愛とは?
詳しくは聞いていないけれど、アーキスフィーロさまの前の婚約者の身に何か起きたことは間違いないだろう。
そして、アーキスフィーロさまの婚約者候補となったわたしの身にも、それが起こり得る可能性があるってことも。
単純な嫌がらせの類なら、ここまで徹底してその内容を伏せる理由にはならないだろう。
寧ろ、すぐにわたしに対して、こんな嫌がらせがあるから気を付けろと注意が入ったと思う。
だけど、誰も何も言わなかった。
アーキスフィーロさまも、それらを調べたはずの護衛兄弟たちも。
そうなると、口にするには憚られるようなことがあったのだろうということは想像できる。
そして、その前の婚約者の忠告からも、第三王子殿下やアーキスフィーロさまの兄がソレに関わっている可能性が高いのだろう。。
なんとなく、予想はしている。
できれば、それが外れて欲しいと願いたい。
だから……。
「その前例を、栞ちゃんは知りたい?」
そんな雄也さんの言葉に対して……。
「いいえ。アーキスフィーロさまか、当人に確認します」
そう答えることにした。
誰もが教えてくれないのだ。
それなら、やはり、当事者に確認したい。
「二人とも、教えてくれないかもしれないよ?」
そんなわたしに向かって雄也さんはちょっと意地悪な問いかけをした。
いや、その可能性は高いとわたしも思っている。
それに関わった人間たちが揃って口を噤んだこともあるが、誰にでも言えるような話ではないから、ここまで徹底的に隠されたのだろう。
「その時は、仕方ないから、改めて、雄也さんに確認することにします」
二人に聞いても駄目だったなら、揃いも揃って教えてくれないというのなら、それは仕方ないとは思う。
でも、アーキスフィーロさまの婚約者候補となった以上、わたしには聞く権利があるはずだ。
せめて、自分の考えがあっているかどうかだけでも、聞いておきたい。
誰かが隠したいと思っていることを根掘り葉掘り聞くような趣味はないが、何も知らないまま、自分が不幸になる気はもっとない。
自衛手段のためには、その詳細を知る必要はあると思っている。
何も知らなければ、対策もとれないから。
「承知した」
わたしの言葉に、雄也さんはそう言って笑った。
無理に聞かせるつもりもないらしい。
その心が有難かった。
「今、聞かなくても良いのか?」
九十九がわたしを気遣うように確認するが……。
「なんとなく、予想はしているんだよ。だから、第三者であるあなたたちの口からよりも、当人たちから聞くのが筋だと思っている。まあ、それでも教えてくれないなら、雄也さんに確認するしかなくなるけどね」
わたしはそう答えた。
「そうか……」
九十九はそう言って、目を伏せた。
この様子から、彼も何かを知っているようだ。
それだけでも、良い話ではないのだろう。
この世界は命が軽い。
そして、全てにおいて平等ではない。
上位者が何か無体な行いをしても、それよりも低い身分の人間は、泣く泣くそれに従うしかないのだ。
アーキスフィーロさまの元婚約者は庶子ではあったものの、立場的には高位貴族の子女である。
そんな彼女やその家の人間が退くしかない、隠すしかない事態や相手なんて、限られているだろう。
そして、アーキスフィーロさまとの婚約を解消せざるを得なかったのだろうけど、わたしと会った時のあの様子だと、あっちも未練がありそうだよね。
それが愛なのか、情なのか分からないけれど、アーキスフィーロさまのことが今も気になるから、わたしに手紙を書き、接触したのだと思う。
貴族の婚姻は庶民のように感情だけでするものではない。
でも、利害関係が一致しているものばかりでもないらしい。
本来は、双方に利があるべきなのに、一方的で不公平な条件のものも多いと聞いた。
肩書き、立場、財産、魔力、血筋、因縁……、いろいろな思惑が入り乱れて、婚姻契約を行うらしい。
そうまでして家のために婚姻をしなければならない貴族子女たちは、どれだけいろいろな思いを呑み込んで臨むのだろうか?
