気付かれなかった存在
「その女性王族の方は、今でもダルエスラーム王子殿下の婚約者候補なのですか?」
数少ないというセントポーリアの女性王族について、雄也さんに確認してみる。
その女性王族は、ダルエスラーム王子殿下との年齢差を考えると、とっくに30歳を超えているはずだ。
それなのに、候補のまま、今も婚約者になっていないというのならば、気の毒すぎると思う。
そして、王族の婚約者候補でいる間は、他者との婚姻も許されないだろう。
「いや、『コトラ=ハウナ=インジバル』様は、先日婚姻され、その名を『コトラ=ハウナ=フガニア』様に改められたよ。ご夫婦の間の御子も、もうすぐ生まれると聞いている」
あれ?
先日婚姻して、既に子供がもうすぐ?
つまりは、婚約者候補から外れ、婚前交渉をしてからの子供ってことだろうか?
いや、この世界で婚前交渉自体は別に珍しくはないとは思うけれど、セントポーリアの女性王族としては、かなり少ない気がした。
「そのお相手となった方の名前は、『イルザール=シャパル=フガニア』様。セントポーリア国王陛下から見れば、再従兄弟の方だね」
「あれ?」
その名前に覚えがあった。
それは確か……。
「あの方、いつの間にか婚姻していたのか」
左横で小さく呟かれた低い声。
そうだ。
確か、九十九とセントポーリア城に行った時、門番をしていた人じゃなかったっけ?
「でも、その方は王配候補だったのでは……?」
その時、九十九がそんなことを言っていた覚えがある。
「『イルザール=シャパル=フガニア』様が、王配候補?」
だけど、雄也さんが不思議そうな声で尋ね返す。
「それは、栞ちゃんが女王にならない限りはあり得なかっただろうし、もうその可能性もなくなったよ」
少し間を置いて、雄也さんはそう言った。
「まあ、わたしが女王になることはないでしょうからね」
ちょっと腑に落ちないままではあるけれど、わたしはそう答える。
「そちらではなくて、『イルザール=シャパル=フガニア』様が『コトラ=ハウナ=フガニア』様と婚姻されたから、どうあっても王配にはなれないってことだよ」
「へ?」
どういうこと?
いや、わたしが女王になることはないですよ?
「セントポーリア国王陛下もその話を聞いてホッとされていた。これで、妙齢のセントポーリア王族で、未婚なのは、ダルエスラーム王子殿下になったからね」
さらにどういうこと!?
でも、セントポーリアの王族が傍系まで含めてその数がかなり少ないってことは分かった。
それは確かに、セントポーリア国王陛下に女性を送り込みたくなるだろう。
あまりにも数が少なすぎるのだ。
さらにいえば、大気魔気の調整も大変になってしまう理由もよく理解できた。
「ああ、一応、15歳未満ならば、まだ男性王族はいるんだよ。だけど、栞ちゃんに釣り合う年代は、その方しかいないんだ。だから、セントポーリアの王位を狙うなら、女性王族である栞ちゃんを娶るのが一番近道ってことになるね」
「…………おおう?」
その部分は理解できる。
セントポーリアの王族は血族婚が多いから。
でも、なんで、九十九はあんなことを言ったんだろう?
「そして、栞ちゃんが少し前……、そうだね、例えば、あの世界会合辺りで女王になる決心をしていれば、『イルザール=シャパル=フガニア』様は王配となるために、その夫の座を狙うことになったと思うよ」
「へ?」
雄也さんの言葉に、目が点になった気がした。
わたしが女王になる決心をしていれば?
しませんよ?
そして、その時点では、見知らぬ殿方を夫にする気もなかったと思いますよ?
「『イルザール=シャパル=フガニア』様が、年上である『コトラ=ハウナ=インジバル』様を娶ったのもそんな理由だ。そして、子供がいれば、今代はともかく次世代の王位は狙える。ダルエスラーム王子殿下の転落を待つだけで良いから、簡単だろうね」
だけど、雄也さんは構わず話を続ける。
しかし、何気に酷いことを言っている気がするのは気のせいか?
