護衛弟は思案する
「栞ちゃんがセントポーリア国王陛下の娘、あるいは王族の血が流れていると気付かれた時点で、すぐに『コトラ=ハウナ=インジバル』様のように婚姻前に妊娠するようなことをされていたと思うよ」
「ふぐぇっ!?」
兄貴の言葉に栞が色気のない奇声を口にする。
オレとしては、そこに驚きはない。
寧ろ、王位を狙うなら、当然の手法だろう。
先に子供を作っておけば、女の方は逃げられなくなる。
血の濃淡に限らず、セントポーリアの王族同士の間に生まれる子だ。
その子供もセントポーリアの王族の血を引くことになる。
それに、婚姻前に妊娠する以外に、急いで婚姻する理由は少ない。
婚姻前に子が産まれてしまえば、いろいろ面倒なことになるからな。
血によって親子の証明はできるが、それ以外にも書類上の手続きや、何より世間体ってものがあるのだ。
「え? もしかして、手っ取り早く婚姻するために、『コトラ=ハウナ=インジバル』さまとの間に子供を作ったってことですか?」
「そうらしいね。かなり強引だったようだよ。だから、婚約期間もなく、一足飛びに婚姻となったそうだ」
「うわ……っ」
どうやら、手籠めにしたってことらしい。
そこまでして、地位を、そして、配偶者に女性王族を必要としたか。
あの腹黒で油断ならない男に栞の存在がバレなかったことは本当に良かったと思う。
国内で、王族の権限を用いられ、栞が護衛から引き離されてしまえば、オレたちはかなり力尽くでそれに対抗して、その男を確実に仕留めた後、国外逃亡を図るしかなくなる。
まあ、状況としては今とほとんど変わらない。
主人が犯罪者のような手配書を全世界にばら撒かれているこの状況で、その護衛たちが犯罪者として国から追われることになるのは、栞自身が心を痛めてしまうから、あまりやりたくはないとは思っているが。
「ダルエスラーム王子殿下が行動に出る前に、『イルザール=シャパル=フガニア』様が動いたってことになるかな」
あ~、クソ王子らしく、そっちも強硬手段に出る所だったのか。
それは、二重の意味で抑止力となったってことだな。
「そ、それは……」
栞の声が上ずっている。
許されることではないが、目的のためなら、男はそんな手段を選ぶこともできるのだ。
知識としては知っていても、それが、自分からそう遠くない場所で行われたのは初めてだろう。
だが、性欲が理由で襲われるのと、政争が理由で襲われるのとでは、女としてはどちらが衝撃が強いのだろうか?
いずれにしても、碌なものではないのだが。
「ダルエスラーム王子殿下も、まずは25歳になる前に、譲位の条件を整える必要があるからね。『イルザール=シャパル=フガニア』様は先にそれを阻止したってことかな」
兄貴は栞の動揺に気付いていながらも、話を進める。
これらの話は、決して対岸の火事ではない。
いつか、栞の身に起きる可能性がないとも言い切れない話。
起こさせねえけどな!!
「このままダルエスラーム王子殿下が婚姻されなければ、イルザール=シャパル=フガニア様とコトラ=ハウナ=フガニア様との間に生まれる子が王位を継ぐ可能性が出てくる。まあ、その前にセリム=ラント=ヴァイカル様と婚姻されるだろうけどね」
もう一人の婚約者候補の名前が出てきた。
いや、実質、その女しかもういない。
それ以降はどうあっても、年齢差が際立っていく。
他にセントポーリアの王族の血を引く女が現れない限り。
「ただ……、無事に生まれてきても、長く生きれるかは分からない」
そして、兄貴はさらに無情な現実を突きつける。
栞にも、覚悟を決めさせるために。
「生まれてくる子が女児なら、生かされるだろう。ダルエスラーム王子殿下の新たな婚約者候補、あるいは他の血が遠い男性王族の婚約者として。でも、男児なら……、多分……」
「殺される……ってことですね」
兄貴の言葉を栞が引き継ぐ。
言葉を濁したのはわざとだ。
栞にその結論を口にさせた。
もっと、しっかり自覚してもらうために。
「血筋に関係なく、セントポーリア国王陛下の後釜を狙おうとしている者たちはいる。王族の血の価値が分からない人間たちは、王子殿下とはいっても無能な者にこの国を渡したくはないのだろう。まあ、そっちの方が国……、いや、大陸の崩壊は早いだろうけどね」
個人的な意見を言わせてもらえば、王族の血を引かない人間が政権を取ること自体は問題ないと思う。
