相手は一人が良い
「気持ちが悪い、とは?」
ローダンセの貴族たちの考えを聞いた後、思わず呟いてしまったわたしの言葉に対して、雄也さんが問いかける。
「離別や死別した後で、後妻を受け入れるって考え方を否定する気はないのです。でも、始めから、それが狙いとか、別れることを前提にしている考え方というか……。なんだろう? ちょっと言葉にしにくいのですが……」
それは、好きだった人が誰かと結婚して、でも、諦めきれなくて……とも違う。
ただ、珍しいから、面白そうだから、王族の御眼鏡にかなったから、そんな理由で選ばれるのは何かが違うと思った。
「それが、ローダンセの貴族たちの一般的な考え方かもしれませんが、わたしにはちょっと受け入れがたいと思いました」
わたしがそう言うと、雄也さんが優しく微笑みながら……。
「文化の違いと分かっていても、俺も無理だよ」
そう言ってくれた。
「女性を下げ渡す。一人の女性を別の誰かと共有する。その考え方は、女性を物としか見ていない証だからね。所有物、所持品、飾り立てる物、賞品や商品。言い方を変えたとしても、その実、全く同じだ。そんな考え方には反吐が出る」
更に続いた遠慮のないその言葉で、わたしも気付いた。
ああ、そうか。
ローダンセの男性貴族は、女性を物として見ているのだと。
しかも、貴重品扱いでもないのだ。
いくらでも代わりのある物。
代替品がある物。
替えが利く物。
使い捨てられる物。
そんな目線で女性を見ている。
それは、ある意味、人間を玩具として見ている神さまたちと変わらない。
「オレも無理だな。女は物じゃねえ」
日頃、わたしを貴重品のように扱う護衛もそう言った。
いや、彼らからは主人として、大事にされているだけで、決して本当の意味では物として扱われているわけではない。
「これは、俺たちがセントポーリアの考え方がベースに、日本の倫理観が混ざっていることもある。現実的には、そんな考え方を持つ貴族は少なからずいる。特に優れた才のある魅力ある女性を高貴な人間たちが争わず、分け合おうとすることも珍しくない」
「分け合う……」
その言葉の響きに身震いしてしまう。
「一人の女性が一晩で複数の男たちの相手をすることだね。吉原の遊女が複数の客を掛け持ちする『廻しを取る』という言葉で栞ちゃんには伝わるかな?」
「うわあ……」
落語のお題にもなっているから、そんな話は聞いたことはあったけど、改めて説明されると酷いものだと思う。
そんな存在にはなりたくない。
実際は、王族の相手をした後、別の貴族に……という話だから、吉原の遊女のように、一晩で何人ということにはならないと分かっていても、実際、そんな目に遭っている女性がいるってことだ。
ローダンセに限らず、お貴族さまには昔からある悪習ってことだろう。
いや、これはわたしに現代日本の倫理観があるせいか。
雄也さんが言ったように、吉原のような遊里には「廻し」の文化はあったし、戦国時代の女性なんか、典型的な政略結婚ばかりだ。
国外に飛び出せば、そんな話はもっと溢れていた。
ああ、そうか。
それが嫌だって言えるぐらいに、わたしは今も昔も恵まれた場所にいるということだろう。
「そんな状態だと、気持ち悪いっていう以外には、性病も心配になりますね」
わたしがそう言うと……。
「「性病……」」
何故か、雄也さんと九十九が同時に困った顔をした。
「え? 心配になりません? それとも、この世界には性病ってないのですか?」
「いや、あるけど……」
「それをお前の口から言われるのはいろいろ複雑な気分になるな」
雄也さんと九十九の様子からこの世界にも性病と呼ばれる病気はあるらしい。
そして、この世界には病気になっても病院と呼ばれる施設がない。
さらに言えば、怪我は治癒魔法で治せるけど、病気は治せないのだ。
それならば、警戒するのは当然だろう。
でも、二人が奇妙な顔をしている理由が、逆に分からない。
遊里を舞台にした物語では、梅毒や淋病の話は必ず出てくるし、後天性免疫不全症候群と呼ばれているものなんて、一度発症してしまうと、現代医療では完治する方法がない怖い病気だと新聞で読んだことがある。
いずれも性行為で移るから性病なのだ。
次々とその相手を変えることになれば、感染の確率は格段に上がってしまうことだろう。
そういった意味でも、相手は一人が良い。
複数は嫌だ。
「お前、時々、現実的なのか、夢見がちなのか、分からなくなるよな」
「ほへ?」
九十九から妙なことを言われた。
「漫画が好きだったから、夢を見ている部分はあると自分でも思っているけど、現実もちゃんと見ているつもりだよ?」
「ああ、うん。だから、不思議なバランスなんだろうな」
「ぬ?」
不思議なバランス?
