人間部分
『栞から魔力の源泉ってやつを引き抜いた理由っていうのは分かるか?』
護衛弟は不自然なぐらいに、こちらを見ない。
これはアレだ。
さっき、わたしが「えっち」と言ったのを引き摺っているとみた。
だけど、仕方がなくない?
殿方から胸元をじっと見つめられても落ち着いていられる乙女は、多分、少ないと思うんだよ?
『なんで、お前らはごく普通に俺に聞くんだよ!? ちっとは疑え!?』
そして、紅い髪の青年はそこがご不満らしい。
良いことだと思うんだけどね?
『真偽は後で考えるから良いんだよ。一時的に話を聞いて、落ち着きたいだけだ』
『ああ、そうかよ』
完全に信用しているとは言っていない。
だけど、多分、疑ってもいない。
この件において、紅い髪の青年が嘘を吐く理由がないから。
同時に、この護衛兄弟は他者の言葉から、その真偽を見抜く。
それがわたしの夢の中であってもできることかは分からないけれど、少しでも情報を吐き出させて、後でその真偽を確認するのは理にかなっているとは思う。
『俺としては、その引き抜いた源泉とやらは返してもらえるかの方が気になるな。大気魔気を取り込んで体内魔気に変換する器官というのなら、魔法に影響する部位であることは間違いないからね』
護衛兄は、にこやかにそう言った。
現実世界で魔法を使えることは、既に確認している。
だが、影響がないと言えないことは確かだ。
『魔力の源泉を引き抜いたのは、今、体内に収めていない方が良いってことだ。源泉があると、大気魔気を取り込んでも、魔法力が枯渇し、衰弱した身体を護るために体内魔気で強化する方に使うことになる』
「それって良いことなんじゃないの?」
寧ろ、そうするべきではないのだろうか?
『アホ言え。今のその魂の状態で体内に大気魔気を取り込んで体内魔気で強化しようとしても魔法力回復しない上、人間の部分が削ぎ落されて神格化が進むだけだ。ああ、人間をやめる気なら、良いことだろうけどな』
紅い髪の青年が挑発的にそう言うと同時に、周囲が、いや、護衛兄弟たちの気配が剣呑なものに変わる。
今のわたしは、魔気の気配を感知する識覚が働いていない状況だ。
そんな状態でも察知してしまうほどに、彼らの変化は分かりやすかった。
『源泉が大気魔気を体内魔気に変換する器官ということは理解した。だが、その器官が抜かれた状態でも体内魔気は存在し、しかも、いつも以上に放出されているようだが?』
護衛兄がその口を開く。
それはいつものような声ではあったが、どこか、硬さを感じるものだった。
『魂から一時的に引き剥がしているだけで、源泉と肉体は繋がっているため、その機能は消えることはない。だから、変わらず大気魔気は体内に取り込まれて、体内魔気へ変換され、その肉体を回り巡っている。そうしないと死ぬからな』
体内魔気は身体を巡る魔力であり、血液と同じように体中を循環し、生命の維持に使われていると言われている。
体内魔気とは魔力ではあるが、魔法力と全く同じってわけではないらしい。
でも、魔法力が枯渇すると体内魔気も弱ってしまうためにどこかで連動はしているのだと思う。
『いつもより放出されているっていうのは、体内魔気の護りってことだろ? 死に掛けたんだから、肉体を守るのは当然の反応だ。無駄に放出しているのも、これまでの放出量では守り切れないと、この女の身体が無意識に思い込んでいるためなんじゃねえか?』
紅い髪の青年はそう言いながら肩を竦める。
『そんな常識的な反応を、この女の身体がしていればの話だけどな』
「失礼な。人を非常識みたいに言わないでくれる?」
いくらなんでも失礼すぎないかな?
『お前はいつから、自分が常識的だと錯覚していた? 犬どもの顔を見ろ。随分、苦労をしてんじゃねえか。可哀相に』
「可哀っ!?」
思わぬ言葉に、叫んでしまった。
だが、わたしは見た。
護衛弟がわたしから目を逸らしたことを。
護衛兄が困ったように笑ったことを。
どうやら「高田栞は非常識」というのは、彼らにとっても共通の見解らしい。
うん、知ってた。
人間界育ちであることを差し引いても、高田栞は非常識の塊である。
いや、人間界で育ってもその考え方はおかしいとしか言いようがない点が多々ある時点で、いろいろ絶望的とも言えるだろう。
護衛兄弟が他人から同情されてしまうわけである。
だが、諦めて欲しい。
そんな主人だと承知して、見限らない彼らが悪いのである。
だから、高田栞は甘えてしまうのだ。
『その女の近くにいるだけで、魔力が吸われている気がするのはなんでだ?』
今度は護衛弟が口を開く。
話題を変えたいらしい。
『それこそ、源泉が収まっていないからだな。肉体が生命維持をするために、必要以上に体内魔気を作りたがっているのに、源泉が近くにないから大気魔気をいつもよりも上手く取り込めなくなっている。それなら、近くにいる既に変換済みの体内魔気を取り込んだ方が良い』
『変換済みの体内魔気……』
護衛弟が噛み締めるように呟く。
『他人の体内魔気は大量に取り込むと自分の体内魔気と異なるため激しく反発するが、少量ならちょっとした刺激、強化のきっかけになる。感応症が働くってことは、そういうことなのは知っているだろう?』
紅い髪の青年からの問いかけに、護衛弟は素直に頷く。
この辺りは彼らが凄い部分だと思う。
決して味方とは言い切れない相手でも、教えを乞うことができるのだ。
確かに全てを信じているわけではないだろう。
でも、始めから全てを疑ってかかるわけでもない。
これは情報国家の血が成せる技だろうか?
