ずっとこのままで
「犬嫌い?」
小学校からの付き合いである九十九も、その兄である雄也もそれは初耳だった。
「あ? 二人とも知らなかったのか? 高田は病的と言っても良いほど犬嫌いだぞ。どんな可愛い仔犬でもちょっと近付いただけで、すっげ~震えるんだ。絵とか写真、遠くから見てる分には平気みたいなんだけどな」
水尾はその状態を思い出しながら言った。
あの少女は、犬だけに分かりやすく拒絶反応を見せていたのだ。
「そうなん? あちゃ~。さすがのアイツでも身体に染みついた恐怖心までは拭えんかったっちゅうことか~」
王子は自分の額を軽く叩きながらそう言った。
「……九十九は気付いてたか?」
「いや……、オレと行動する時に犬と遭遇しなかったからな」
言われてみれば不自然なほど、犬には遭わなかった。
通学路ならば散歩中の犬や、飼い犬から吠えられることなど珍しくはないはずなのに。
それが、もし、彼女が意図的に犬を避けていた結果だとしたら?
「部活とかで、校外に出ると遭遇しやすかったぞ。時間的に散歩と一致したんだろうな。それで、震えたり、涙目になったり、逃げだそうとしたり、叫び掛けたりといろいろなバージョンが楽しめて……」
「楽しんでたんすか?」
九十九は呆れてしまう。
「けしかけたことはないぞ。でも、あれはかなり可愛いかったから、つい見てしまうのは仕方ない。全部、可愛い高田が悪い」
なかなかに酷い言い草であった。
「へ~、ほんなら俺も見てみたいな。何もしなくても小動物みたいに可愛い嬢ちゃんがもっと可愛くなるんやな」
「……俺も気になるな」
さらに、悪乗りする男2人を見て、九十九は複雑だった。
「オレはイヤだな」
犬好きの九十九としては、護衛対象がそんな状況になることを素直に楽しめない。
どう聞いても心に傷を負っているではないか。
それも、当人が覚えていないような所で。
「これまでの話を総合すると……、その封印した法力使いってやつは……、ストレリチアにいるってことか……。これで神官が施した封印なのは、間違いないみたいだな」
九十九の顔が分かりやすく落ち込んだのを見て、水尾は話題を変えた。
「そういうことですね」
「なんや、嬢ちゃんのあの封印を解きたいんか?」
九十九の言葉に王子が反応する。
「人間界でならば封印されている方が良いですが、魔界で暮らす以上……、魔法を使えないのは……」
「使えない方が嬢ちゃんのためには良いかもしれへんで?」
「そんなわけないじゃないですか!」
九十九は思わずそう反論した。
「坊主、それを決めるのはお前やない。嬢ちゃん自身や。それに……あんな暴走状態を見ても、嬢ちゃんに魔法を使わせたいなんて思うヤツは阿呆や。俺らも止めるのに苦労したんやで?」
「ぐっ……」
確かに、九十九も暴走状態を見たことがある。
防御が間に合わなければ自分も無事ではいられなかった可能性もあるのだ。あの姿に恐怖を感じなかったわけじゃない。
「王子殿下の言うことも一理ありますが……、使い方を知らないからこそ暴走したのかもしれません。私は、彼女の記憶と魔力が封印される前を知っていますが、その頃に暴走状態になったことはありませんでした」
「それはガキやったから、さほど影響がなかったとも言えるんやないの?」
「そうかも……、しれませんね。しかし、彼女は既に暴走を起こしかけています」
「なんやて?」
「なんだって!?」
雄也の言葉に王子と水尾が反応する。
「アイツの封印を……、嬢ちゃんは破った言うんか……」
王子は呆然とし……。
「あの時の……、封印が一時的に解けたヤツじゃなくて?」
水尾は確認する。
「一時的に解けたのは暴走ではなく、自己防衛でしょう。それについては問題ありません。しかし、それ以前にも暴走をしています。結界内の事だったらしいですから……、私も詳しいことは知りません。ただ……、ここに証人がおります」
雄也はそう言いながら、弟を指した。
「証人……、目撃者というより……、オレは被害者だと思っているが……」
九十九はなんとも言えない顔をする。
「それでも……、封印が正しいと言えますか? それに封印されている以上、それ以上の力で瞬間的にでも爆発させる以外に『魔気の護り』も行使できないようなのです。彼女自身は忘れても、防衛本能……、身体は覚えているのでしょうね」
雄也の言葉に……、九十九も続ける。
「それに……、魔法を使えない状態で、ほぼ無抵抗のまま嬲られていた状態を見て、それでもあいつに魔法の必要がないとはどうしても思えません」