その身を削ることすらある大気魔気の調整の対価として、国が生活を保障すれば良い。
だが、それらもいずれは形骸化し、本来の意味は忘れられてしまう。
そうなれば、魔力が強いだけの配下なんて、邪魔でしかない。
そして、様々な手段でその魔力を封じた上で、大気魔気の調整をしていた人間の身を害し、その結果、国が亡ぶだろう。
実際、王族を排して滅んだ国はある。
グランフィルト大陸でストレリチアだけが残っているのはそういった理由だ。
どの国よりも史書を保護し、守ってきたからこそ、王族……魔力が強い人間の大切さを教え説き、次代へと引き継いできた。
それらを排除してきた国が滅んでも、法力という別種の力を主体とする国になっても、王族を守り続けているのはそんな理由だ。
「ダルエスラーム王子殿下の評判は、この三年で地に落ちてしまったからね。だから、セントポーリアの王族に相応しくないという声が大きくなった。自国だけでなく、他国からもね」
「それは……」
栞の戸惑いの声。
「まあ、栞ちゃんには関係のない話だよ」
兄貴はそう言うが、栞は割り切れないだろう。
三年というのは、栞があのクソ王子から目を付けられ、手配書をバラまかれた時期と一致しているから。
「ダルエスラーム王子殿下は、昔から母親である正妃殿下の言いなりという印象が強いんだ」
「ほへ?」
そして、今、兄貴が言ったことは、ガキの頃からオレも感じていた。
シオリはチトセ様に依存している傾向があったのだが、あのクソ王子の場合、母親からいろいろ吹き込まれ、判断に迷う時に、決定権を委ねている所があった。
シオリは泣き虫だったし、甘ったれたことを言っていたし、母親至上主義というところもあったが、チトセ様の言葉に盲目的に従っていたわけではない。
何でもすぐに従うような女なら、城から脱走して、オレや兄貴と会うことはなかっただろう。
シオリは西の塔から絶対に出るなと言われていたのに、窓から縄梯子を下ろして、外に出ていたのだから。
昔から、無駄に行動力はある女だ。
「勿論、全てではないんだけどね。ただ、常日頃、我が強く、周囲の言葉も聞き入れないことがほとんどだという王子殿下が、母親の話だけは素直に聞き入れることが多い。だから、そんな噂が立っているんだよ」
「子供が他人よりも母親の話を聞くことって、そんなにおかしなことですか?」
限度がある。
母親の言葉を鵜呑みにすることも、自分で全てを決めることができないのも、問題だ。
「おかしくはないよ。ただね。それが国王陛下の嫡子となれば、周囲は不安になってしまうんだ」
「不安?」
「特に我が国の正妃殿下も評判が良い方ではないからね。そんな方の意見に左右される、影響を受けている状態を好ましく思わないという考え方は納得できないかい?」
そうだな。
しっかりしていて、国王陛下の横に並び立てるような女の意見を聞くのなら納得ができる。
だが、現実はどうだ?
金を無駄に消費するばかりで、それを増やすなどの工夫や生産性など全くない女だぞ?
金は国庫から無尽蔵に湧き出ると勘違いしているとしか思えん。
あんな女の意見に右往左往するような男が、次期国王なんて、国民が可哀そうだと思うのはオレだけではないはずだ。
「特に文官たちの危機感は強いね。彼らの中には世界会合の空気を知っている人間もいる。あの場にいなくても、そのための準備をした人間は少なくない。今の王子殿下ではクリサンセマムの国王陛下以上に醜態を晒すだろうと考えただろうね」
「うわあ……」
ああ、そうか。
あの会合の場に、千歳さんだけでなく、文官の中で立ち会った奴らもいるのか。
オレは映像を見るだけで、あの空気を肌で感じてはいない。
だが、これまで国王と呼ばれる存在たちと会話をしたことがないわけではないのだ。
国王という出鱈目なヤツらは、ただそこにいるだけで何もしなくても周囲を圧倒する性質を持っている。
そんな怪物たちが6人も集う場で、顔色を全く変えることがなかった人間なんて、大神官と千歳さんぐらいだ。
しかも、千歳さんなんて、情報国家の国王陛下を前にして笑う余裕すらあったぞ?
その時点で、並の女ではないよな?
だから、そんな女の血を引き、育てられた娘が、普通に育つはずがないのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




