見え見えの罠
「大量の魔獣が『集団熱狂暴走』のため、ローダンセ王都へ向かっていると情報があったと仮定しようか。そんな時は、魔獣退治経験がある貴族たちに召集がかかるだろう。そうなれば、アーキスフィーロ様も当然、出陣することになる。それを想像してほしい」
雄也さんの言葉に……。
「すたんぴ~ど?」
わたしは首を傾げることになった。
耳慣れない言葉だ。
ライファス大陸言語……かな?
でも独自の言葉じゃないとも思う。
それだと、雄也さんはわざわざそんな単語を使わないだろう。
「人間界でも、牛やゾウなどの大型動物などでたまに起きているんだが、興奮や恐怖などの何らかの要因で、突然同じ方向へ走り始める現象だ。走ったら止まるという基本的なことが頭からすっ飛んでいるらしく、落ち着くまではずっと直進することになる」
そんな九十九の説明で、なんとなく、テレビで見たヌーの群れが走っている図が思い出される。
あれは、かなり激しかったし、凄い勢いだった。
遠くからの撮影だったのに、土煙が上がっていたのが見えるのだ。
さらに、集団で渡河をする時も、地上と同じ勢いで飛び込んでいく姿を見て、幼心にちょっと怖かったことを覚えている。
だから、思い出したのだろうけど。
「集団パニックみたいなもの?」
わたしが生まれる前に起きたオイルショックと呼ばれるものによって、トイレットペーパーが買い占められ、奪い合いになるほどの状態が起きたらしい。
政府からの買い溜め自粛の呼びかけでも落ち着かず、時間と共に騒動が集束したというのを教科書で見たことがある。
その写真とヌーの大群の映像が少し重なった。
いや、人と獣を一緒にするのはどうかと自分でも思ったけど、思い出しちゃったから仕方ない。
「正しくはちょっと違うが、似たようなもんだな」
九十九の話ではちょっと違うらしい。
「『panic』の語源が、その『集団熱狂暴走』を神の仕業だって考えたことが発端だからね。ギリシャ神話に出てくる牧羊神パーンの話を栞ちゃんなら知っているだろ?」
「あ、山羊座の……」
雄也さんの言葉で、思い出す。
それはギリシャ神話の話。
宴会中にテューポーンという名の怪物が現れ、その場にいた神さまたちは一斉に逃げ出したという。
最高神である大神ゼウスや、有名な英雄であるヘラクレスも動物に変身して逃げたというからその怪物は神さまたちにとって相当恐ろしい存在だったってことが分かるだろう。
その時に、川に飛び込んで逃げようとしたパーンという名前の神さまは、あまりにも慌てすぎて、下半身は魚、上半身はヤギという珍妙な姿になったそうな。
それが山羊座の元。
だから、山羊座は普通の山羊と違う姿なのだ。
いや、星座って結構、無理矢理感が多いけど。
わたしの魚座もそうだしね。
その時、同じ現場にいた母と子の神さま二人が魚に姿を変え、互いに離れ離れにならないようにリボンで互いを結び合ったとか。
それって、逆に逃げられなくなりそうなんだけど、神さまの発想は不思議だ。
「では、その『集団熱狂暴走』による魔獣たちが、ローダンセ王都……、いや、王城の方に向かった時は、当然ながら王侯貴族が王城を守るために迎え撃つことになる。ここまでは分かるかい?」
「はい」
それは当然だろう。
城というよりも、城下を含めた……、自分たちの住む場所を守る。
それは、王侯貴族たちの責務だと思う。
「それでは、ここからが栞ちゃんに質問だ」
雄也さんが笑いながら、わたしに次の問いかけをする。
「その『集団熱狂暴走』で狂ったように直進してきた魔獣たちにやられ、『濃藍』が重傷。『緑髪』がその場で食い止めているが、多勢に無勢。数が多すぎて、他の貴族たちは既に逃走済み。そんな連絡が入ったら、どう動く?」
「――――っ!?」
それって……。
「は? オレ?」
九十九の驚く声がどこか、遠くで聞こえた気がした。
九十九が重傷で、水尾先輩がその場にいる。
そして、周囲には助けがない。
それを聞いた時、わたしならどうする?
どう動く?
「雄也さんと出ます」
「俺は治癒魔法が使えない。そんな絶望的な状況だと連絡が入れば、栞ちゃんを出さずに、別の所へ逃がす方向で動くかな」
「ふぐっ!?」
そ、それは、二人を見捨てろってこと?
護衛としてはそれが正しいかもしれない。
だけど、わたしには二人を見捨てることはできないと思う。
「六千年前、このウォルダンテ大陸で、王族たちが出向いても、止められなかった『集団熱狂暴走』があったと記録にある。今よりもずっと魔力が強かったはずの王族が止められなかったのなら、同じ現象が起これば、現代の王族では絶望的だね」
六千年前?
その言葉だけで、心臓が大きく跳ねた。
「実際にあったことなのか。だが、その時はどうしたんだ? 王族でもどうにもできなかったんだろ?」
九十九は特に気にした様子もなく確認する。
だが、わたしは身体が震えていた。
思考が纏まらないのは、雄也さんからの問いかけのせいか?
それとも、別の要因か?
