護衛弟は考察する
「国で一番の人が……」
栞は考えたこともなかったのだろう。
十年ほど前、セントポーリア国王陛下が自室で落ち着いて休むこともできずに、部屋を転々としていたという兄貴の言葉に、信じられないというような声を漏らした。
「国で一番、その身を狙われる方だから仕方がないね」
「うわあ……」
寧ろ、被害は少ないほうだ。
セントポーリア国王陛下はああ見えて、立ち回りは悪くない。
周囲との調整をしつつ、被害を広がらせない努力をしている。
「そのために、俺は国王陛下から極秘で依頼を受けた。栞ちゃんたちと全く関係ない部分で直々に仕事を任されたのは初めてだったよ」
ちょっと待て?
その頃、兄貴は、10歳前後だよな?
それなのに極秘任務だと?
「噂をもっと強固なものにするために、城へ来るたびに、陛下の寝所で休むことになったんだ」
ああ、なるほど。
それは極秘だ。
そして、既に一度、周囲から誤解された兄貴が最も相応しい役目とも言える。
そのために、週末は帰らなくなったことも理解した。
「どうしてそうなるんですか!? それは、雄也の名誉とかを一切、考慮していない考え方ではないですか!!」
だけど、綺麗な栞には分からない。
そう思ったが、あることに気付く。
「陛下の名誉の方は心配しないんだね?」
父親であるセントポーリア国王陛下よりも、兄貴の方を気にしていることに兄貴も気付いたようだ。
「本人がそれを望んだのでしょう? 雄也は有能ですが、当時はまだ10歳未満で、名無し状態だったと思います。そんな相手をお稚児さんのように扱うリスクを陛下が全く考慮していないなんて酷いじゃありませんか」
今の兄貴で考えるから違和感はなかった。
だが、栞が言うように当時の兄貴もまだガキだったのだ。
意味が分からず、流されただけということもある。
そして、オレが知る限り当時の兄貴は、確かに不安定な面があった。
それは今のオレだから気付けたことで、もっとガキだった当時のオレでは気付くこともなかったのだけど。
「でも、雄也からすれば、国王陛下からの寵愛を受ける少年ってことで、やっかみを受けたでしょう?」
栞が言うように間違いなく、周囲から妬まれることになっただろう。
それは、恐らく今もある。
しかも、その時期は、千歳さんとミヤドリードの庇護から抜け出して、見知らぬ世界で足手纏いの弟を抱えつつ、周囲の環境を調えながら藻掻いている頃だ。
そんな時に、さらに城での立ち回りを考えなければならないのは、相当な負担だったことだろう。
「命を救われた対価としては、かなり安いと思うよ?」
だが、兄貴はけろりとした声でそう言った。
「それはそうなんですけど……」
でも、栞は納得ができない。
「この国で一番高貴な方の懐に潜り込む機会を、俺が見逃すと思うかい?」
思わない。
それぐらいは、当時のオレでも分かる。
そうでなければ、人間界で生活しつつ、セントポーリア城にも潜入なんてしないだろう。
「思いませんね」
栞もそう思ったらしい。
その声に迷いはなかった。
「しかも、寝所だ。ただの私室より価値が高い」
言うなれば、懐だ。
そこに楽に侵入できるなら、断る理由は確かにない。
監視の目があっても、それは承知のことだ。
寧ろ、二心なく仕えている様子を見せ付けるには絶好の機会だろう。
「まあ、同時に、夜更けにセントポーリア国王陛下の私室にいると、本人の在室、不在に関係なく、様々な女性たちが訪れることも知ったのだけどね」
国王陛下の寝所に滞在するというのはそういうことだ。
そこに来る訪問客の対処も任されることになる。
まあ、10歳ぐらいのガキに対して、大人気ないことをする女も少ないとは思うが、中にはアホなヤツもいる。
立場、状況も弁えない迷惑な客もいたことだろう。
考えるだけで、げんなりする。
「その後、人間界で言う週末時期になると、セントポーリア国王陛下が必ず私室にいるという話が広まった。その上、俺が応対することも増えることが知られると、少女と呼ばれる年代の女性が訪れることが増えたかな」
「少女?」
その時点で嫌な予感しかしない。
「これまで一切、そういった話が持ち上がらなかったセントポーリア国王陛下の寵愛を受けたのは、まだ10歳前後の少年だった。国王陛下がそういった趣味ならば、同じ年代の女性を……と思ったんだろうね」
いや、それだけじゃないだろう。
多分、兄貴を口説き落とせという命令を受けた女もいたはずだ。
医療知識がなくても、初経も来ていていないような年齢の女が妊娠しないことぐらいは多分、この世界でも知られている。
そうなると標的は兄貴だ。
セントポーリア国王陛下の寵愛を受けた従者……、使用人を操って、間接的に陛下に影響を与えようってところか。
「その親は何を考えているのでしょう?」
自分のことしか考えていないだろう。
「少年だと次世代に期待はできないからね。少女を送り込んで、あわよくば……という考えだろうね」
だが、兄貴は自分が狙われたことは言うつもりはないらしい。
まあ、当然か。
栞が知る必要はない話だ。
「それは、娘たちも承知して……ってことでしょうか?」
リスクと引き替えにして送り込んだ子供たちについては、教育、調教、洗脳のいずれかをしているとは思う。
あるいは、下位貴族が上位貴族に自分の子供の身柄を売り渡したり、庶民の娘たちを脅した可能性もあり得るが。
「どうだろうね? 流石に6歳の女児は何も聞かされていなかったと思うよ」
「ろくっ!?」
栞が驚くのも無理はない。
オレだって驚いたから。
いくらなんでも、それはアホだろう。
真面目な話、そんな年代の女に何ができる?
