一生分からないままで
「栞、起きてるか?」
栞の部屋の扉を三回ほど叩いた後、確認する。
起きているのは分かっている。
だが、返答がなければ踏み込むことはできない。
『起きてるよ』
自分の身に起きている現象に混乱しているだろうに、その声はいつも通りだった。
「開けて良いか?」
嫌がるなら、開けない。
隠したいなら、それでも良いのだ。
兄貴とこのコンテナハウスの結界を強化するだけのことである。
栞の体内魔気の大放出は予想外のことではあるが、風属性の結界を強化するだけで解決する程度の話だった。
まあ、魔法よりも混じり気のない風の気配であるため、誤魔化すのは細心の注意を払う必要はあるが、幸いにして、周囲の大気魔気も風属性なのだ。
ローダンセにいるよりは、やれることも多い。
「どうぞ」
その平坦な答えを聞いて、オレはその扉を開ける。
「……どうぞ、じゃねえ」
だが、目に入った光景に一瞬、混乱し、状況把握が遅れてしまった。
「布団に収まっていたなら、ちゃんと断れ。安易に受け入れるな」
栞は寝台にいたのだ。
「上半身は起こしているのに、布団に収まっていることになるの?」
確かに、上半身を起こして、オレを見ている。
だが、その方が、オレにとっては質が悪いとしか言いようがなかった。
完全に倒れていれば、状況確認した上で、何も余計なことを考えずに心配することだけで良かっただろう。
「せめて、応えるなら布団から出とけ!」
だが、オレは栞のことが好きなのだ。
好きな女が寝台の上で顔を綻ばせている。
普通の男ならどう思うか?
「お前が残念な女だと知らない男なら、閨の誘いと受け取る!!」
思わずそう叫んでいた。
栞に悪気はないことは分かっている。
それだけオレが信用されていることも。
だが、毎回毎回、心と理性と男としてのナニかが、激しく揺さぶられるオレの身にもなって欲しい。
「そうなのか。気を付ける」
意外にも栞はオレの言葉を受け入れる。
いつもなら、不思議そうな顔をするのに。
まだ本調子ではないことが、こんな短い遣り取りだけでも理解できる気がした。
「ところで、入らないの?」
いや、その状態でさらに誘うなよ。
やっぱり、この女は何も分かってねえ。
だが、できればそのまま、一生、分からないままでいて欲しいとも思ってしまう。
オレは勝手だな。
「寝台から降りられないほど、身体はきついか?」
それなら、その状態は仕方ないとは思う。
「いや、大丈夫だよ」
だが、素直に栞はそう返答した。
「なら、寝台からまず降りろ。話はそれからだ」
オレがそう言うと、彼女は微笑んだ。
まるで、仕方ないな~とでも言うように。
「よっこらしょっと」
「…………」
いろいろ思うところはある。
だが、これだけは言える。
年頃の女として、男の前で「よっこらしょ」はねえ。
オレのことが全く異性として範囲外であっても、「よっこらしょ」は絶対にねえ!!
オレは思わず、頭を押さえたが、同時にこれでこそ高田栞だとも思ってしまった。
異性の前でも取り繕わない。
だけど、そのどこかズレたところも可愛いから、何も言えねえ。
「何用?」
そんな複雑な気持ちにも気付かず、栞は側に来て用件の確認をする。
その不思議そうな黒い瞳には、平凡な男の姿が映っているだけだ。
「これ……」
なんと言って良いか分からず、オレは兄貴から預かった物を栞に手渡す。
「これは……、五代目?」
「……おお」
オレ専用だったのを三代目と呼び、その後に渡した通信珠を四代目と言っていた覚えがある。
三年でそれだけ買い替えているのは、貴族でもそう多くないだろう。
それでなくとも、安い物ではないのだから。
「ノーマルだね?」
その蛋白石のような小さな珠を見ながら、栞はそう呟いた。
ノーマル。
普通、標準、正常……、つまりは未加工品。
その言葉で、栞が何を言いたいのかは分かる。
「もうオレ専用は必要ないだろ?」
以前よりも栞は強くなった。
多少のピンチも自分で乗り切れる程度に。
少なくとも、オレが異常を察して、栞の元へ行くまでの時間稼ぎぐらいは可能だろう。
「うん」
だけど、そう言って笑う栞に複雑な思いがないわけではない。
オレの力はもう要らないと、そう否定された気がしてしまったのだ。
栞がそう思っているはずがないのに。
尤も、以前、使っていた物も戻ってくると兄貴は予測していた。
だから、「オレ専用」も戻ってくるのだろう。
その時は、どんな反応を返してくれるのだろうか?