九十九の言葉にわたしが首を捻っていると……。
「まあ、栞ちゃんが言うことはとても大事なことだね。ただ、ローダンセに限らず、貴族社会にはそういった面もあることは覚えていて欲しいかな」
雄也さんがそんなことを言った。
「それらを避ける意味では、アーキスフィーロ様は確かに良いだろう。簡単に離婚できない国の貴族子息だからね。あの方の命がある限り、その配偶者の座は揺らがない」
さらにそう続けられると、わたしも言葉を失ってしまう。
「それって……」
わざわざ口にした以上、その可能性があるってことだ。
「アーキスフィーロ様が何らかの形で亡くなれば、栞ちゃんの立場は浮くことになる。婚約者候補段階ならまだ逃げられるけど、一度、婚姻してローダンセに属してしまうと、栞ちゃんの魔力の強さが露見していれば、最有力は王族の側妻だね」
「うわあ……」
それって、魔力目当てで、わたしの配偶者となる人は暗殺の可能性もあるってことか。
「それが、アーキスフィーロさまにとっては、最大の不利益ではないでしょうか?」
「そうでもないよ。アーキスフィーロ様は暗殺者を向けられることは慣れているようだし、食事もかなり警戒している。今と状況はそこまで変わらないかな」
「…………」
いや、ちょっと待って?
アーキスフィーロさまが暗殺者を向けられることに慣れているって何?
「元から敵が多いんだから、当然だろ? 始めは食事に毒物混入の警戒もかなりしていたぞ」
「そんなこと、さらりと言われても知らなかったよ」
「栞ちゃんと食事するようになって、食事の準備をするのが専属侍女の仕事になったからね。どうやら、栞ちゃんの専属侍女たちによる食事は、あの従者殿の御眼鏡に適ったらしいよ」
セヴェロさんが毒物の判定をしているってことか。
でも、アーキスフィーロさまは、そんなに命を狙われているってこと?
食事も安心してできないぐらいに?
だけど、わたしと食事することでその緊張から逃れることができるのか。
それも専属侍女のおかげだから、ずっとというわけにはいかないけれど、解毒、中和なら、多分、わたしはできる。
油断しない限り、食事への安全性を守ることはできるのだ。
いや、食事に毒物が混入されている可能性があるなら、それは家人の行いだろう。
当主やその長子の命令か、それ以外の人間の意思からかは分からない。
でも、アーキスフィーロさまにとって、それだけ自分の家も安全な場所ではないということは分かった。
いや、前々から分かっていたのだけど、更にそれが強まったというか、理解が深まったというか。
「ああ、食と身は以前よりも安全になったのだから、これはアーキスフィーロ様にとっては利のあることだね」
雄也さんはそう言って笑うけれど、わたしは笑えない。
「わたしがいることで、もっと警戒する必要が出てくるのではないでしょうか?」
つまりは不利益、デメリットだ。
「常に警戒していたのだから、何も変わっていないだろ?」
「寧ろ、栞ちゃんがいることで、油断はなくなるだろうね。アーキスフィーロ様は、栞ちゃんを守りたいようだし」
九十九も雄也さんもあっさりとそう言った。
なんだろう?
この人たちにかかれば、不利益すら利益に変わってしまう気がする。
それに甘えてはいけない。
でも、頼ってしまう。
彼らに任せれば、間違いがないから。
その絶対的な信頼感も傍からみれば、甘えと呼ばれるものなのだろうけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




