魔獣の異常
『集団熱狂暴走の兆候が表れても、どの国も動かないというのは異常なんだ。だから、お前たちに確認した」
なるほど。
集団熱狂暴走という単語を知っているか? ではなく、集団熱狂暴走が起こりそうなことに気付いているか? という問いかけだったらしい。
だが、いずれにしても答えはノーだ。
わたしは集団熱狂暴走のことをよく知らなかったし、ウォルダンテ大陸でこれから発生しようとしていることも気付いていなかった。
「その兆候とやらは、誰にでも分かるものなの?」
『人の邪魔が入りにくい大気魔気が濃い場所で発生しやすいことが分かっているんだから、常に警戒しておくべきだろ?』
誰もがそんな用意周到だとは思わないでください。
「ウォルダンテ大陸は人の手が届かない場所も多いから、全ての監視は無理じゃない?」
用がなければ森の最深部に行こうなんて考えないし、険しい山に登ろうとは思わないだろう。
『集団熱狂暴走が発生すると、早ければ予測される半年ぐらい前から、その付近で魔獣の性質が変化を始める』
「へ? そんな前から状態異常を起こしているの?」
『状態異常と言うより、環境適応に近いかもしれん。具体的には力が強くなったり、見たこともない技を使い出したり、大きさも重さも激しく変化する。だが、何より、爆発的に繁殖するのが最大の特徴だ』
濃い大気魔気を取り込み過ぎて、体質が変わってしまうのだろうか?
ひたすら魔力を食べるようになるのだから、それ自体に驚きはないが、爆発的な繁殖の方は気になる。
つまりは、その分集団熱狂暴走の影響を受ける魔獣も増えると言うことでもあるのだから。
『二、三カ月ほど前になると、明らかにおかしいと感じるようになる。魔獣退治を専門にしている奴ら以外……、魔獣から被害を受けやすい立場にある農村、集落に住む人間たちが変化に気付いて国に訴えだす時期だな』
―――― 生態系が変わっているって話は結構、城下で耳にしているんだよ
少し前、魔法国家の第二王女殿下がそんなことを口にしていた気がする。
城下では、既に「昔と比べて魔獣が強くなった」、「これまで通じていた魔法の効果がなくなった」、「これまで見たこともない魔獣が増えた」、「魔獣の性質が変わった」と、そんな噂があったらしい。
でも、それは二、三十年ぐらい前からの話だとも聞いていた。
いや、違う?
性質が変化した魔獣の一例が出てきたけど、それが二、三十年前から変わったってだけの話で、噂自体は最近のものだった気がする。
つまり、城下の人たちは変化に気付いていた。
でも、王族たちは何もしないってこと?
それがローダンセだけでなく、ウォルダンテ大陸内の他の国もそうらしい。
そうなると……?
『その二、三カ月の間で、異常が発覚しやすい場所が集中するようになる。尤も、もともと人が寄り付かない所が多いから、暇な国でもない限り、特定は容易ではない』
「暇な国……?」
『自国だけでなく、他国のことも気に掛けて入念に、執拗に、重箱の隅を楊枝でほじくるかのように隅々まで子細に調べ上げるなんて暇人の集まりとしか言いようがないだろう?』
はっきり言わないけれど、情報国家のことか。
そうなると、ウォルダンテ大陸のすたんぴ~どが発生しそうなことも調べて、既に場所の特定までしている可能性が高い。
この紅い髪の青年が知っていることだ。
あの金髪の王さまが知らないはずがないだろう。
『その間に場所が特定出来たら、王族や魔力の強いヤツらがその近隣の魔獣を根絶やしにすれば良い。そこら一帯から全く魔獣がいなくなっても、それは一時的なものだ。集団熱狂暴走の影響を受けた後に人間を襲われるよりはマシな措置でもある』
まだ何も害を成していない魔獣の命を奪うことに抵抗がある高田栞に言い聞かせていることがよく分かる言葉だ。
だが、先手を打つのは当然の話だと思う。
害があってからでは遅いのだ。
銃を握っている相手に何の対策もしないのは阿呆だし、抜身の刀を持ち歩いている人間を捕えるのもごく普通の話だ。
まだ何もしていなくても、武器になりそうなものを持ち歩いているだけで逮捕される銃砲刀剣類所持等取締法違反というのは、何かが起こる前に対処するための法律だ。
人間界にいた時、中学教師が、筆箱にカッターを入れて持ち歩いていたら、警官に職質されてそれが見つかった時に、教師であることを必死で弁明したと笑い話にしていたが、そこまで徹底して、起こるかもしれない事件を未然に防がなければならないということでもある。
その辺り、高田栞も分かっている。
