その資質がないわけではないのだろうけど、何度、挑戦しても他人の夢に入ることができないのだ。
使うたびに、かなり大量に魔法力を消費するだけである。
今回も、兄貴の魔法で栞の夢の中に入った。
兄貴がオレを連れて行くのは、単純に情報共有を円滑にするためという理由だけではない。
他者の夢の中では魔法が使えない。
身体強化すらできないのだ。
だから、魔法無しでも戦える味方は一人でも多い方が良い。
そんな理由である。
決して、優しさからでもない。
特に、今回の夢は、ヤツが入り込んでいる可能性が高かった。
それまでは、栞はこの世界にいるようでいないような状態だったためか、どこかの聖女のせいかは分からないが、兄貴も夢の中に入れなかったようだから。
あの紅い髪は、栞に延命させられた。
それも命懸けで。
そんな相手を無視できるほど捻じ曲がっていたら、栞は助けようと思っていない気がする。
だから、栞の夢に入れるようになれば、必ず、接触してくるだろうというのが夢に入る前の兄貴の見立てであった。
……いや、助けられて、寿命が延びたなら直接、会いに来いよ。
オレはそう思うが、来ることができない事情もあるのだろう。
だから、ヤツは夢の中に来るのだ。
それでも、相手に覚えてもらえない言動に何の意味がある?
残るのは、自己満足だ。
だが、その自己満足でも良いという気持ちなら理解できなくもない。
だから、ヤツが来るなら、相応の心構えをしておこうと思った。
そんなオレの心構えも、予想外の光景を見せつけられて、吹っ飛んでしまったわけだが。
魔法が使えない世界なら、相当な徒手空拳の実力があるか、武器でも持ち込まない限り、多対一はきつくなる。
……そうなると、以前、栞の夢で会ったあのオレを生んだという女は、素手でオレたち二人と渡り合える自信があったってことか?
それはそれで見てみたかった気がする。
考えてみれば、あの母親は正神女だったらしいのだ。
男社会でもある神官たちの中で、そこまで上がるのは相当な実力があるってことだろう。
……思考がかなり逸れだした。
集中力が欠けてきたらしい。
兄貴の方はまだだ。
筆記具を動かしながらも、次々に紙を捲っていく。
その姿はまるで、鬼気迫ると言った感じだった。
オレよりも情報がある分、思考する時間も長いはずなのに、それを感じさせない。
よく見ると、書き終わった紙はどこかに送られている。
オレのように寝台に書き散らしていない。
栞には掛かっていないが、自分の周囲や膝などの下半身にはオレが書いた紙が広がっていた。
「お前は、書き終わったのか?」
書き続ける手を止めないまま、兄貴が声を掛けてきた。
「おお、覚えている範囲で大体は書き終えた。兄貴はどこに送っているんだ?」
「文字を乾かすため、別室に送っている。主人が休む寝台を汚したくはないからな」
さり気なく嫌味を言われた。
主人にかかっていないから別に良いじゃねえか。
「乾いたらとっとと片付けろ。主人を汚すな」
「人聞きが悪いことを言うな」
栞の上には重ねていない。
彼女が纏っている寝具にも。
本当に無駄に広い寝台である。
だから、オレは栞の真横にいながらも、別の方向に身体を向けて記録を書いていた。
兄貴もそうだった。
本来、寝台の上で女を間に挟んで過ごすなんて、少年漫画や年齢指定の動画でしかありえないような状況であるが、今のオレたちを見て、そんな色気のあるようには見えないだろう。
そして、書くために出した照明魔法は栞の顔を照らさないようにしている。
この照明魔法も、いつもよりも光を弱めていた。
栞が少しでもゆっくりと休めるように。
夢の中であった栞の胸元には、黒い穴が空いていた。
服の上からでも分かるほど大きな穴が。
今の栞にはそんな穴は当然ながら開いていない。
夢の中の栞が単純に思念体なのか、魂の姿なのか、魔力の固まりなのか、それ以外のものなのか、さっぱり分からないが、少なくとも、どこかに異常があることは分かる。
その回復のためにオレたちがここにいる。
本当ならば、許されない。
オレたちは異性なのだから。
だが、同時に役得だと思ってしまう浅ましい心もある。
何かあるわけでもない。
傍にいるだけだ。
だが、姿を偽ることなく、誰の目を気にすることもなく、ただ傍にいることが許されているのは、本当に幸せなことだと、ローダンセに行ってから何度もそう思うようになった。
その辺り、兄貴はどう思っているのだろうか?
聞いても、本当のことは答えてくれないだろうけど。
栞のことを気に入っているのは間違いない。
主人としてだけでなく、女としても。
だが、昔の……、具体的には千歳さんの時と比べると、やはり、執着度合いが全然、足りない気がしている。
あの時のような熱は感じないのだ。
それだけ隠すことが上手くなっただけなのかもしれないが。
「視線が鬱陶しい」
「おお」
どうやら、兄貴の集中力も欠け始めたようだ。
オレの視線なんて、今更の話だろうに。
ずっと……。
そうずっと、オレは兄貴を見てきたのだから。
少しはその背に追い付けたか?
そう思った瞬間、容赦なくダッシュしてまた引き離される。
それを一体、何年繰り返してきたことか。
兄弟と言うのは本当に面倒だ。
本当の意味で縁を切ることができない。
縁を切ろうと連絡を断ったところで、互いの身体に流れている血筋を絶つことなんかできるはずがないのだ。
それならば、お互いに利用し合う関係でいる方が、まだ建設的と言えるだろう。
尤も、その関係も、栞がいるからこそ成り立っているのだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




