大気魔気の浄化
「貴族の責務という話なら、ローダンセ城の契約の間について、伺ってもよろしいですか?」
話を変えるべく、そう切り出す。
二人が、分かりやすくその表情を変えたから、やはり、先ほどの話はそれ以上追求しない方が良いのだろう。
「ローダンセ城の契約の間の何を知りたい?」
雄也さんは微笑みながらそう言った。
これは誘いだと思う。
この人が、わたしの聞きたいことに気付いていないはずがない。
「ルーフィスさんとヴァルナさん、セヴェロさんの『掃除』の内容について知りたいです」
ずっと気になっていた。
だけど、「掃除」という言葉以上のことを教えてもらえなかったのだ。
でも、ローダンセ城から離れている今なら、教えてもらえる気がする。
「前にも言ったと思うけど、契約の間に籠っている大気魔気の浄化だね」
ぬ?
思ったよりもあっさりと言ってくれたけど……。
「大気魔気の浄化? 調整ではなく?」
「浄化だね。調整は浄化しなければできないから」
そうなのか。
いや、浄化?
つまり、本当に掃除だった?
空気清浄機みたいに?
あれ? でも、大気魔気の調整自体が空気清浄機みたいなものなんじゃなかったっけ?
「あの契約の間には、やはり、神気穴があるのだと思う。俺にはそれを視る眼がないから断言はできないけどね。あの大気魔気の濃さはセントポーリア城にある契約の間にとてもよく似ている」
それはわたしも思っていた。
水属性の濃密な気配。
あの部屋に入るたびに、水に包まれる感じがするのだ。
だけど、息苦しさもない。
それらは、ルーフィスさんやヴァルナさんが調整した結果だと思っていた。
「あの部屋には大気魔気だけでなく、残留思念と思われるモノも集まってくるんだよ。多分、あの部屋が『懲罰の間』として使われていた期間が長すぎるからだろうね。しかも、魔力暴走を起こした王族を処刑するための部屋としても使われている」
そう言えば、真央先輩がそんな話をしていた気がする。
あれ? でも、それって60年ぐらい前の話だったよね?
そんな昔からの想いが、今も、あの部屋に残っているってこと?
「その残留思念と呼ばれる魔力の塊は、体内魔気よりも大気魔気に性質が似ているんだよ」
そうなると、人の想いは自然に還るってことだろうか?
でも、そのほとんどの想いは、魂と共に、聖霊界へと送られるはずだ。
少なくとも、神官たちの世界ではそう認識されている。
「そのためか、負の感情がその場に残ってしまうと、周囲の大気魔気を汚染してしまうらしい。『吸魔石』と呼ばれる魔石で、その汚染された大気魔気ごと吸い込んでいるんだけど、暫くすると、すぐにまた汚染が始まってしまうみたいだね」
なるほど。
それが、浄化ってことか。
本当の意味で、空気清浄をしているらしい。
大気魔気の汚染……。
それはそれで問題だろう。
「浄化魔法は駄目なのですか?」
「空気の汚れではないからね。やってみたけど、効果はなかった」
わたしが考える程度のことは既にやっているのか。
でも、あの謁見直後、急に契約の間に案内されても、雄也さんと九十九は掃除をすると言いながら、わたしとアーキスフィーロさまを置いて中に入っている。
残留思念については、予想していたんだろう。
「あの契約の間の壁か、床に死体が埋まっている気がするんだよな」
「事件だ!?」
なんか、少年探偵漫画にそんな話があった気がする。
それが、新たな事件を引き起こしたのだ。
あれは、結構、ホラーだった。
「阿呆。どの国も城にある契約の間の壁や床はそう簡単に壊すことはできん」
そして、雄也さんは九十九の考えを否定する。
「そうは言うけど、あんなに負の感情に満ち溢れた残留思念が散らしても、短期間ですぐに集まるなんておかしいだろ?」
だが、雄也さんに否定されたぐらいでは素直に引き下がらない。
少なくとも、九十九はそう思っているようだ。
壁や床に遺体……、ねえ……。
そんなことをするのは犯罪者ぐらいだろう。
そして、魔力を暴走させた王族の処刑ということは、一応、罪人として裁いているのだと思う。
処刑されるほどの罪かと問われたら……、暴走の規模によるだろう。
わたしが「音を聞く島」で祖神変化を起こした時、大量の精霊族たちを大怪我させてしまっている。
それと似たような事態を引き起こしていたら、確かに名分はあるのだ。
つまり、それを隠す理由ってないよね?
処刑する理由もあり、処刑される事実もあるのだ。
ご遺体だけ隠すのはおかしいだろう。
ああ、でも、真央先輩が言っていた。
そうやって処刑することで、大気魔気の調整をしていた時代があるって。
それが、60年ぐらい前?
