我欲追求
『精霊界に置くことで、魂は修復され、ある程度落ち着きを見せたが、依然としてお前の体内魔気の方は仕事が多く、落ち着いていない』
紅い髪の青年は現状を整理してくれる。
「まあ、生命の維持、魂の正常化、そして、肉体の護りだっけ? 魔法力の回復にまで手が回らないほど大忙しなんだよね?」
『中心国の直系王族の魔法力が枯渇し、その回復のために取り込まれる大気魔気の量だけでも、ほとんどの場合、そこに王族がいると分かるほどその周辺の大気魔気は変化する。そう言えば、状況は理解できるか?』
そうなのか。
まずわたしは、魔法力が枯渇した王族を見たことがない。
強いて言えば、「ゆめの郷」で、高田栞がかなり魔法力を減らしたことがあったけど、それでも、大気魔気がそこまで変化していれば、護衛たちが気付くよね?
『尤も、そこに至る前に意識が落ちるから、自分の肉体や魔法力の許容範囲を超えるほどの分不相応な魔法を使わない限りは、そんな状況はあり得ない』
「さいですか」
わたしの心を読んだかのような台詞に、思わず、返す言葉が崩れてしまった。
そして、同時に高田栞の祝詞はそれだけ分不相応な魔法だったと言われた気がして複雑な気分にもなる。
いや、死にかけたのだから、その評価も決して間違ってはいないのだけど。
『だから、お前の回復場所としてセントポーリア城下の森が選ばれたのだろう。自然結界もあり、風属性の大気魔気が濃い上、供給量も多いから多少、大気魔気を多く吸い取っても目立たない。尤も、それ以外の場所だったら異様な速度で大気魔気が減っているはずだ』
「魔力の源泉とやらがないのに?」
わたしは胸の穴に触れながらそう言った。
本来は、ここにその魔力の源泉とやらはあるらしい。
今は何もない、ただの黒い穴だ。
『源泉があったら、神気穴すら枯渇する勢いで吸い取るって言ってるだろうが。それがないから、大気魔気が濃すぎて立ち入る人間を選ぶような神域でも、いつもよりも吸い取る量が多いか? ……って程度で済んでいるんだよ』
「セントポーリア城下の森って神域なの?」
『あのな? 神子様。神気穴があり、神水が湧き出るような泉があるような場所は、もうただの聖域じゃなく神域と呼ばれる場所なんだよ』
呆れたようにそう言われるが、それは多分、一般的な知識ではないだろう。
セントポーリア城下の森が自然結界によって、立ち入る人を迷わせる場所だってことは分かっていても、その場所に神気穴があって、神水が湧いているなんて知っている人の方が少ない。
でも、神水という単語には聞き覚え……、いや、見覚えがあった。
高田栞があの湖を識別した時に現れた言葉だ。
「あれって泉と言うよりも湖だよね?」
深さといい、広さといい、泉って規模ではない気がする。
かなり大きいし。
『神水が、今も湧き出ているのだからあれは泉だ。普通では考えられない水量だからそうは見えないけどな。さらに言えば、セントポーリア城にある神気穴よりも、あの泉にある神気穴の歴史は古い』
本当にこの人の知識はどこから湧いて出るのか?
