各々の御礼
BLに見えなくもない表現があります。
だが、愛はない。
「およ?」
周囲の景色が薄れ始めた。
違った。
わたしの姿が薄れ始めた。
どうやら、お別れの時間らしい。
『思ったよりも長かったな』
「そうだね。こんな風に穴が空いていたから短いと思っていたのだけど」
わたしは自分の胸元を撫でる。
感触はない。
この黒い穴に触れても、やはり痛みどころか何の感覚もないのだ。
「おお、不気味」
指どころか、拳が収まった。
だが、腕の構造上、手首までしか入らないようだ。
『『心臓に悪いことをするな』』
紅い髪の青年と護衛弟の声が重なる。
「消えかかっているから良いかなと思って……」
それに紅い髪の青年は、この身体を貫いているのに。
『良くねえ』
そう言って、わたしの手を取ったのは、紅い髪の青年だった。
だが、その握られた感触すらない。
その温かさも握る強さも分からない。
それが、今は淋しく思えた。
ここから離れたら、この青年と会う機会は恐らくない気がする。
いや、意外にもまたこの世界を通じて遊びに来るかな?
でも、現実の高田栞はそれを知らない。
現実でも、また会える?
その言葉を口にしないことしか、わたしにはできなかった。
この紅い髪の青年が求めているのは高田栞なのだから。
だが、彼は……。
『栞……』
消えかかっているわたしのことをそう呼んだ。
違う物だって分かっているはずなのに。
『愛してるぞ』
そう言いながら、顔を近づけて……。
『させるかよ』
わたしの頬に向かったその顔は、護衛弟の手によって阻まれる。
だけど、紅い髪の青年はそれを見て、ニヤリと笑ったかと思うと……。
『かかったな』
そう口にして……、護衛弟の手を引くと、その頬に口付けた。
「へ?」
『うがっ!?』
慌てて、わたしを腕に抱き込みながら、その場を離れる護衛弟。
主人をその場に残さないのが偉いと思う。
焦りながらも回収をしてくれた。
だが、わたしの方は、目の前の光景が焼き付いている。
えっと紅い髪の青年が、黒髪の護衛弟の頬に口付けた?
『油断大敵だな』
そう言いながら、紅い髪の青年は笑う。
だが……。
「『あ……』」
わたしと護衛弟の声が重なる。
恐らく、わたしたちは同じモノを見ている。
紅い髪の青年の背後に忍び寄ったモノが……。
『同感だな』
そう言いながら、先ほどの彼と全く同じ行動をとった光景を。
『ぐっ!?』
流石に予想外だったのか、紅い髪の青年も慌てたようにその場から後退り……。
『気配がないってのは、厄介だな』
自分の頬を擦りながら、そんなことを口にする。
『キミへの御礼としては効果的だろう?』
そして、その当事者は涼しい顔をしながらそう言った。
仕掛け人だから動じないのは当然だろうけど、見ていたわたしの方が焦ってしまう。
『男の頬に口付けのどこが礼だ?』
『これは異なことを言う。先に、弟に対してセントポーリア式の礼をしたのはキミの方だろう?』
そう護衛兄が言うと、紅い髪の青年も押し黙る。
「セントポーリア式の礼?」
今もわたしの肩を抱いた状態の護衛弟に尋ねる。
『女には髪に。男には頬に。セントポーリアの最大の礼なんだ。但し、男から限定だな』
「あれって、頭じゃなく、髪だったのか」
以前、彼らからストレリチアで頭にキスされた覚えがあったが、あれは頭ではなく髪にしたらしい。
ストレリチアも髪に口付けるけど、あれは、髪の毛を手に取ってから口付けられるものだから、まだマシだろう。
短い髪だと至近距離になるけど、ストレリチアは長い髪の人が多いから問題はない。
しかし、セントポーリアの場合、男性同士は頬にキスとか……。
知らないモノからすれば、奇声ものである。
しかも、彼らの様子から頬にガッツリ唇が当たっているようだから、フリということでもない。
とりあえず、二種類の頬に口付けを何の予備知識もなく見せられたわたしの口から言えることは……。
「三角関係?」
「『違えっ!!』」
至近距離と離れた場所から同時にツッコミが入った。
「ラブラブフラッシュトライアングルアタック!?」
さらに続けた言葉には……。
『訳が分からん!!』
至近距離からはそう突っ込まれ……。
『それだと、真ん中にいるお前がお呪いを食らうことになるじゃねえか!!』
紅い髪の青年からはそんな驚くべき突っ込みが入った。
「え? この複合ネタについて来れるのは法力国家の王女殿下ぐらいだと思っていた」
正しくは法力国家の王女殿下が実際、人間界にいた頃、口にした台詞である。
『恋愛ゲームの好感度上昇する呪いの方は昔、妹がテレビ画面に向かって叫んでいた。トライアングルの方は、手強いシミュレーションRPGで天馬が三人集まれば、一度は使いたくなる』
しかも、出典もバッチリである。
しかし、この紅い髪の青年が言うその妹さんて……、あの子だよね?