120年前からは離れているし、50年前の政変からはちょっとだけずれている時代。
「推測ではあるが、それらの人間たちに対して、葬送の儀を行っていないのだと思う」
「ああ、そういうことですか」
雄也さんが言う「葬送の儀」は、この世界で言う葬儀のことだ。
神官たちの祈りにより、亡くなった人間のその魂を聖霊界に送り、少しだけ魂石と呼ばれる魔石にその想いの一部を移すという。
ストレリチア城下に並んでいる神殿と呼ばれる所で葬送の儀と呼ばれる儀式を行い、神祀宮……、火葬場みたいな施設があって、そこに遺体を安置していると、大気魔気に還るというのは楓夜兄ちゃんから教えられ、その後に恭哉兄ちゃんからも聞いている。
「魂が聖霊界へ送られないと、肉体も大気魔気に還ることができないらしいですからね」
大神官である恭哉兄ちゃんが言うには、魂が人界に縛られると、それが肉体にも影響を及ぼすことになるらしい。
葬送の儀を行って、神祀宮に聖柩と呼ばれる棺を二日ほど置けば、髪の毛だけを残して肉体が完全消失する。
火葬よりも時間はかかるけれど、骨も残らない。
だから、生きた痕跡を残すために、魔石に想いを移して墓柱に嵌めるらしいのだけど。
聖霊界へ魂を送ることができなければ、残された魂はずっと人界を彷徨うことになる。
それは、強い想いが魔力によって形を留めている「残留思念」よりも、もっと強固で厄介な「残存思念」と呼ばれる魔力の固まりらしい。
どちらも似たようなモノのように思えるが、亡くなった魂が人界に留まっているために起きる事象であるため、普通の想いよりもずっと手強くなるそうな。
具体的には、わたしたちがストレリチア城に滞在している時に起こった、大神官襲撃事件である。
あの魂も、葬送の儀を行っていないために歪み、負の感情だけを増大、増強させた状態らしい。
あそこまで手強くなることはそうそうないらしいけどね。
本当は、水子でも葬送の儀だけは行わなければならないはずだけど、それを知らない人が多くて、大気魔気が汚れてしまうことがある……、と、恭哉兄ちゃんが困ったように教えてくれた。
大半は、巡礼中の神官が気付いて、葬送の儀を行うことになるけど、取りこぼしもあるようだ。
だけど、なんとなく、あのストレリチア城下で起きた事件に関しては、モレナさまがわざと放置した結果だと思っている。
暗闇の聖女であり、魂響族でもあるモレナさまが、そんな基本的なことを知らないはずがないだろう。
この世界に、文字通り自分の身を犠牲にしてまで我が子を誕生させ、稀代の大神官とするためにいろいろ尽力していたっぽいから。
……アレがあったから、わたしが「聖女の卵」になったのだ。
もしかしたら、そんな未来を視たのかもしれない。
そうなると、アレは恭哉兄ちゃんではなく、わたしの方が目的だった可能性もある。
いや、それは今、どうでもいい話だ。
つまりは、それと似たようなことが、ローダンセ城でも起きているのだろう。
葬送の儀もなく、放置された魂が、まだあの場所に留まっているのだと思う。
わたしがそう雄也さんに確認すると、頷いてくれた。
「魂はともかく、肉体は、水分とたんぱく質、脂肪とミネラル、骨はリン酸カルシウムと炭酸カルシウム、コラーゲンだったよな。人間界の土葬でも肉体が土に還るのは百年ぐらいだが、周囲の土の成分でも変わったはずだから……」
そして、その横で何やら怖い独り言を呟いている九十九。
人間の骨がカルシウムでできていることは知っていたけど、二種類もあったのか。
だが、彼は何故、そんな知識を覚えているのだろうか?
更に言えば、どこで使う予定だったのだろうか?
わたしの護衛は兄弟揃って本当に謎が多い。
それにしても、土葬で土に還るのは百年?
でも、弥生時代の甕棺に収まっていた骨は、現代まで残っていた。
いや、アレは土に還していないのか。
「正しく葬送すれば、汚染は収まりますか?」
「原因がそうと決まったわけではないからね。断言はできないかな」
わたしの問いかけに、雄也さんは即答する。
まるで、その質問を待ち構えていたかのように。
「現状、一時的にも抑えられてはいるからな。変に行動しない方が良いとオレも思う」
「でも、もし、本当にご遺体が壁や床に埋まっていたなら、そのままって可哀そうじゃない?」
わたしがさらに問いかけると……。
「その結果、大気魔気のバランスが崩れる可能性もある」
「ただでさえ、絶妙な均衡を保っている状況だからね。契約の間の大気魔気が汚染されていたから、なんとか大陸の大気魔気の調整ができなくてもなんとかなっていたかもしれないんだよ」
九十九と雄也さんがそれぞれ懸念を口にする。
それで、わたしに伝えなかった理由も理解した。
契約の間でその話を聞いていたら、わたしは迷いもなく聖歌を口にしただろう。
―――― この魂に導きを
あれは、葬送の儀でも歌われる聖歌だから。
そして、わたしが「聖女の卵」となるきっかけも魂を送ったからだったから。
「この件は大神官さまに相談します」
わたしは二人に向かってそう言うのだった。
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