「栞ちゃんは、なんとなく気付いていながらも、現状維持を望むってことだね?」
雄也さんがさらに確認する。
「はい。アーキスフィーロさまが、それを望んでくださるなら」
わたしがそれを拒む理由はない。
もともと逃げ道のための縁談だったから、相手からの愛なんて、始めから全く期待していなかった。
出会ったばかりの相手にすぐ、愛が芽生えることは少ないし、仮に昔からの知り合いだったとしても、愛なんてすぐに育ちはしないだろう。
だから、「妻として愛することはできない」という言葉を聞いてもそうなのか~、そうだよね~、としか思わなかったのだ。
でも、少しの間、あの人の近くにいて、愛はなくても情ぐらいならば育てることはできそうだと感じた。
夫婦というよりも、家族愛ぐらいなら育てられる気がしたのだ。
心優しく人が良すぎて損をしてしまう不器用な人。
そんな人がこれ以上、傷付かないように支えたくなった。
これまで救われなかったあの人を、少しでも手助けできたらって思ったのだ。
これは恋じゃない。
愛でもない。
でも、わたしの方には情が生まれたらしい。
向こうにもそんな感情が生まれるかは分からないけれど、それでも、何かが変わる気がしているのだ。
「わたしは、あの方を支えたいと思っています」
口にしてしまえば単純なもので、言葉にすれば酷く分かりやすいものだった。
ああ、そうか。
わたしはあの人を、救いたいんだ。
自分もまだ周囲から助けられてなんとか生きている身だというのに、本当に傲慢で自分勝手すぎる考え方だとは思うのだけど、そう思ってしまったのだから仕方ない。
「栞ちゃんの考えは分かった。心を決めたなら、それで良い」
雄也さんはそう言って笑った。
「迷いがあるようなら、反対だった。でも、栞ちゃんが良いなら、俺はそれに従う」
「オレも栞が良いなら従う」
二人の言葉に少しだけ胸が騒めいた。
迷いがないわけではない。
だけど、守るって決めたから。
今のままじゃ、守り続けることはできないって分かっているから。
大事なものを守るために、一番良い道を選ぶって決めたから。
二人が、背中を押してくれるから、わたしは突き進む。
それが、自分を殺すことになっても。
「尤も、さっきも言ったように感情だけで突っ切れるほど、単純な話ではない。だけど、強い意思がなければ、乗り越えることもできない話でもある」
雄也さんは改めて、わたしを見る。
「栞ちゃんの心を試すようなことを言って、悪かったね」
そう言って、笑った。
その笑顔だけで許してしまいたくなるから、美形はズルいって思う。
「いいえ。それが雄也さんの仕事でしょうから」
試しとは言ったけれど、それでわたしが迷ったら、すぐに行動に出たと思う。
「一応、もう一つ、聞いておこうか」
「え……?」
雄也さんは少し間を置いて……。
「アーキスフィーロ様のことを愛しているかい?」
そんなことを聞いてきた。
「…………あい?」
好きか? と、問われる気はしていたけれど、まさか愛?
愛?
それは甘くて、強くて、尊くて、気高くて?
愛?
世界の中心でけものが叫ぶもの?
愛? 愛?
……繰り返すとお猿さんの歌が出てくる。
「それについては、よく分かりません」
わたしは素直にそう答える。
「嫌いではないと思います。でも、男性を恋い慕う感情とは違う気がします」
恋い慕う感情なら、もう知っている。
側に居たくて、側にいてほしくてたまらない。
笑って欲しくて、笑ってくれたら嬉しくて、それだけで幸せな気持ちで溢れてしまうのだ。
でも、アーキスフィーロさまにそこまでの感情はないと思う。
側にいることに抵抗はないけれど、側にいて欲しいと願う気持ちはない。
笑って欲しいし、笑ってくれたら嬉しいとは思うけれど、幸せな気持ちが溢れ出しはしない。
ああ、うん。
やっぱり、恋愛感情とはちょっと違うらしい。
「そうか。それは残念だ」
「へ?」
「どうせなら、栞ちゃんには愛し愛されるような相手を選んでほしかったからね」
雄也さんはそう言いながら、少し淋しそうに笑ったのだった。
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