衝撃映像
『それで? 結局、犬どもも一緒ってことか?』
この人はどうあっても、わたしの護衛たちを犬扱いしたいらしい。
わたしは犬が苦手だと知っているのに、酷い話だと思う。
犬が苦手になった原因は、この世界のわたしは覚えている。
アレは仕方がない。
ホラー映画のワンシーンでしかなかった。
尤も、それ以上に、わたしはその気になれば魔獣と呼ばれる生き物の身体であっても、簡単に粉砕できてしまうということでもある。
その事実を、多分、高田栞は恐れているのだと思う。
意識を完全に分裂させて、本体の意見を聞く機会がない限り、それが合っているかどうかを知る術は、この世界のわたしにはないのだけど。
「護衛の話なら、今頃、一緒に寝ているはずだよ?」
『あ?』
わたしの答えに、その形の良い紅い眉が歪む。
『モレナさまからの指示で、護衛たちに挟まれて寝れば、回復が早まるって聞いたから、多分、今頃は高田栞の左右で寝ていると思うよ?」
実際は、二人から抱き締められて寝なさいって話だったけれど、流石にそこまで伝える気はなかった。
わたしがこの世界にいるということは、多分、本体は眠りに落ちているということだ。
護衛たちと話をしているところから、不意に意識が途切れているから、意識が飛ぶように眠ったのだろう。
その後のことは分からないけれど、仕事熱心な彼らのことだ。
あのまま、側で寝てくれたと思っている。
だが、わたしの答えに納得できなかったらしい。
紅い髪の青年は、そのまま拳を握り……。
『あのクソバッ……』
ぐわわぁんっ!!
何故か、頭に金盥を食らった。
その図に既視感を覚えたのは気のせいではないだろう。
「結構、激しい音がするもんだね」
コントぐらいでしか見たこともない光景であった。
そして、当然ながら生でその衝突音を聞く機会も普通はないと思う。
その紅い頭に直撃した金盥は、その場で暫く独楽のように揺れた後、消えてしまった。
『これを見た感想はそれだけか?』
「金盥、消えちゃったね」
これが事件なら、凶器がどこかに消えるという見事な証拠隠滅である。
『いや、その感想は心底どうでもいい』
「卒業式に椅子を頭に食らった時よりは大丈夫だよね?」
『その記憶は即刻、消去しろ』
無理だから。
あれはあれで、かなり衝撃映像だったし。
その前に、この身体だって、かなり痛めつけられた。
まあ、日頃、肉体の表面上に滲み出て、肉体を守っている表層魔気は、魔力の封印と共に体外に出ていなかったから身体が傷付くのは仕方がない話だった。
だけど、あの時、この人は、本気でわたしを害そうとしていなかったのだ。
ゲーム感覚で遊ばれたのである。
実際、当人からそんな風に言われていたから、そのことに驚きはない。
それに、もし、本気でわたしを害するつもりだったなら、あの椅子がこの紅い髪の青年を強襲することなく、あの体育館は崩壊していたことだろう。
肉体に収まっている深層魔気に影響はなかったのだ。
そして、あの時、そこまでの脅威をこの身体は覚えなかった。
あの魔法で死ぬことはない。
それが分かっていたから、封印されていた魔力が暴走して飛び出すこともなく、体内魔気の護りが放出されることもなかった。
そして、この人が手心を加えた理由は、あの当時の高田栞の心を折ることだったのだと思う。
魔法が日常と化し、とんでもない魔法が飛び交う世界に身を投じて数年経った今だからこそ、魔法に対する恐怖なんてものがかなり薄れているけれど、あの頃の高田栞は本当にそんな世界とは無縁のまま生きてきたのだ。
魔法で脅せば、あっさりと膝を屈すると思われていたのだろう。
思いの外、高田栞が図太かったためにそうならなかっただけである。
いや、違うな。
高田栞は、恐怖を覚えることがあっても、周囲に人間がいて、それを助けるために何故か、自己犠牲の精神を発揮してしまうところがある。
自分が頑張らねば! 自分がやらねば!
