王子と占術師
「リュー……、いるか?」
彼はその戸を叩くと、中から微かな反応があった。
「入るぞ」
そう言って彼は返事を待たずに扉を開ける。
誰に対してもそのように振る舞っているわけではない。
唯一人……、彼女にだけはどうしても他の女性のように余裕が持てなくなるのだ。
相手が幼いころから知っていて、僅か一つだけでも年上だと言うことも関係しているのかもしれないが。
「クレスノダール王子殿下」
そう言って、彼女は顔を上げた。
いつも薄暗い部屋だが、彼女がいる場所にだけ眩しい光に満ち溢れているように彼には見える。
しかし、その華やかな雰囲気とは裏腹に、彼女の表情は暗かった。
「もう来ないでくださいと……。私は何度も申したではありませんか。何故……、分かっていただけないのですか?」
彼女は哀しそうに目を伏せる。
いつからだろう。
2人がこんなにギクシャクとした関係になってしまったのは……。
幼馴染み特有の親近感が感じられなくなったのは……。
「お願いがある」
彼女を言葉を無視するように彼は言った。
「知人の友人を視てもらいたいんだ。それを頼みに来たんだが……」
「知人の友人……?」
それで彼女はようやく顔を上げ、ジッと彼を見つめた。
表情が読めないその瞳。
神秘的な空気と沈黙だけがこの空間を支配する。
「女性……それも身元が確かな方ですね」
「ああ、人捜しだそうだ」
「私ではなくとも、クロネスに頼めばいいではないですか」
「クロネスでは駄目だ。まだ不安定だからな」
この国には現在、2人の力ある占術師がいる。
1人は彼女、「リュレイア=ラケス=ビロニア」。
そして、もう1人はその弟子……、彼女の後継者と目される「クロネス=アズン=オーリンズ」と呼ばれるまだ7歳の少女。
占術師独特の雰囲気を醸し出す物静かなリュレイアに比べ、明るく無邪気なクロネスに視てもらう気には彼はなれなかった。
「クロネスはもう十分ですよ。最近は、私でもわからないことまで視るようにもなりましたし」
「俺は、お前の方が良いんだ」
「王子殿下……」
また彼女は哀しそうに目を伏せてしまう。
最近はいつもこうだ。
ちょっとした会話でも彼女は哀しそうな顔になり、目を逸らす。
「お前が俺のことを嫌うのは自由だが……」
そう言うと、彼女は少しだけ肩を震わせた。
「それとこれとは別の話だ。俺はその知人に返しきれない恩がある。彼女がいなければ、今、この場に王子として立つこともできなかっただろう。だから、あえて言おう。王子として、占術師に頼み事をすることすらお前は許せないと言うのか?」
「そんなことは……」
そう言って……、彼女はハッと目を見張った。
「……その方のお連れ様に、黒髪の小さな少女がいますね」
先ほどとは違って、強い口調、強い瞳で彼女はきっぱりと言う。
「は?」
彼は突然の変化に狼狽えた。
確かに、視て欲しい女性の近くには黒髪の小柄な少女がいるが……。
「あ、ああ。確かにいる。それが知人……、いや、俺の恩人だ」
「分かりました。視ることに致しましょう。日は……、明日に約束をしているのですね。しかし、日は明日より明後日の方が良さそうなので、変更をお願いできますか?」
「え? ああ」
「では、謹んで、お役目お受け致します」
何故、彼女が変貌したのかはよく分からなかったが……、引き受けてくれたので彼は部屋から出た。
「栞嬢ちゃんと、関係があるんか?」
部屋から出た途端、独特のイントネーションが出始める。
彼は、元来こんなしゃべりではなく、彼女と会話している時の方が地だ。
しかし、人間界でのこの喋りが妙に気に入ったので、城下ではこれを使っていた。
「は~。いつからリューとの会話がこんなに辛うなったんやろう……?」
彼自身にも分からないのだ。
他の女性にはない息苦しさと重苦しさ。
始めは彼女が占術師の雰囲気を纏い始めたせいだと思っていた。
だが、それだけではない気がする。
彼女は……、自分に対してかなり激しい拒絶の意思を見せている。
それは、5年ほど前から……、はっきりと覚えていないが、自分が人間界から帰ってきた時から……、だっただろうか?