「えっと、話が分からないのですが?」
「『イルザール=シャパル=フガニア』様は野心家だ。ダルエスラーム王子殿下に王位を渡さず、自分がその座に座りたいと行動するぐらいにね」
「はあ……」
そこはなんとなく、理解した。
そして、非公式ながら王族の血を引くわたしを妻にすれば、少なくとも、次世代は王位に就く可能性が高くなることも分かる。
だけど、わたしが女王というのがやはり分からない。
前々から思っているけど、雄也さんはそうしたいんだろうね。
それとなく、吹き込まれているから。
でも、九十九はそんなことを一度も言わない。
だけど、「王配候補」の話は九十九の口から聞いたのだ。
訳が分からない。
「だから、栞ちゃんの存在に気付かれなかったのは幸いだったんだ。そして、つい最近、顔を合わせたと知って、国王陛下はかなり焦ったらしい。栞ちゃんのことが露見したら、確実にその身を狙うだろうからね」
「野心家で、王位を狙っているような人なら……、確かに?」
わたしと婚姻すれば良いのは理解できる。
「栞ちゃんがセントポーリア国王陛下の娘、あるいは王族の血が流れていると気付かれた時点で、すぐに『コトラ=ハウナ=インジバル』様のように婚姻前に妊娠するようなことをされていたと思うよ」
「ふぐぇっ!?」
自分でもどうかと思うほど、変な声が出た。
そうか。
公式的にはセントポーリアの女性王族で、すぐに子供を生めそうな人が、その「コトラ=ハウナ=インジバル」さまという方しかいなかったのだ。
「え? もしかして、手っ取り早く婚姻するために、『コトラ=ハウナ=インジバル』さまとの間に子供を作ったってことですか?」
先ほどの雄也さんの言葉からそんな気がした。
俗に言う既成事実ってやつだ。
「そうらしいね。かなり強引だったようだよ。だから、婚約期間もなく、一足飛びに婚姻となったそうだ」
「うわ……っ」
そんなことをした「イルザール=シャパル=フガニア」さまの行動も怖いが、それを何故か知っている雄也さんはもっと恐ろしく思えてしまう。
そういったことって、内々、内密に行うだろう。
周囲に知られたら、醜聞……、いや、非難囂囂だと思う。
「ダルエスラーム王子殿下が行動に出る前に、『イルザール=シャパル=フガニア』様が動いたってことになるかな」
さらに雄也さんはとんでもないことを、世間話をするかのように続ける。
「そ、それは……」
「ダルエスラーム王子殿下も、まずは25歳になる前に、譲位の条件を整える必要があるからね。『イルザール=シャパル=フガニア』様は先にそれを阻止したってことかな」
つまり、ダルエスラーム王子殿下も「コトラ=ハウナ=インジバル」さまという女性王族の身を狙っていたってことだ。
いろいろとゾッとしてしまう。
わたしよりもずっと年上の会ったこともない女性王族は、そんな状況をどんな思いで受け入れたのだろうか?
いや、受け入れられるはずがない。
少なくとも、わたしには無理だ。
好きでもない男性との間に子供を作るなんて、なんの覚悟も、なんの準備もなしにできる気がしないから。
「このままダルエスラーム王子殿下がどなたとも婚姻されなければ、イルザール=シャパル=フガニア様とコトラ=ハウナ=フガニア様との間に生まれる子が王位を継ぐ可能性が出てくる。まあ、その前にセリム=ラント=ヴァイカル様と婚姻されるだろうけどね」
話の流れから、その女性は多分、もう一人の婚約者候補である15歳年下の女性だ。
ダルエスラーム王子殿下が25歳の時点でも10歳。
まあ、すぐに子供を作ることはしないだろうけど、そのセリムさまも気の毒な話だとは思う。
だけど、わたしが身代わりになる気はないのだ。
「ただ……、無事に生まれてきても、長く生きれるかは分からない」
「へ?」
雄也さんの声が一段と低くなる。
「生まれてくる子が女児なら、生かされるだろう。ダルエスラーム王子殿下の新たな婚約者候補、あるいは他の血が遠い男性王族の婚約者として。でも、男児なら……、多分……」
「殺される……ってことですね」
雄也さんは言葉を濁してくれたが、それぐらいはわたしにも分かる。
邪魔だから殺す。
自分の子を王位に付けるためにその対抗馬となりそうな人間を殺すなんて話は人間界の歴史でもあったことだ。
さらに言えば、昼間、話を聞いたローダンセだって、そんな血を血で洗うような歴史が何度も起きている。
「血筋に関係なく、セントポーリア国王陛下の後釜を狙おうとしている者たちはいる。王族の血の価値が分からない人間たちは、王子殿下とはいっても無能な者にこの国を渡したくはないのだろう。まあ、そっちの方が国……、いや、大陸の崩壊は早いだろうけどね」
王族の血とその魔力の価値が分かっていなければ、あまり役に立っていない上に、贅沢ばかりする王族を排除しようとする動きがあってもおかしくはない。
そして、その結果、大気魔気の調整ができなくなってしまえば、ウォルダンテ大陸のようにシルヴァーレン大陸は、その生態系を含めて環境が大きく変わってしまうだろう。
「ダルエスラーム王子殿下の評判は、この三年で地に落ちてしまったからね。だから、セントポーリアの王族に相応しくないという声が大きくなった。自国だけでなく、他国からもね」
「それは……」
それが、何のことを意味しているかが分かってしまった。
三年前にわたしはダルエスラーム王子殿下と出会って……、今も尚、その行方を探されている。
その上、各国にわたしを探すために手配書というものをバラまいたことで、他国で耳にする評判も良くない。
「まあ、栞ちゃんには関係のない話だよ」
雄也さんはそう言うが、はたして、本当にそうなのだろうか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




