護衛弟は思考する
「その女性王族の方は、今でもダルエスラーム王子殿下の婚約者候補なのですか?」
栞は純粋な疑問を口にする。
その女性王族がクソ王子の婚約者候補となったところまでは、説明されなくても分かったらしい。
先ほどまで、栞はかなり不安定になっていた。
真っ暗な部屋だが、あそこまで体内魔気が変化すれば、見えなくてもその状態は分かるだろう。
それでなくとも、今は、抑制石がないのだ。
栞の体内魔気は分かりすぎるほど伝わってくる。
恐らく、今より若かったセントポーリア国王陛下の部屋に、いろんな女たちが訪れていると知ったからだろう。
だけど、あの不安定さに覚えがある気がした。
栞が、まだ「高田栞」と呼ばれるよりもずっと前。
オレたちからシオリと呼ばれていた時期に、特定の人間の話を耳にしていた時に、先ほどのように不安定な状態になった姿を何度か見ていた。
だが、今の栞はそいつと面識はない。
しかも、そいつの話題らしい話題もしていないのだ。
これまでに何度かその名を口にしていたが、ここまでの状態になったのは……、多分、十三年ぶりだろう。
これは、魂に何か影響があったってことだろうか?
分からん!!
「いや、『コトラ=ハウナ=インジバル』様は、先日婚姻され、その名を『コトラ=ハウナ=フガニア』様に改められたよ。ご夫婦の間の御子も、もうすぐ生まれると聞いている」
あ?
婚姻した?
前回、この城下に来た時にはそんな話は全くなかった。
そろそろクソ王子の相手をどうするのかって話しか聞いていなかったのだ。
しかも、そのサードネームは……。
「そのお相手となった方の名前は、『イルザール=シャパル=フガニア』様。セントポーリア国王陛下から見れば、再従兄弟の方だね」
やはり、そいつか!?
年齢的にそのサードネームなら、その男以外は考えられなかった。
いや、いつの間に?
前回、来た時にはまだ独身だった。
それは間違いない。
だから、城門で会った時にオレは警戒したのだから。
「あの方、いつの間にか婚姻していたのか」
思わず、そう呟いていた。
それを栞の耳が拾ったらしい。
「でも、その方は王配候補だったのでは……?」
しかも、そんな余計なことまで口にしやがった。
だが、もうその可能性はない。
「『イルザール=シャパル=フガニア』様が、王配候補?」
あの時のオレたちの遣り取りを知らない兄貴が不思議そうな声で尋ねた。
セントポーリア城の入り口で会ったことは伝えている。
そして、「気付かれてないだろうな?」と確認されたのだ。
だが、オレがその言葉を栞の前で口にしたことまでは伝えてなかった。
「それは、栞ちゃんが女王にならない限りはあり得なかっただろうし、もうその可能性もなくなったよ」
オレもそう思う。
他の女を選んだ時点で、あの男が、王配となる未来はなくなった。
「まあ、わたしが女王になることはないでしょうからね」
栞が呑気な声でそう言った。
阿呆なことを言うな。
あのクソ王子がセントポーリア国王陛下の直系ではないことと、お前が唯一の子ということが同時に露見したら、即、女王への道が拓かれてしまうことを自覚しろ。
片方だけでも、その道は用意されるだろう。
それを栞が望んでいなくても。
そんな流れを避けるために、オレたちは今回の他国の貴族との婚姻の話を進めることにしたのだ。
他国で婚姻してしまえば、栞は完全にセントポーリアに縛られることはなくなる。
万一、離婚したとしても、一度、セントポーリアから離れているのだ。
セントポーリア国王陛下の王命がない限り、栞がセントポーリアの関係者たちの意思に従う必要はなくなる。
「そちらではなくて、『イルザール=シャパル=フガニア』様が『コトラ=ハウナ=フガニア』様と婚姻されたから、どうあっても王配にはなれないってことだよ」
「へ?」
「セントポーリア国王陛下もその話を聞いてホッとされていた。これで、妙齢のセントポーリア王族で、未婚なのは、ダルエスラーム王子殿下になったからね」