守るべきもの、優先すべき考え方を見誤るようなことはしない。
呆れるほど、自分本位な高田栞が最優先するのは、身近にいる大事な人間たちだ。
身内と判断した相手のために、見知らぬ他人を切り捨てるぐらいの判断はする。
勿論、全く平気ではないのだろうけど。
だから、人間ではないモノ、魔獣と呼ばれるモノならば、もっと割り切るだろう。
何故か、周囲は高田栞のことを虫も殺せない人間と見るようだが、本当にそんな人間だったなら、大量の虫を、それもまだ害を与えたわけでもないモノを、容赦なく一気に殲滅する手段など選ぶはずがないのだ。
『それに、魔獣たちを相手にする過程で、その周辺の不安定な大気魔気も調整できる。だから、集団熱狂暴走の兆候時点で王族が出向くことは、一般的には理に適っているのだ』
「なるほど」
すたんぴ~ど発生の原因の一つでもある大気魔気の調整と、その結果となる魔獣の減殺が同時に行えるなら、合理的と言えるだろう。
『その段階なら、性質は変わっていても、魔獣は狂っていないため脅威を感じるほどでもない。万一、殲滅できなくても、数は減らせたのだから集団熱狂暴走が発生しても、小規模に抑えられる』
「それだけ聞くと、良いこと尽くめだね」
それでも魔獣は変化しているし、通常よりも数が多くなっているのだから、退治も容易ではないのだろう。
『つまり、集団熱狂暴走は、抑止できないが、抑制できる自然災害と言えば理解できるか?』
「合点!」
わたしはそう言いながら手を叩くと……。
『どこの生活情報番組だ?』
呆れたような目を向けられた。
それを知っていることに驚くけど、人間界に行っていたなら、知っていてもおかしくはないのか。
同年代だしね。
「『おっと合点承知の助』の方が良かった?」
『いつの時代の人間だ?』
「言葉的には江戸かな?」
わたしも時代劇でしか聞き覚えがない。
妙に語呂が良いけど、長いよね?
『そして、現在。集団熱狂暴走発生の約一月前だ。たらふく魔力を取り込んで、既に変質している魔獣どもが少しずつ状態異常を起こしながら、さらに魔力を食おうと群がってくる。この段階となると、王族でも退治は一苦労だ』
強さで言えば、普通の魔獣→魔力を取り込んで強化された魔獣→魔力を取り込み過ぎて狂化した魔獣→魔力が容量オーバーして手の施しようがなくなった魔獣……となるのだろうか?
「因みに、すたんぴ~どの兆候に気が付かず、その日を迎えてしまった事例もあるんだよね?」
最終的に海へ飛び込んでいくことが知られているなら、過去に、そんな事例があったということになる。
『規模にもよるが、滅んだ国もある』
「そんなに!?」
まさか、それほどだとは思わなかった。
統制されて進行してきた軍隊ではなく、ただお腹が空いて突撃してくるだけである。
そこには何の戦略もなく、いわば、数で押して突っ込んでくるだけの特攻隊みたいなものだ。
『五千万年前に起こった極端な人口衰退の主な原因は、各大陸で同時に起きた集団熱狂暴走だと言われている。人類が無知で魔獣を侮っていたから、その代償として多くの命が失われたそうだ。それが、一番、歴史的に大規模で代表的な集団熱狂暴走の例だな』
「五千万前……、人口衰退……」
人口衰退期と呼ばれた時代があったことは知っている。
どの大陸にも人類が大きく減少した時代。
だけど、まさか、その原因の一つが、魔獣たちのすたんぴ~どにあったことは知らなかった。
『その結果、成人して間もない7人の女どもに、人類の命運が託された。神の加護を享けていた女たちとはいえ、そんなものに縋らなければならないほど、人類たちは追い詰められたってことだな』
それが誰を……、いや、何を指しているのかは分かる。
わたしは、その女性たちを観たのだから。
「救いの……、神子……」
思わずそう呟くと、紅い髪の青年は意外そうな顔でわたしを見た。
『やっぱり、こんな話ならすぐに分かるのか。王族の教養でもある集団熱狂暴走のことは知らないのに、本当に極端な知識だよな』
救いの神子は「封印の聖女」ほど有名な話ではない。
だから、わたしの知識が偏っているように見えるのだろう。
『滅びが目前に迫った人類が縋ったのは、原初の神子であり、王族たちの祖でもある救いの神子。精霊族の祝福を享けた肉体を持ち、神から魂を創り上げられたという本物の奇跡だ』
紅い髪の青年はそう言いながら微かに笑ったのだった。
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