「他の女ならこんなに悩まんでもええのに」
そう、苦手なのは彼女だけなのだ。
自分に対してそんな意思表示を見せるのも。
他の女性にそんな想いを抱いたこともない。
一緒にいることが苦痛。
同じ空間にいることが耐え難い。
話すことすら躊躇われる。
だが、1年ぐらい前……。ようやくその答えが見つかった。
その考えに至らなかったのは単純に距離が近すぎたせいであり、幼い頃からお互いを知りすぎたせいでもあった。
始めはそれを否定したが、認めてしまうと後は楽になった。
暗闇に一筋の光明が差し込むように、彼は道を見つけたのだ。
だが、その道を進もうとすることを止める自分がいる。
行けば、取り返しが付かなくなると彼の中で何かが警告していたのだ。
根拠のない勘。
そんなことに理由など付けられるはずもないと彼自身は思っていた。
占術師は、異性を受け入れてしまうとその能力が大きく失われると彼女自身から聞いたことがある。
彼女が彼を拒むのも恐らくはそんな理由からだろう。
そして、それを知っているからこそ自身も警告しているのだ。
かの占術師はこの国の宝。
特別なものを持たないこの国が、他国に誇れる数少ない財産だ、と。
だが……。
「知ったことか」
そんなのは知らない。
国のことなんてどうだっていい。
彼女が激しく自分を否定するのは、彼女自身にも多少その気があるからだ。
全く気がない相手ならばさらりとかわすことだって完膚無きままに叩き伏せることだって、彼女はできるのだから。
それをしないところから、自惚れではなく、多少の好意があると考えても良いではないか。
「リュレイア……」
彼女の名を口にするだけで苦しい。
こんな想いは彼女だけ。
その姿を思い出すだけでこの身が熱くなるのも彼女だけ。
この世界でたった一人だけの特別な存在。
手に入れればその全てを失うとしても……、その全てを得たいと願うのは至極当然の話。
だが、全てを得ないことこそ全てだったと彼が気付くのはずっと後の話。
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「嫌いなら……、こんなに悩まずとも……」
彼女は、その場に座り込んだ。
黒く長い髪が波のように流れ落ちる。
苦しくて苦しくて、息も出来ないくらい苦しくて。
泣きたくて泣きたくて、叫びだしたいぐらい泣きたいのに。
それでも、彼女は彼とこれ以上近付くわけにはいかないのだ。
「クレスノダール……」
その名を口にするだけで、その姿、その声を思い出すだけで……、この身は引き裂かれそうになる。
それすらも神は罪だというのに。
身分違いとかいうそんな単純なモノではない。
寧ろ、この世界で名高い占術師という特殊な立場は、貴族たちと並んでも遜色はない。
当人たちが望むのならば、王族と婚儀を行うことも可能なのだ。
尤も、それと引き替えに占術師という地位はなくなってしまうのだが。
「占術師の座など……」
彼女はそんなモノは要らなかった。
元々望んで得た能力ではない。
これは単に生まれつきのモノ。
生まれて直ぐに両親から手放され、当時、世界最高と言われていた「盲いた占術師」に引き取られ、幼い頃より占術師となるべく師事を受けただけの話。
歴史上最高だとまで謳われた占術師の跡継ぎとなるためだけだった。
彼女を師事した占術師は、彼女を引き取って、暫く……、子を産んだ。
だが、産まれた子は男児だったため、どこかへ預けられたと聞いている。
占術師の子は一般の子に比べ、占術師の才を有する可能性が高い。
しかし、占術師になれるのは何故か女性だけなのだ。
自分の子を手放し、他人の子を育てる。
考えてみればおかしな話だ。
それでも、占術師が能力を絶やさずに、次の担い手にその能力を引き継ぐというのはこの世界にとってはとても重要なことなのだ。
自分は既に後継者を見つけた。
その後継者はその能力を伸ばし、今や自分に並ぶほどとなっている。
もう頃合いだろう。
全てを彼女に任せ、自分はどこかへ姿を消してしまおうと考えることが多くなった。
生まれた地であるこの国に未練がないわけでもないが、このまま、ここにい続けることは出来ない。
幼かったあの幼馴染みも……、今ではもう立派な青年となっている。
「止めることはできない」
そんなことは分かり切ったこと。
だから……。
「あの御方にお伝えすること……。これが恐らく、私の――――」
そう呟いた。
彼女はずっとこの日が来るのを待っていたのだ。
その少女が生まれる前からずっと。
それは、彼女の母親に会ったあの日から。
その「導き」の魂を持つ少女に会うために。
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