この世界は油断ならない
「気負う必要はないよ。九十九の言う通り、国政を執り行うのは、その頂点だ。だからと言って、全てを委ねてしまうと、ローダンセのようになってしまう。権力、財産、社会的地位、魔力を持つ者は学ぶこと、知識を身に付けることを放棄してはならないと俺は思っている」
改めて雄也さんがそう言った。
他はともかく、そこに「魔力」というものが入ってくるのが、この世界である。
そして、この世界ではその「魔力」がある意味、最大の力だ。
法力や精霊術、神力と呼ばれる別種の力も存在するが、この世界の大多数の住民たちが多かれ少なかれ持っているのがその魔力であり、その力が自然や生活環境にも直結している。
この惑星のために、他の生物にはできないこと。
その役目を人間だけが背負う以上、その上位に当たる者たちには相応の責務があることはわたしにも分かる。
「知らなければ、学ぶ。その能力はキミの奥深くに根付いている。そして、栞ちゃんが諦めなければ、俺と九十九は、何度でも手を貸そう。俺たちはキミほど持つ者ではないが、それでも少なからず渡せるものはあるはずだからね」
雄也さんが自分のこめかみを指差しながら、逆の手をわたしに差し出す。
渡せるもの……、情報ってことだろうか?
わたしが持つ者?
そんなはずはない。
雄也さんや九十九の方がずっと大きなものを持っている。
才能……、そんな言葉だけでは足りないほど、努力で磨き続けられた大きな能力を。
「オレは栞が諦めても手を貸す。兄貴ほどのものは渡せないとは思うけどな」
九十九もわたしに向かって手を出す。
差し出された二つの手。
似ているけど、ちょっと違う形の手が並んだ。
これは……、この手にわたしの手を重ねろってことだと思う。
そう解釈して、差し出された二人の手に自分の右手と左手を同時に乗せる。
すると、二人は何故か同時に跪いて……。
「ひえっ!?」
わたしの手の甲に口付けを落とした。
いや、これまでの経験から、二人が跪いた時、そんな気はしていたけど、本当にやられてしまった!!
これもお貴族さまの風習だとは思うのだけど、それでも、やはり慣れない!!
「お前、これぐらいでいちいち叫ぶなよ」
ああ!?
九十九が残念な子を見る目になっている。
だけど、いつまで経っても慣れるわけがないじゃないか。
本日のわたしは、手袋を装着していなかった。
つまり、二人の柔らかい感触がダイレクトにアタックされてしまったのだ。
それで叫ぶなという方が無理だろう。
行動の予測ができても、感触の予想までできるはずもない。
それに、叫ぶなと言うなら、まず、こんなことをするなと声を大にして言いたい!!
「まあ、普通なら当てないんだけどね」
そんなわたしたちの遣り取りを見た後、雄也さんが困ったように笑った。
「へ?」
「あ? そうなのか?」
どうやら、九十九も知らなかったらしい。
「むさ苦しい男が同じくむさ苦しい男の手に口付ける図など、誰も幸せになれないとは思わないか?」
「幸せになるためにやるわけじゃねえだろ?」
雄也さんの言葉に、九十九はどこか呆れたような目を向ける。
雄也さんはむさ苦しい男と言ったが、彼らのように見目麗しければ、殿方同士でも喜ぶ人は一定以上いる気がする。
だが、わたしはこの場でそれを口にすることはしない。
「本来は、どうするのですか?」
そのかわりに無難な問いかけをする。
本来の作法を知っておいた方が良いだろう。
「約束を誓うためにする形式だけど、一般的には、フリだけだね。手袋、籠手、手甲、腕貫きなど、手の甲を保護する防具があれば、それにする人間もいるようだけど、やはり、仕えるべき相手からは喜ばれないと思うよ」
「それだけ聞くと、わたしが喜んでいるように思えますが?」
約束事を誓うための行為ということは分かった。
人間界でも少女漫画とかで騎士が女性の主人とかにする図を見たことがある。
だが、本来はフリだけ。
それをわざわざ行う理由が分からない。
そして、弟にそれを教えていなかった理由も。
「栞ちゃんはこういうのは嫌いかい?」
「うぐっ!」
大好物だったようです。
トキメキました。
そう素直に言うことなどできるはずもない。
横からの視線が! 視線が痛い!!
呆れている。
絶対、呆れた目でわたしを見ている!!
「触れた方が、誓いとしては強固なんだよ。それだけ互いを信用するということだからね。そして、まあ、普通、高貴な方々、主人となる立場の人間は、日常的に手袋、手套と呼ばれるものを身に着けている」
つまり、わたしが手袋を付けていないことが悪い、と。
でも、手袋をはめると、文字を書きにくくなるし、絵を描く時にかなり感覚が変わってしまうから苦手なのだ。
日常的に手袋生活。
お貴族さまは、わざわざそうしなければならないのだろうか?
だが、アーキスフィーロさまも舞踏会や魔獣退治など、お出かけ以外では身に着けていない気がする。
でも、アーキスフィーロさまも普通の貴族子息とは違う。
ヴィバルダスさまや当主さまは手袋していたような気がするけど、あの二人に会うこともないからよく分からない。
「特に貴族夫人、貴族令嬢は、日常的にベーシックドレスで身を包んでいることが多い。それに応じて、手袋を着用していることは珍しくないかな」
ああ、つまり、わたしが貴族令嬢っぽくないからってことか。
うん、王族の血は引いているけれど、普通の貴族令嬢じゃないですからね。
「それ以外の理由としては、女性は身を護る意味でも手袋を外さない。見知らぬ男から贈られる物にどんなモノが付着しているか分からないからね」
身を護る意味?
「でも、それって、男性も同じですよね?」
寧ろ、男性の方が、身の守りを意識する気がする。
毒とかそういったモノに対する抵抗力は、男女で違うのだろうか?
それとも、お貴族さまは、男女関係なく常に手袋生活?
それは窮屈だろうな。
「媚薬とかそういったモノに対する警戒は、男よりも、女性の方が必要なことだからね」
「そうですね!!」
思わぬ方向性の言葉が出てきて、思わず、大きな声で返答してしまった。
いや、贈り物に媚薬って……。
しかも、物に付着させているってどういうこと!?
それに、贈り物に媚薬を付着させたところで、送り主が触れるとは限らないのに。
他の人が触れてしまえば、すぐにバレちゃうよね?
高貴なる女性は、自分で直接受け取らず、侍女たちが先に受け取り、中を確認することが多いのだ。
そうなると、侍女たちが被害に遭う気がする。
あれ?
それって、もしかしなくても、そんなことをしているのはわたしだけなのだろうか?
「兄貴。女が警戒しなければならないの付着物は、薬だけか?」
「……そういうことにしておけ。別に全てを知る必要はない」
兄弟のそんな小声の会話がわたしの耳に届いた。
ぬ?
まだ実は他に理由がある?
それを聞いてみたい気もしたが、わざわざ隠されたということは、わたしは知らない方が良いということなのだろう。
わたしのことを過剰なまでに案じている彼らが守ってくれているのだから、そこは素直に従っておくしかない。
変な行動をして、彼らの足を引っ張るなんて、真っ平御免ってやつだ。
そうなると、わたしが知らないだけで殿方からの贈り物には、媚薬よりももっと質の悪いモノが付着しているってことなのだろう。
彼らは、わたし宛に来る手紙の事前確認もしてくれている。
だから、既にわたしの手に届く前にいろいろ見ているのかもしれない。
本当にこの世界は、油断ならないね。
少しの隙も命とりとなる。
わたしはそう思うことにしたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