高田栞は識別するまで、あの湖に神水が湧いていることなんて、知らなかった。
シオリは何度もあの場所に行っていたのに。
『あの場所で休んでいるなら、一月とかからず回復はする。魂の修復は済んでいるから、場所を変えることはできるが、先ほど言った通り、大気魔気の変化が著しくなることは覚悟しろ。今のように正体を隠したいなら、お勧めはしない』
つまり、セントポーリア城下の森でじっとしている方が良いらしい。
それは仕方ない。
高田栞もその点は理解していることだろう。
そして、その心を慰めるために、護衛兄弟たちも興味を引く面白い提案をしてくれたのだと思っている。
『ずっと気になっているのだけど、魂の正常化とはどういう意味だい? 修復は済んでいるのだろう?』
ふと護衛兄がそんな問いかけをしてきた。
『生命を維持する意味での修復は済んでいる。だが、今回、魔法力を枯渇するまで使い切ったために、人間としての部分が削り取られ……、神格化が進んだんだよ。あ~、人間の魂が神に近付いたと言えば理解できるか?』
『神に……?』
今度は護衛弟が訝し気にそう言った。
「魂が磨かれちゃったってことだね?」
『そこは理解できるのか』
「魂から人間部分を削ぎ落して、元の神……、祖神に還ろうとしているってことだよね? 普通の神女なら、潔斎して神事に臨んだり、各地にある神像や聖跡に触れて神力を高め、徐々に神位を上げて、そうなるようにするのだけど……」
自分で言いながら、思わず言葉を飲み込みたくなる。
わたしは、普通の神女たちが努力して神に近付こうとする行為の全てをすっ飛ばしたということだろう。
下手すれば、今、高田栞はこの世界で最も神に近い女になってしまっているのかもしれない。
いや、その前に既に神像どころか、神の影に接している。
さらに、聖跡どころか救いの神子たちからの寄せ書きに紛れて刻まれていた神の文字にまで触れてしまった。
それらの縁が、全て、この現在に繋がっているとしか思えない。
『あのケダカクウツクシイモレナ様は、まだ高田栞に人間でいて欲しいらしい』
まるで人間をやめる予定があるかのように言われても困る。
高田栞は人間でいたいのだ。
いや、やっていることは傍から見ても、人間をやめる気でいるとしか思えなくても、当人は本当に人間をやめる気など一切ないのだから。
『だから、ゆっくり時間をかけて、魂に雑思念をくっつけるようにしろ。魔法力回復よりも、雑念、煩悩、我欲に塗れた日々を送れ。人間を卒業したくなければな』
「要するに怠惰な日々を送れってこと?」
ごろごろ寝て過ごせば良いのだろうか?
『怠惰だけじゃなくても良いぞ。暴食、色欲、強欲、憤怒、嫉妬、傲慢……、それらの感情を育てるだけで立派に人間らしくなれる。特に人間の三大欲求と言われる暴食、色欲、怠惰ならば実行しやすいだろう?』
「いや、怠惰はともかく、暴食と色欲は無理でしょう?」
暴食は食べ物に悪い。
だから、必要以上に食べるなんてことはしたくない。
色欲?
暴食以上に無理ですよ?
相手もいませんし?
『そうか? 横に侍っている犬どもと色事に溺れるのはそう難しくないだろう?』
「どこまで本気で言っているか分からないけれど、それは婚約者候補への裏切り行為だから、難しいというよりも無理だねえ」
何より、そんな状態は護衛兄弟たちに失礼である。
そして、婚約者候補ともそんな関係になる予定はない。
「妻として愛することはできない」って既に言われているからね。
つまり、わたしに色欲など無理である!!
『言わなきゃバレねえとか思わないのか? 暫く、離れているんだぞ?』
分かりやすく揶揄われている。
「バレるとかの問題じゃなくて、普通に嫌じゃない? 婚約者候補と離れている間に他の男性とそういうことをするなんて、ただの浮気じゃないか」
『共寝の時点で十分、アウトじゃねえか?』
「治療行為だし、お互いに色欲はないからね」
雪山の遭難で温め合うようなものだと思う。
いや、そこまで深刻さも危険度もないけれど。
「それに、流石に共寝したことは言わないと思っている。浮気でなく治療行為だと分かっていても、やはりそんなことを聞かされて良い気分にはならないだろうからね」
あの婚約者候補の青年がそこまでの関心を高田栞に持ってくれているとは思わないけれど。
「尤も、あの方との婚約者候補の関係も解消される可能性が高いとも思っている」
『あ?』
「あの方が見ていると知っていて、高田栞にキスした殿方がいたからね」
わたしが皮肉たっぷりに目の前の殿方に向けてそう言うと……。
『あ~、そうか。その可能性は全く考えてなかった』
そんな酷い言葉が返ってきたのだった。
実はこの時点で中心国の王族の魔法力枯渇は、何度かあります。
そのいずれも、主人公は少しだけ気付けない、気付かない状態になっているため、自分自身が初だと思っていることを念のため補足しておきます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