いや、違う。
これは彼ら自身の力だ。
なんでも、血や遺伝のせいにされては、彼らの努力が報われないだろう。
『自分と相性の悪い体内魔気、悪影響を及ぼす魔力は、始めから感応症が働かない。身体や魔力の害になるって分かっているものを、自分から進んで取り込む阿呆はいないってことだ。身体は心よりもずっと正直で素直な反応をするからな』
『前半はともかく、後半はお前が言うと別の意味に聞こえる』
ああ、分かる。
そして、それを狙って言ったことも。
『過敏な反応は元童貞だからか?』
『いや、どんな経験者でも元は童貞だよな?』
だが、そっち方面に話を発展させないでほしい。
反応に困ってしまうではないか。
そして、殿方はなんで、そんな品の無い冗談が好きな方が多いのだろう。
まあ、そういうものなのか。
女のわたしには分からない心理である。
『今、その女の体内魔気は、生命の維持、魂の正常化、そして、肉体の護りに使われている。あのク……ケダカクウツクシイモレナ様が、源泉を引き剥がしたのは、周囲の大気魔気を食い過ぎないようにってこともあると思っている』
「大気魔気の食い過ぎ?」
大気魔気って食べるものだっけ?
いやいや、大気って言ってる。
大気中に含まれる魔力。
それが、大気魔気。
空気を食い過ぎる?
それでも肺が膨らむだけだよね?
『まさか、大気魔気が枯渇する可能性があるってことか?』
『察しが良いな。その通りだ』
「どうしてそうなった!?」
空気の枯渇って何?
魔法力の枯渇は理解できる。
体力がなくなっちゃうようなものだ。
だけど、大気魔気。
謂わば空気。
それがなくなっちゃうって、どれだけ大きく息を吸い込んだらそうなるの?
『それは、大気に含まれる魔力が無くなるってことだね。それだけ、栞ちゃんが今、魔力を多く必要としているってことかな?』
わたしの疑問を掻き消すように、護衛兄が尋ねてくれる。
どうやら、大気中の成分の一部を余計に吸収するってことらしい。
えっと、普通よりも酸素を取り入れたくなるってことかな?
『中心国の王族の回復だ。それだけで必要とする量が並じゃない。普通の魔法力を回復させるだけだったら、城の契約の間にでも放り込んでおけば良い。一晩、寝ればほぼ満タンだろう。だが、今のその女の状態は普通じゃない。通常の……100倍は必要とするだろう』
「そこは素直に通常の三倍じゃないの? わたしの体内魔気は、今、三つに振り分けられているんでしょう?」
『魔法力の回復を後回しにしている事実に気付いているか? 比率としては、生命の維持に三割、魂の正常化に三割、肉体の護りに三割、残りが魔力回復を含めたその他だ』
ああ、そう言えば、魔法力の回復の話はなかったね。
それでも、通常の100倍は多すぎると思うのだけど……。
そして、魔法力がほとんど回復していない理由も分かった。
体内魔気が別の所に使われているからだ。
『魂から、源泉を切り離していなければ、回復に必要な分の大気魔気を異常な速度で取り込もうとして、周囲の大気魔気のバランスを崩してしまったことだろう。そうなれば、人間でありながら魔力食いの魔獣と同じ扱い……、状況によっては、軍隊を編成しての討伐対象だ』
その言葉に護衛兄弟の顔が強張った。
「まるで……、化け物だね」
素直にそう思えた。
軍隊を編成してでも止めなければならない存在なんて、もう、人間をやめていると言えるだろう。
『そんなことはっ!!』
『ああ、そうだ。お前は立派に化け物……、いや、怪物だよ』
わたしの言葉を否定してくれようとした護衛弟の言葉を遮って、紅い髪の青年は無情にも真実を告げる。
『中心国の王族なんて生き物が、普通の人間であるはずがない。気分一つで、近くにいただけの何の関係もない他者を簡単に殺せるんだ。そんな存在が並の人間だと言えるか?』
「言えないね」
それは分かっている。
分かっていても、普通の人間でいたかった。
だが、それは目の前にいるこの人も同じように思っているのだろう。
なんとなく、そう思ったのだった。
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