九十九はポツリと呟いた。
あの時のことを思い出す。
魔法が使えなくても、彼女は魔法を使う相手に抵抗を見せたあの日。
あれを見た後では、今のままで良いと九十九にはどうしても思えなかった。
「なぶ……、せめていたぶると言え。誤解を招きかねない」
雄也が小声で訂正する。
「嬲るって……どういうことや?」
「あいつ……高田は魔法を使えないことを承知で、魔法を使うヤツを相手にしました。勝ち目はなかったのに……、周りを巻き込みたくないと言う一心だけで、高田はそいつの魔法の標的になった」
どう考えても理解できない行動ではある。
それでも、それを選んでしまう少女。
「周りって……、それが……、高田たちの卒業式の日にあった不自然な魔気の正体か?」
九十九の言葉には、水尾にも心当たりがあった。
あの日……、母校にまとわりついた邪悪な気配。
あの違和感はどうしても忘れられなかったのだ。
「勿論、決めるのは高田自身です。それは、オレも……、兄貴も分かっています。でも、オレは二度とあんな高田の姿は見たくない」
九十九が現れた時、そこにはボロボロになった彼女の姿があった。
立っているのも不思議なくらいだったのに、それでも敵から瞳を逸らさずに……。
「……というのが、私たち兄弟の共通した意見です。暴走は確かに恐ろしいが、無抵抗の人間というのも恐ろしいですよ」
雄也が九十九の言葉を引き継ぎ、結論を口にする。
「ほんなら、アイツに会うしかないやろ。それで嬢ちゃんに決めさせたらええ」
「しかし、現状ではストレリチアまで行くことが……」
王子の言葉に雄也も難色を示す。
今は定期船も動いていないのだ。
そんな状況下で、隣のグランフィルト大陸にあるストレリチアまで行くことは容易ではない。
「ああ、そうか。定期船が運航を休止してるんやったな。こればっかりは俺等王族にもどうすることもできへんし……。アイツを呼び寄せるのも理由が難しいな」
航行の安全がある程度認められるまでは、どうすることもできないということだ。
雄也の見立てでは少なくとも2,3ヶ月。
暫くは身動きが取れない。
「なら、定期船運航まで、ここに留まったらええ。城樹にも最近客が少のうなって、結構空き部屋が多いさかい」
王子はあっさりとそう言った。
「いえ、そこまで甘えるわけには……」
「かまわんよ。どうしても居候がいやや言うんなら、城樹で手伝う言う手もあるし……、何より、俺が暇なんよ。あんたらが居ってくれると退屈凌ぎになるんや。つまりは俺の我が儘っちゅうことで妥協せえへん?」
「……そこまでおっしゃられては断る理由もありませんね」
王子の申し出に、雄也は溜息交じりに応じる。
「兄貴、いいのかよ?」
「先輩、何考えてんだ?」
九十九と水尾が同時に言うが……。
「どちらにしろ、動けないのは確かなんだ。ならば、少しでも安全なところの方が良いだろう?」
しれっと雄也は答えた。
「ええな~。兄ちゃん。利用できるものは何でも利用するその根性がええ」
「貴方ほどではありませんよ」
にっこりと雄也は微笑み返した。
「うわ。狐と狸」
水尾は、正直な感想を口にした。
そして、それは九十九も同感だったが、立場が一番低い彼が、それを口にする勇気など持てるはずもない。
「王子、一つ分からないことがあるんだが……。先程の話、あれで全部か?」
水尾はふと気になったことを口にする。
「描写の細かさが必要やったか? 話してもええけど、確実に食欲は落ちるで」
「食欲が落ちる……。それなら、水尾さんだけは聞いた方が良いのではないですか?」
一行の食事を預かる九十九は真顔でそんなことを言った。
「おいこら、少年。酷いこと言うなよ。……詳細な描写はいらん。ただ……今の話だけだと、高田からの恩というのが分からん」
「ああ、それは、嬢ちゃんが犬に襲われたこととは関係ないからな。それより少しだけ前の話や。そして、それについて語る気はあれへん」
王子はクスリと笑いながらそう言った。
「む?」
「ミオルカ王女は、大事な言葉を周囲に吹聴したくなるタイプか?」
「あ、あ~。そう言う方向性の話か。それなら答えはノー。大事にとっとけ」
「全部を話す必要はないやろ? あれは俺たち3人だけの秘め事や。ただ……嬢ちゃんは意識しとらんやろうけど……、断言してもええ」
そう言いながら、王子は笑顔でこう続けた。
「あの言葉が魔界の歴史を変えた」
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