悪い噂
「そんなわけで、俺は十年以上昔の話ではあるけど、陛下の寝所で一晩……、いや、意識を失っていた時間も含めると二晩、休ませていただいたことがある。そして、その結果、暫くの間、陛下の愛人扱いされることになったのはちょっとした余談だね」
「は?」
雄也さんの予想外の言葉に思わず、わたしは短く聞き返してしまった。
そして、同時に、わたしの左横から勢いよく大量の息を吐き出したような物凄い音が聞こえた気がする。
どうやら、血の繋がった弟にすら話したことはなかったらしい。
「あの……、セントポーリア国王陛下も雄也さんも殿方だと認識しているのですが……」
それが、何故、愛人扱いになるのだろうか?
しかも、回復のためって知っているはずなのに?
「さっきも言ったけど、あの頃の陛下は久しく自分の寝所で休めていなかったらしいんだよ。それは俺も知らなかったんだけどね。それなのに、若い男と二晩も一緒に過ごしたんだ。悪事千里を走るという言葉があるように、悪い噂ほど、すぐに広がってしまうらしい」
「いや、若いって……、十年以上前、つまり雄也が10歳未満ならば、まだ幼いと言っても良いような気がしますけど……」
そんな年代なら同じ部屋で一緒に寝たとしても、微笑ましいとなる気がする。
しかも、小学生とその親ぐらいの年の差だよね?
だから、そんな話になるのは早計なのではないだろうか?
「どの世界にも『稚児』趣味というものはあるんだよ」
「理解しました」
この世界にもあるのか。
そんな若い少年を男色の対象にしてしまうような趣味が。
そう言ったものは、漫画や小説の中だけで十分だと思うんだけどな~。
現実に持ち込まないでほしい。
同性愛が許せないわけではなくて、単に年齢の話だ。
十歳未満の少年少女をそういった対象で見るなんて、信じられない。
「それに、あの頃の陛下は、女性に興味がないとも思われていたらしい」
「へ?」
陛下が女性に興味がない?
そんなはずはないと思ってしまった。
不本意ながらわたしがその証明だろうし、何より、世間一般の視点でもダルエスラーム王子殿下という存在がある。
女性に興味がないなら、子供なんて作れないとは思わないのだろうか?
「そんな環境で若い男を二日も寝所に引き込めば、そんな噂が立ってしまうのは避けられないとは思うよ」
「だけど、それはセントポーリア国王陛下に対しても不敬ではあるし、雄也にも侮辱となりませんか?」
事実なら問題はない。
自分たちの頂点、王という存在の動きは気になるものだろうから。
だけど、先ほどの話は、明らかにそうではない話であり、悪意ある形で捻じ曲げられている気がする。
「陛下は虫除けになって丁度良いと笑っていたよ。あの当時はこれで、堂々と部屋で休めるとも言っていたかな」
「へ?」
「俺もあの頃は意味が分からなかったんだけどね。暫くすると、陛下が部屋で休めない理由を嫌でも理解させられたよ」
なんだろう?
それだけ、お仕事が忙しかったのだろうか?
あの頃は、母がいなかった。
セントポーリア国王陛下は、文官たちと共にあれだけの仕事をしなければいけなかったのだ。
それは確かに、休めないかもしれない。
「未婚女性で血縁でもある栞ちゃんにこんなことを言うのはどうかとも思うけれど、知っておいた方が良いかな。後で、全くの他人から変な形で聞かされるのも業腹だしね」
雄也さんはそんな意味深なことを言う。
「陛下の元には、今も昔も、正妃殿下の目を盗んで、様々な女性が派遣されているんだ」
「派遣って……、女官ってことですか?」
セントポーリアで、事務仕事ができる女性がそんなにいたのだろうか?
少なくとも、わたしは母以外で事務仕事を手伝っている女性を見たことがない。
しかも、正妃の目を盗んで?
仕事なら、母のように堂々とすれば良い話だよね?
正妃殿下は、それすらも許さないような人なのだろうか?
「女官というよりも女官だね。中宮は無理でも、女御や更衣を狙おうという野心家が少なからずいるんだよ」
雄也さんがわざわざ言い直してくれたことで、わたしもその意味を理解することができた。
つまりは、愛人さんを狙っているということらしい。
セントポーリアは一夫一妻制だ。
だけど、表立って妻にできなくても、愛人さんとして周囲に内緒でこっそり囲うことならできるのだ。
平安時代、中宮は正妃である皇后に近しい地位であった。
女御や更衣は宮中に仕える女性で、まあ、天皇の……、いわゆるお手付きというやつになる確率が高い職業だったらしい。
そして、正妃の目を盗む……、という理由にも繋がるわけだ。
見つかったら、どうなるか分かったものではない。
だから、母もわたしを生むときに城から離れていたのだろうし。
「陛下はそれが嫌で、特定の部屋で休むことをしなかったそうだ。万一、正妃殿下に見つかれば、何もなかったとしても、相手の女性に迷惑がかかるからね。周囲から身を隠すようにいろいろな部屋を転々としていたらしい」
「国で一番の人が……」
宿無しのようなことをしていたということになる。
でも、セントポーリア国王陛下は相手の女性のことまで考えていたのか。
自分の意思か、周囲の判断かは分からないけれど、陛下の意思を無視して勝手に訪れているのだから、それ相応の覚悟はしていたことだろうに。
だけど、母はどうだっただろうか?
