不昧不落
『阿呆か。相手はお前の魔力の強さをまだ知らねえんだろ?』
紅い髪の青年は、わたしたちに向かって、そんなことを言った。
この場合の相手とはセントポーリアの王子殿下のことだろう。
でも、高田栞の魔力の強さを知らない?
どういうことだろうか?
わたしは、セントポーリア国王陛下の血を引いている上、魔力が強いから狙われているんだよね?
『未だに例の手配書に書かれた女は外見こそ変化しているが、黒髪、黒い瞳、そして、魔力無しだぞ?』
「『『あ……』』」
わたしだけでなく、ずっと黙って聞いていた護衛兄弟もその言葉に反応した。
でも、確かにそうだ。
以前より、セントポーリア城に出入りして、しかも、そこで何度も魔法をぶっ放しているから忘れがちだけど、セントポーリアの王子殿下と高田栞が直接、出会ったのはたった一度きり。
それも、魔力を封印中の時期だった。
そして、セントポーリア城に出入りするようになったのはそれ以降である。
そうなると、あの王子殿下は、わたしの魔力の強さを知らない可能性が高いのだ。
『ちょっと待て!? そこのほげほげ娘はともかく、犬どもがそこに反応するってどういうことだ!? 特に兄!? お前、この中では、セントポーリア城に最も出入りしている男だよな!?』
『そうは言われても、昔の主人に魔力があったことを忘れているとは思ってもいなかったからな』
護衛兄は困ったようにそう言った。
実際、その点に気付いていなかったのだと思う。
そして、そのまま考え込んでしまった。
『何らかの形で魔力が失われたと思い込んでいやがるんだと思うぞ? 人間、自分の都合の良い方向に思い込む性質があるからな』
「都合の良い?」
『お前に魔力がない方が、あのカスは嬉しいんだよ』
カスって……。
とうとう王子ですらなくなったよ?
『自分が強く出られるだろう?』
「でも、それだとわたしを孕ませる理由が薄くない?」
『どこぞの王族の血が流れていることを知っていれば、次世代にそれが表れる可能性がある。大事なのはお前の父親の血だ』
うむ、確かに!
セントポーリア国王陛下の血を引いていれば、わたしが女性としての魅力がなくても問題がないわけである。
だが、そうはっきりと言われるのはいろいろ複雑だよね~。
『ついでに、シオリに対する恨みも直接、晴らせる。奴に捕まったら、もう陽の光を浴びることができないと思っとけ』
「明らかな監禁予言だね。気を付けるよ」
この紅い髪の青年から見ても、それだけ危険ってことなのはよく分かった。
だが、思う。
わたしはともかく、背後にいるこの護衛兄弟たちをあの王子殿下は押さえ込めるだろうか?
この兄弟は、他国の中心国の王族でも、許可さえあれば躊躇なく、それも簡単に殴り倒せるほどの護衛である。
だから想像できない。
わたしがあの王子殿下に捕まるってことは、この護衛たちの動きを完全に封じるってことなのだ。
なんだろうね?
この絶対的な安心感。
こんな場所まで来てくれるんだよ?
普通、ここまでしてくれる護衛っていないよね?
「セントポーリアの王子殿下のことが気にならないわけではないけれど、ここで論じても仕方ないかな」
『へぇ……、余裕じゃねえか』
「余裕とはちょっと違うと思うよ。ここで考えたって、答えは出ないことだと思っているだけだからね」
セントポーリア王子殿下が何を考えているか知らない。
この紅い髪の青年が言うように、わたしを監禁してまで王位に固執しているのかも分からないのだ。
もしかしたら、後を継げるのが自分だけだからと思い込んでいるのかもしれない。
「それに、セントポーリアもお家騒動の気配がありそうだしね」
だから、変に動かない方がいい気がしている。
『お家騒動? あ~、確か、傍系王族が動き出していたな』
「おや、もうご存じで?」
高田栞は、さっき聞いたばかりなのに。
『セントポーリアの情報は入りやすいんだ』
それは、スパイか何かが入り込んでいるってことですかね?