護衛弟に好意を持っていた金髪の女性を思い出す。
彼女は人間界であの恋愛ゲームをしていたのか。
そうだったのか。
しかも叫ぶほど気合を入れていたのか。
早めに知っていれば、あの恋愛ゲームについて語り合えたかもしれない。
いや、知っていてもだめか。
高田栞は彼女に嫌われているっぽいから。
「あ……」
『お……?』
さらにわたしの輪郭が薄まった。
それはわたしの肩を抱いたままの護衛弟も気付いたようだ。
「ねえ、男性から女性が髪なら、女性から男性に対してはどうするの?」
その護衛弟に尋ねる。
わたしの意図が分かったのだろう。
護衛弟は、凄く、本当に凄く不服そうな顔で……。
『ヤツの――に―――――して来い』
小さな声でそう教えてくれた。
いや、本当にそれで正しいのか?
ちょっと信じがたい。
でも、この護衛弟はわたしに嘘は言わない。
だから、それを信じるしかないのだろう。
「分かった。ありがとう」
そう言いながら、護衛の腕から離れて、紅い髪の青年に近付く。
『なんだよ?』
少し警戒されているらしい。
心なしか、ややのけぞられた。
「もう薄くなったから、お別れしようと思って」
『なかなか殊勝な心掛けだな』
わたしの言葉に安心したのか、紅い髪の青年は少しその表情を和らげる。
全く違う顔なのに、それが遠すぎる過去と重なる。
でも、そこは指摘しない。
高田栞は知らないままなのだから。
「後ろ向いて」
『あ?』
そう言いながらも、素直に背中を向けてくれた。
どうやら、これからわたしが何をするのか、分かってくれたらしい。
だからわたしは遠慮なく……。
「これまで、ありがとう!!」
力を込めて、その背に向かって額を打ち付ける。
『がっ!?』
あれ?
大体、来るって分かっていたのだと思うけど……?
『お前はどう教えたのだ? あれは多分、セントポーリア式の礼……だよな?』
『男の背中に女の額を当てているだろ? 何も間違ってないぞ?』
少し離れたところでいつの間にか一緒にいる護衛兄弟の声が耳に届く。
だが、待って?
わたしが聞いた言葉と微妙に違う気がするよ?
―――― ヤツの背中にヘディングして来い
そう言われたから、勢いよくその黒い背中に額を打ち付けたのに。
『俺はもう少し情緒的な別れを期待したのだが。あんなに激しく額を打ち付けられては、もはや頭突きではないか』
『額は当てているから問題ないだろ? それにもうかなり薄れているから、威力はないだろうし、威力があっても、ヤツが栞からの礼を背中に刻み込んだだけだ』
嘘ではないが、嵌められたことはよく分かった。
わたしの護衛は時々、本当に酷い。
『つまりは、お前のせいか、駄犬?』
流石に紅い髪の青年から怒気が漂っている。
『分かりやすく、心は込められただろう? そして、オレも栞があそこまで勢いよく額を打ち付けることまで計算できると思うか?』
護衛弟はいけしゃあしゃあとそう言い放った。
『栞……、実際はなんと言われた? 一言一句違わず、俺に伝えろ』
「はい! 『ヤツの背中にヘディングして来い』と、そう言われました!!」
だから、わたしは悪くない!!
『お前、そこで変だなと疑わなかったのか? どこの世に礼で強打を選ぶ?』
「この世界なら、なんでもありかなと思いました!!」
だから、再度言おう。
わたしは悪くない。
悪いのは、分かっていてそんな伝え方をした護衛弟だ。
そして、同時にシオリはそんなことも教わらなかったんだろうなとも思う。
誰かに御礼を言う機会なんてほとんどなかったのだ。
女性から女性に対する御礼ならば知っている。
相手の額に自分の額を付けるのだ。
何度も母の友人からされたので、それは覚えている。
そして、それは、強打じゃなかったね。
……さらに言えば、護衛兄弟に向かって彼らの師が屈みこんで、その背中に額を軽く当てている図も見たことがあるような、ないような?
もしかして、アレがそうだった?
いやいやいや、高田栞の記憶には存在しませんからセーフですよね?
そして……。
『またな』
どこか呆れたような表情をした紅い髪の青年のそんな珍しい言葉が耳に届いたのを最後に……、わたしはその白い世界から消えたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