陛下を受け入れる時に、ちゃんと覚悟はした?
それとも、若かったから感情だけで突っ走った?
その辺が分からない。
わたしは母が好きだし、尊敬はしているけど、陛下を受け入れた判断に関しては、ちょっと納得できていないから。
いや、それがなければ、自分の存在もないってことはちゃんと理解はしているのだけどね。
でも、その答えについて、母自身にわたしは今も聞けないでいる。
母の口からどんな回答をされても、複雑な気分になることも分かっているのだから。
「国で一番、その身を狙われる方だから仕方がないね」
「うわあ……」
でも、謎の説得力があった。
国で一番の地位。
そんなものに群がる人間は少なくない。
「そのために、俺は国王陛下から極秘で依頼を受けた。栞ちゃんたちと全く関係ない部分で直々に仕事を任されたのは初めてだったよ」
それはずっと、わたしたちを見守ってくれたってことだ。
記憶を封印する前も、記憶を封印してからも。
人間界にいる間も、人間界からこの世界へ来た後も。
彼らはわたしが知らなくても、知ってからもずっと守ってくれている。
そんな風にしんみりしていたのだけど……。
「噂をもっと強固なものにするために、城へ来るたびに、暫くの間、陛下の寝所で休むことになったんだ」
「どうしてそうなるんですか!?」
噂を強固に?
どうしてそんな発想になるのか!?
「それは、雄也の名誉とかを一切、考慮していない考え方ではないですか」
「陛下の名誉の方は心配しないんだね?」
「本人がそれを望んだのでしょう? 雄也は有能ですが、当時はまだ10歳未満で、名無し状態だったと思います。そんな相手をお稚児さんのように扱うリスクを、陛下が全く考慮していないのは酷いじゃありませんか」
噂を強固にすると判断したのは本人だ。
その時点、自分の名誉とかそう言ったものはぶん投げているのだろう。
だけど、何の後ろ盾もなく、若年でまだ無名の雄也さんからすれば、国王陛下を誑かした少年と取れる。
城内での信用、信頼は得られなくなるだろう。
今のような色香はなくても、小学校の頃、雄也さんは二学年下のわたしたちの間で話題になったことがあるほど、人気がある先輩だった。
わたしは同級生のお兄さんとしてしか認識していなかったし、噂は耳にしても、直接会ったことはなかった。
遠目から見かけたことがあるぐらいだろうか。
今にして思えば、それも不自然なんだよね。
もしかしたら、雄也さんの方は、わたしとの接触を避けていたのかもしれない。
「でも、雄也からすれば、国王陛下からの寵愛を受ける少年ってことで、やっかみを受けたでしょう?」
だが、女性でなかったためか、正妃殿下も判断に困ったとは思う。
女性なら子を産む可能性はあるが、男性ではありえない。
性転換する魔法があれば別だが、この世界でそんな発想を持つ人間は……、精霊族でなければ無理だろう。
城にいる高貴な女性にそんな知識はないと思う。
だから、ある意味、敵にはならない。
寧ろ、他の女性への牽制となると判断して、見逃したか?
でも、同じように愛情を抱くなら、異性よりも同性に持つ方が、本物っぽいと思うのはわたしだけだろうか?
「命を救われた対価としては、かなり安いと思うよ?」
「それはそうなんですけど……」
そこを国王陛下が利用したってことか。
雄也さんから断りにくい状況を作り出したのかな?
まあ、雇用主の意思に真っ向から逆らうことなんて、雄也さんでもできないだろうけど。
「この国で一番高貴な方の懐に潜り込む機会を、俺が見逃すと思うかい?」
「思いませんね」
どうしよう?
10歳未満の雄也さんの話だというのに、今の雄也さんで想像してしまう。
この人なら、その年代でそんなことを考えてもおかしくはないと思ってしまうのだ。
10歳未満のわたし?
そんな駆け引きなど知らずに、呑気に日々を過ごしていた気がしますよ?
「しかも、寝所だ。ただの私室より価値が高い」
どこの国の部屋でも、寝所は私室の中でも奥まったところにある。
しかも、セントポーリア国王陛下は、勉強家だ。
その私室には執務室以上に蔵書があることを知っている。
召喚魔法を使えるこの世界の住人達も、原書は保管し、複製品をいつでも手に取れる場所の書物として置いていることもある。
セントポーリア国王陛下の要請通り、寝所に出向いて、そこで嬉々として様々な本を読みふける雄也少年の姿を想像してしまった。
「まあ、同時に、夜更けにセントポーリア国王陛下の私室にいると、本人の在室、不在に関係なく、様々な女性たちが訪れることも知ったのだけどね」
そして、雄也さんは、さらにわたしが反応に困るようなことを口にしたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