考えられるのは、洗脳魔法か?
操って、国王陛下に害を成す?
その上で、兄貴に罪を着せるとか?
流石にそこまでは考え過ぎか。
あるいは、世の中には小学生でも良いという変態もいるらしいからな。
送り込んだ相手も、陛下にそんな趣味があると誤解したのかもしれない。
誤解であってほしい。
だが、誤解にしても、6歳のガキがあの陛下を口説けるかもしれないと、本気で信じるなんて、頭がイカれているとしか思えないが。
「俺が陛下の私室入り口で応対した女性は、下は6歳、上は50歳までだったかな。独身、既婚に関係なくいたよ」
兄貴が私室の入り口で応対しているということは、当然ながら寝所には一切、招き入れていないことになる。
「身分もいろいろだったね。庶民の中でも俺たちのような孤児もいたし、裕福な家の娘もいた。他にも貴族の令嬢、夫人、庶子と国中から集めたのかと思うほどいろいろな女性がいたかな」
それだけ、陛下の好みが読めなかったと言うことか。
兄貴が寝所に入り浸るようになったことで、送り込む女をガキばかりに変えたのもそういった理由からだろう。
「未婚の女性王族もいたよ。ダルエスラーム王子殿下の婚約者候補として名前が上がるまではよくお会いしていた」
その言葉で思い当る女が一人だけいる。
―――― コトラ=ハウナ=インジバル
良く言えば慎み深く控えめ。
悪く言えば自己主張をしない女だと記憶している。
父親の言うがままに行動し、クソ王子の婚約者候補となった時も、年齢を理由に反対することなく受け入れたと兄貴からも聞いていた。
その母親がセントポーリア国王陛下の父方の従兄妹だから、クソ王子から見れば、再従姉弟になるはずだ。
その父親が問題なんだよな。
兄が財務大臣なんて役職についているから、妬みと僻みが酷く、かなり拗らせていて、もう少し早く生まれていれば、間違いなく正妃は自分の娘だったとかなり厳しい教育を施していたと聞いている。
だが、正妃はセントポーリア国王陛下から見れば従兄妹で、その女は従姪だ。
その血の濃さから、早く生まれていたとしても難しいだろう。
正妃の方が、セントポーリア国王陛下よりも年上であることからも、それは分かる。
「日陰の身になるけれど、その女性王族がセントポーリア国王陛下の子を産むことができれば、正妃殿下に対抗できる……、そう考えた方が多かったんだろうね。尤も、それをセントポーリア国王陛下は受け入れなかった」
確かにセントポーリアでは第二王妃という地位はない。
だから、愛妾となるしかないわけだが、それでも、クソ王子に対抗できる子供を産むことができれば話は別になる。
だが、それをセントポーリア国王陛下が受け入れたら、確実に、国が荒れただろう。
「本人は、セントポーリア国王陛下の愛妾になることを願っていたのでしょうか?」
栞がそう確認する。
それはないと分かっていても、確かめずにはいられなかったようだ。
「本人にそんな野心はなくとも、この国では貴重な女性王族だからね。正妃殿下に唯一対抗できると思われていたらしい」
いや、思われていたではなく、間違いなく対抗できる立場だ。
確かに血は少し薄いが、魔力を見ればそこまで劣るものではない。
正妃に何かあれば、継妃にもなれたことだろう。
だが、その手段は選ばなかった。
正妃が何かの理由があって、その座に留まれなくなっても、その女がセントポーリア国王陛下の寵愛を得られるとは思わなかったのだろう。
だから、先に既成事実を作らせようとしたのだと思う。
貴族ってやつは本当に面倒だ。
自分の子すら、道具にするしかない。
そして、そんな世界で自分が生き抜ける気はしなかった。
セントポーリアではなく、別の国の金髪碧眼の国王陛下の顔を思い浮かべながら、オレは改めてそう思ったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