「『集団熱狂暴走』は目的があって、魔獣が動いているわけではなく、狂気に駆られるようにただ直進するだけの現象だ。そして、大陸には終わりがある。その大量の魔獣たちは、一斉に海へ向かい続けたらしい」
「集団自殺みたいなもんか」
二人の声が遠すぎて、どこか別世界の会話を聞いているような気がする。
「頑強なお前でも、多彩な魔法を操る水尾さんでも絶対はない。そして、そんな状況なら俺は迷わずお前たちを見捨てるだろう」
「それはお互い様だな。逆なら、オレも兄貴を見捨てる」
笑いながらそう言い合う二人の声には、あまりにも迷いがなかった。
でも、わたしにはそれができない。
そんな状況を聞かされたら、それが罠だと分かっていても、飛び出してしまう可能性すらある。
九十九と水尾先輩ならば、大丈夫だと分かっていても、やっぱり心配になってしまうのだ。
「さて、栞ちゃん。そんな話を聞かされたら、キミはどうする?」
雄也さんが改めて尋ねる。
その表情から、わたしの答えは分かっているのだろう。
この人は時々、意地悪だ。
「その時は、雄也さんが同行してくれなくても、わたしは飛び出すと思います」
「は?」
わたしの言葉に九十九が何故か、目を丸くした。
これまでは彼が満足とはいかないまでも、納得できる程度には優等生の回答に近かったのだと思う。
だけど、ここにきて方向性の変わる答えを口にした。
「九十九と水尾先輩がピンチだって知って、わたしが冷静でいられるはずがないでしょう?」
「アホか。明らかに罠って分かるだろう? オレはともかく、年齢一桁から魔獣退治やっていた水尾さんが簡単にやられるかよ」
「水尾先輩だって、絶対に大丈夫ってわけじゃない。油断したらやられることだってあるでしょう?」
それに水尾先輩がどんなに強くても、九十九が目の前で重傷を負うような事態になったら、絶対に揺らぐ。
水尾先輩はその言動から強そうに見えるけど、精神的に脆いところもあるから。
それに、雄也さんだけじゃなく、水尾先輩も治癒魔法は使えない。
九十九もどんなに強くても、重傷と呼ばれるような状態になれば、魔法を集中して使うこともできないだろう。
どんなに根性があっても、努力をしても、彼も人間なのだ。
「いや、だから罠だっつってんだろ!?」
「罠かどうかなんて、見てみなければ分からないでしょう!?」
分かっている。
この場合、九十九が正しいのは。
先ほど雄也さんが言ったのは、わたしを試すため。
しかも、知らない人にはどんな言葉で唆されても付いて行ってはいけませんという話だった。
それでも!
「罠でも何でも、九十九や雄也さん、水尾先輩や真央先輩が危険だって聞かされて、わたしが大人しくなんかできるはずがないでしょう?」
わたしとしてはそう主張するのだ。
「え? 俺も?」
「え? 兄貴も?」
だが、雄也さんと九十九が同時に気にしたのはそこだった。
「え? 雄也さんが大怪我したって聞いたら、わたしだって焦りますよ? 尤も雄也さんが、重傷になるなんて事態は、普通ないとは思いますけど」
それでも、やはり絶対ではない。
実際、雄也さんはカルセオラリア城の崩壊で、瀕死の重傷を負っているのだ。
それも、わたしのせいで。
「俺も人間だし、九十九ほど頑丈じゃないよ?」
雄也さんがそう言いながら苦笑する。
「兄貴は十分、オレより頑丈だよ。主に精神面」
いや、それこそ、伝説の防具並みに九十九の方が丈夫だと思う。
でも、九十九は雄也さんの弱い部分を知らないのかもしれない。
お兄さんだもんね。
弟にカッコ悪い所を見せたくないよね?
「まあ、栞ちゃん自身も、その答えが正しくないことは分かっているだろう? 罠だと分かっている誘いには乗らないこと。仮令、それが親しい人間の命を盾に取られるようなことであっても、毅然とした態度で断ってほしい」
「その願いには応えられません」
雄也さんからの願いをわたしはきっぱりと断る。
「そこで、毅然とした態度で断るな」
九十九が呆れたように言った。
「では、言葉を変えて別角度から考えてみようか? 俺たちの名を使って、栞ちゃんが罠に嵌められたことを知ったら、俺たちがどう思うだろうか?」
雄也さんは何故か楽しそうにそんなことを言った。
「雄也さんたちの名を使って、わたしが罠に嵌められたら……?」
そこで考えてみる。
九十九は怒りの形相で相手を追い詰めるだろう。
雄也さんは笑顔で相手を追い込むだろう。
そして、その後に待っているのは罠から解放されたわたしへの説教コースか?
そう思うと身震いしてしまった。
「罠に嵌らないように気を付けます」
「そうだね。見え見えの罠だと分かっていて飛び込むのは愚行だよ」
雄也さんは笑顔で容赦ないことを言う。
「ローダンセに戻ったら、必ず、いろいろな人間から接触があると考えている。俺たちも気を付けるけど、栞ちゃん自身も絶対に気を付けてね?」
どこか迫力を覚えるそんな言葉に、わたしは無言で頷くしかできなかったのだった。
この話で130章が終わります。
次話から第131章「乱反射」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