『脇が甘い人間が多いからな』
「おおう」
セントポーリア国王陛下と母に忠告したいが……、わたしはこの世界での会話を覚えていられない。
ああ、でも、護衛兄弟たちがいるのか。
ここでの会話は、彼らが伝えてくれるだろう。
『まあ、精々、足掻け』
「うん。忠告と心配、ありがとう」
挑発的に笑う紅い髪の青年に、わたしは素直に御礼を言う。
『あ?』
「あ?」
何故か、変な顔をされた。
美形の顔はある程度崩れても美形だね。
『忠告はともかく、心配? 誰が? 誰を?』
「さっきの心配してくれたんじゃないの? あなたが、高田栞のことを」
先ほどまでの言葉は全てそうだと思っていたけれど、違ったのだろうか?
わざわざ境界に来るのは、高田栞の護衛たちだけではない。
この紅い髪の青年も、それなりに危険を冒して来てくれているのは知っている。
夢の中に入るのは、それだけ魔法力を使うし、痕跡も残してしまうのだ。
だけど、この紅い髪の青年は、この場所に来ることを選んでいる。
それは、わたしに命を助けられた御礼を言うためだけじゃなく、それ以外の目的もあると思った。
そうじゃなければ、こんなにも長い時間、わたしたちと会話する理由はないのだから。
『馬鹿を言うなよ? 神子様。俺はこれっぽっちも心配しちゃいない』
「そうなのか」
でも、この人も素直じゃないからな~。
気にしてくれても、気にしていないって平気で言う人だよね?
『ただ……俺が好きな女が、あんなカスにいいように扱われるのは我慢できないだけだ』
「…………」
その答えに閉口するしかない。
人、それを、「心配している」と云ふ。
そんな言葉が頭に浮かぶ。
『いや、なんか言えよ』
「思いの外、素直だった」
どこからどう聞いても「心配」してくれていてるいるとしか思えなかったから。
『あ?』
「あなたは素直なんだか、そうじゃないか分からないね」
素直だけど素直じゃない。
素直じゃないけど素直。
「いや、いろいろ教えてくれてありがとう」
『お前がモノを知らんだけだ。大した話はしていない』
そうだろうか?
多分、護衛兄弟たちの頭は今、メモでいっぱいだと思っている。
紙と筆記具、持ち込めないからね。多分。
「あなたは神子さまって言うけれど、高田栞は、あまり神子や聖女の勉強をしていないんだよ」
『変に知識を入れて、お前の神格化が進むのを避けているってことだろ? 残念ながら、既に手遅れだ』
「手……?」
今、不穏な言葉が聞こえた気がする。
聞きたくない。
でも、無視できない。
『どこぞの唯一神に母親が目を付けられた時点で、シオリが神と関わることは確定していた。全てを神に決めつけられるのを嫌う盲目の女や神の扉を守る男が多少、工作したところで、そこだけは変えられん事実だ』
暗闇の聖女さまと大神官さまは、何かやってくれていたらしい。
『ついでに言うと、分魂……、魂に神の意思を宿した状態で生まれ、さらに神の執着まで纏っている。これで、神に関わらず生きていけるはずはない。逆に、その程度の神格化で済んでいるのは、盲目の女とその縁者の功罪だな』
「神格化は……、止められないの?」
いろいろ思うところはある。
だけど、それらがどうしようもなければ、別の解決策を考えるしかない。
それも、誰の目にも分かる形を。
『人間に関われば、魂は濁り、神核は穢れて人に戻る。結局、魂は人類だからな。だが、高田栞は、悪い意味でも染まらない』
「我が強いってこと?」
『我が強いだけなら良かったんだがな~』
紅い髪の青年はその紫色の瞳を何故か遠くに向けた。
『周囲の声を聞き入れ、その影響を受けた上で、何故か独自の結論を出す。こんなの、どう矯正しろっていうんだ? 変に柔軟性があるだけに、どうしようもねえ』
「よく分からないけど、酷いことを言われている?」
『よく分からないから、お前は高田栞なんだろうな』
さらに酷いことを言われた気がする。
なんとなく、護衛兄弟を見た。
兄は笑顔を向け、弟は不機嫌な顔をする。
さっきもこの表情を見た気がするけれど、もしかしなくても、彼らはこの紅い髪の青年と同意見ってことだろうか?
え? 高田栞って、そんなに扱い辛い女?
そんなことないよ?
単純だよ?
わたしはそう弁明したかったけれど、なんとなく、ここにいる高田栞をよく知る三人の表情は変わらない気がして沈黙を選んだのだった。
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