そんな精神で立ち上がってしまう。
変なところで、妙な根性がある。
そして、それはかなり厄介な性質だろう。
客観的に見ることができているから思う。
周囲の方々、毎度、ご迷惑とお手間をおかけします、と。
「女性に対して言葉が過ぎるから、それを正すために、天から盥が降ってきたのでしょう? ええじゃないか、ええじゃないか?」
『世直しの御神札が降ってきたように言うんじゃねえ』
そんな風に紅い髪の青年は、眉を顰めるから……。
「時々、あなたも人間界の歴史のことを口にするよね?」
思わず、笑ってしまった。
護衛兄も、この人も、この世界だけでなく、人間界の歴史も好きらしい。
ああ、大神官さまもそうだった。
この世界に持って帰っても、使う機会なんてほとんどないはずなのにね。
『そんな話はどうでもいい。あの……、ク……、ケダカクウツクシイモレナ様に言われて犬どもが、お前の左右に寝ているってどういうことだ?』
「その方が、わたしの回復も早くなるって話だったから……。違うの?」
『どこのエロゲーだ!?』
「ごめん。高田栞にその辺りのゲームの知識がないから分からない」
15歳だったからね。
今なら、もう18歳になったから問題はないけれど、その方面のゲームに全く興味がないからな~。
『女一人に対して、男が二人で、しかも一緒に寝るとか、ほけほけ受け入れるな!』
「でも、回復は早くなるんだよね?」
精霊族だから人間と違った倫理観であることは分かるけれど、あの暗闇の聖女さまがわたしに嘘を吐く理由はない。
寧ろ、女性としての体面、体裁よりも効率を取る人だろう。
『それでも、だ!!』
どうやら、この紅い髪の青年の倫理観からも受け入れるのはおかしいという話らしい。
意外と常識人である。
「いや、一応、高田栞は、葛藤したんだよ? 流石に未婚の男女たちだから問題だし、何より婚約者候補がいる身だからね? だけど、この身体……、魂が状態異常を起こしているんでしょう? 現実でも、妙に落ち着かなくて嫌だったんだよ」
心がざわざわしていた。
なかなか、眠れないほどに。
何か欠けている感覚もあった。
まあ、魂に穴が空いているようなものなんだと思う。
暗闇の聖女さまが修復してくれたと言っていたけれど、それは、魂が高田栞の形を保つ最低限の措置ってことだったのかもしれない。
それに、この人が言うように肩入れしすぎも良くないのだろう。
それがこの惑星を保つためとは言っても、その行為を他の神々が許すかは別の話なのだから。
暗闇の聖女さまは、自由きままで何物にも縛られていないようでいて、神との約定に縛られている。
精霊族である以上、神には絶対に逆らえない。
純血統ではない峡間族と呼ばれる混血児たちは、そこまで強い呪縛はないけれど、その分、神から与えられる能力は落ちるらしい。
『気に食わないが、お前の状況は理解した。奴らがここにいるってことも』
「護衛だからね」
侍女になってでも、側にいてくれるような護衛なんてそう多くはないだろう。
彼らにそれ以外の生き方がないことも分かっている。
能力云々の話ではなく、心の問題だ。
彼らは、幼い頃にしたそれぞれの約束を律義に守り続けている。
ユーヤは自分の母親と、ミヤドリード、そして、シオリの母親との約束を。
ツクモは、シオリと、ミヤドリードとの約束を。
呆れるほど愚直に、誠実に、そして、そして盲目的に。
その行いがラシアレスを支えているのだから、なんとも言えないのだけど。
『それなら、絶対にここにいるな』
紅い髪の青年の紫色の瞳が妖しく揺れた気がした。
ああ、これ。
わたしを囮にすると決めた時の護衛たちの瞳によく似ている。
色は違うのに、その光に似通ったものを感じた。
『背中の状態を見たい。後ろを向けるか?』
「背中?」
『正面と背面では状態が違うこともあるだろう?』
確かに、わたしでは背中の確認まではできない。
この状態は前だけだと思っていたけれど、後ろはもしかしたら、もっと奇妙な状態かもしれないのだ。
「それでは、確認をお願いします」
そう言って、紅い髪の青年に背を向ける。
『お前の警戒心もまだまだだな』
そんな言葉と共に……。
「え……?」
自分の身体から、いや、胸から腕が生えた。
その腕が誰のものかを確認するよりも先に……。
―――― ぼぐぉっ!!
生えていた腕が胸元から消え、すぐ近くで殴打音と思われる激しい音が聞こえたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