自分が女王になる可能性を全く考えていない、国王陛下の嫡子は明らかに動揺している。
本当に、全く、そのことを考えていないのはよく分かった。
オレとしてはそのことに安心したくなるが、少しぐらい頭に入れておいて欲しいとも思ってしまう。
「ああ、一応、15歳未満ならば、まだ男性王族はいるんだよ。だけど、栞ちゃんに釣り合う年代は、その方しかいないんだ。だから、セントポーリアの王位を狙うなら、女性王族である栞ちゃんを娶るのが一番近道ってことになるね」
「……おおう?」
兄貴の親切丁寧過ぎる説明に、珍妙な反応をする我が主人。
「そして、栞ちゃんが少し前……、そうだね、例えば、あの世界会合辺りで女王になる決心をしていれば、『イルザール=シャパル=フガニア』様は王配となるために、その夫の座を狙うことになったと思うよ」
ああ、そうだな。
神剣ドラオウスを抜いたタイミングだ。
その事実をもって、セントポーリア国王陛下は自分の子として認めることを、千歳さんに迫ることもできただろう。
だが、それをしなかった。
惚れた弱みというのは古今東西、面倒なものである。
そして、それを理解しているから、千歳さんは相当強かな女だとも思う。
この上ない証拠を突き付けられても、言質を取らせない。
尤も、セントポーリア国王陛下はとっくに栞が自分の娘だと分かっていた。
そうでなければ、その魔名のサードネームに「セントポーリア」を贈らない。
それは国王に近しい血筋の人間とその配偶者にしか与えることができない名前なのだから。
「『イルザール=シャパル=フガニア』様が、年上である『コトラ=ハウナ=インジバル』様を娶ったのもそんな理由だ」
兄貴はそう続ける。
分かりやすい政略婚姻だと。
「そして、子供がいれば、今代はともかく次世代の王位は狙える。ダルエスラーム王子殿下の転落を待つだけで良いから、簡単だろうね」
つまり、クソ王子は勝手に転がり落ちる、と。
同感だ。
これまで、国王陛下の唯一の嫡子だと思われているから、周囲も持ち上げる。
だが、そこで、強力な対抗馬が現れたら、そちらに賭けようとする勝負師も出てくるだろう。
それでなくても、気性が荒い本命馬だ。
ちょっとしたことで、簡単に勝負がひっくり返るのが目に見えている。
「えっと、話が分からないのですが?」
栞は本当に分からないらしい。
彼女が読んできた漫画の中には、そういった政争ものがなかったということだろう。
「『イルザール=シャパル=フガニア』様は野心家だ。ダルエスラーム王子殿下に王位を渡さず、自分がその座に座りたいと行動するぐらいにね」
「はあ……」
兄貴の言葉に、栞は分かったような分からないような曖昧な答えを返す。
件の男の野心の有無は分からないが、少し会話しただけでも、その黒さと強かさは感じた。
尤も、分かりやすくそれを客人に見せてしまっている時点で、底は深くないとも思う。
兄貴や大神官、情報国家の国王陛下に比べたら、その底は丸見えだ。
「だから、栞ちゃんの存在に気付かれなかったのは幸いだったんだ。そして、つい最近、顔を合わせたと知って、国王陛下はかなり焦ったらしい。栞ちゃんのことが露見したら、確実にその身を狙うだろうからね」
あの出会いは、国王陛下の差配ではなかったらしい。
そのことにホッとする。
単純に、国王陛下に気に入られた大神官の遣いに興味を持たれただけってことか。
まあ、確かに最初の案内は千歳さんだった。
彼女は国王陛下の秘蔵の女官だ。
それを遣わすような客人に興味は抱くか。
「野心家で、王位を狙っているような人なら……、確かに?」
栞にもその流れは分かるらしい。
この女の政治的なバランス感覚はとても不思議だ。
全く知らないわけではないのに、誰でも理解できる部分が欠けている。
同時に、鋭すぎて王族たちが返答に困るような指摘もするから、変に期待もしてしまうのだ。
本当にいろいろな意味で、厄介な主人である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