「新しいのを準備してくれて、ありがとう」
「礼なら兄貴に言ってくれ。毎回、準備しているのは兄貴だ」
「うん、分かった」
どれだけストックしているのか、オレも知らない。
恐らく、製造国で手に入れているのだろうけど、そう簡単に買えるほど安い物でもないのに。
いや、オレも自分で購入しているし、何なら予備だって持っている。
それでも、オレの準備は多分、兄貴ほど万全ではないだろう。
「でも、九十九が手渡してくれているんだから、九十九にも言っても良いでしょう?」
栞は些細なことでも気付くし、感謝する。
オレ自身が気にしないことであっても、御礼を言う女だ。
この辺りは、千歳さんの教育の賜物なんだろうなと思う。
「好きにしろ」
貴族令嬢ならば、侮られる要因にはなる。
だが、悪い習慣ではない。
それに、栞はその侮り、嘲りをひっくり返すものをいくらでも持っているのだ。
逆に見る目がない人間たちを浮き上がらせることもできるだろう。
だから、余計なことは言わない。
栞の良さを殺す必要もないしな。
「調子はどうだ?」
「ん~? なんか変なのは分かるんだけど、どう変なのかが上手く説明できる気がしないんだよね」
オレの確認に対して、栞は首を傾げながらもそう答える。
「九十九には分かる?」
栞がどこか不安そうな顔でオレを見た。
「確信は持てなかったが、改めて見ると、体内魔気が必要以上に放出されている」
「ほへ?」
兄貴もそれを感じたのだから、オレだけが分かる感覚ではないのだろう。
そして、こうして栞と会えばはっきり分かる。
「今はそうでもない。だが、オレたちからお前が離れた後、放出され始めた気がした」
それが、オレが近付いただけで、体内魔気の放出がかなり落ち着いた。
それでも、今もいつもよりは放出されている。
だが、それは魔法と異なり、大気魔気に混ざることなく、栞の周囲に留まっているようだ。
やはり、身体強化に近いと考えた方が良いだろう。
「なんと!?」
この反応から、当人にその自覚がなかったことがよく分かる。
自分の状態がおかしなことは分かっていても、どんな感じかを説明できなかったのだ。
完全に無意識ということになる。
そして、それも納得だ。
オレだって、日頃、自分がどれぐらいの強さや量の体内魔気を放出して、自分の身を守っているかなんて考えたこともない。
栞を見なければ、それを意識することもなかっただろう。
「今、お前自身の感覚としてはどうだ?」
オレの確認で、栞は自分の腕を見て、身体をペタペタと触っている。
肩や腕、百歩譲って腹や腰はともかく……、胸元を触るのは止めて欲しい。
幸い、栞は身体の線が分かるような部屋着ではないが、それでも触れている所につい、目を向けてしまうのだ。
これは、オレが変態とかではない。
栞の行動を目で追う以上、自然なことだ。
「確かに、さっきまでよりはマシかもしれない」
確認し終わった栞のその表情と声に驚きの色があった。
そして、オレや兄貴の仮説がそこまで的外れではなかったのなら、試してみたいことが生まれる。
「ちょっと手を出せ」
オレにそう言われると、栞は素直に両手を出す。
どうして、この女はオレを疑わないのか?
そう思ったが、この状況で変に猜疑心を抱かれても面倒なだけである。
差し出された栞の白く柔らかい手を握った。
「ぬ?」
自分の変化が分かったのだろう。
栞は奇妙な声を出した。
感応症が働くことで、栞の状態が落ち着くなら、自然に漏れている体内魔気以上にオレの魔力を与えてみたらどうなるだろうか?
だが、ここでオレにとって思わぬことが起きたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




