相手の気持ちに左右される
「さて、結局、私情を多分に含んだ話となったが、ここから先はもう少し、地に足のついた現実的な話をしようか」
「先ほどまでの話は非現実だったのか?」
雄也さんの言葉に九十九が反応する。
「相手の気持ちに左右される展望など、頭に描く妄想と変わらん」
雄也さんは辛辣な発言をした。
確かに、先ほどまでの話は、こうなると良い、こうであるだろう、という希望や推量が多かった気がする。
夢や理想、それと、相手への期待ばかりなのだから、現実的とは言い難かったかもしれない。
「どんな状況にでも対応できてこその備えだ。まずは、現状の整理といこうか」
雄也さんはそうニヤリと笑った。
なんとなく、九十九と顔を見合わせてしまう。
高貴な方の悪巧みに巻き込まれた庶民ってこんな感じなのだろうか?
いや、わたしは王族の血を引いているし、彼らも同様だ。
だけど、心境的に逆らえない、従わなければならないと思ってしまう点では一緒だろう。
明らかにわたしと九十九よりも、この状況においては雄也さんが上位である。
流石は、情報国家の王兄の子!!
……九十九もそうなんだけど、彼は弟だからね。
兄には勝てないよね?
セントポーリア国王陛下と情報国家の国王陛下では、後者の方が漂ってくる大物感が凄いのだ。
情報国家の国王陛下の方が年上ってこともあるだろう。
確か、4つか、5つぐらい年齢が上だったと記憶している。
「まずは、栞ちゃんの考えとしては、現状維持ってことで良いかい?」
「この場合の現状とは、アーキスフィーロさまとの契約のことでしょうか?」
「そうだね。まずは、そこが大事だ。それによって、俺たちの動きも変わるからね」
それなら答えは一つだ。
「はい。わたしは、アーキスフィーロさまが望む限りは、今の立場でいようと思います」
断られそうな気配があるけれど、わたしから契約を解消する気はない。
「九十九もそれで良いか?」
「オレはもともと判断する立場にねえ」
雄也さんの確認に対して、九十九はぶっきら棒にそう答える。
「俺はお前の意識を確認している。主人である栞ちゃんに従うのは当然だが、盲目的に従うのは従者として三流以下だ。誤った方向へ主人が向かおうとする時、近くにいる人間が止めなくてどうする?」
雄也さんは微かに笑いながらそう言った。
それだけ聞くと、先ほどのわたしの言葉は誤った方向へ進もうとしているとも受け取れるのは気のせいか?
九十九は少し考えて……。
「主人が誤った方向に進もうとしているなら、当然、諫める。だが、この契約については、栞は何一つ間違っていないと思うから反対する理由はない」
改めてそう答えた。
そこにあるのは揺るぎない信頼。
それがちょっと嬉しい。
でも、同時に、やはり彼は契約をしっかり守る方を優先するんだなとも思って、少し淋しく思った。
「なるほど。自分の意思でもあるのなら、何も問題はない。尤も、正しさだけで世の中が渡れると思うなよ?」
そんな九十九の言葉を受けて、雄也さんは楽しそうに笑った。
「つまり、兄貴は反対派ってことだな」
「ローダンセに行って、アーキスフィーロ様に会うまではお前と同じ考え方だったのだがな。何分、事情が変わった。そういうことだな」
つまり、九十九が言うように、雄也さんは反対ってことなのだろう。
でも、不思議だ。
この人は合理的な面が目立つけれど、契約は守る人だと思っている。
しかも、ローダンセに行くまで……ではなく、アーキスフィーロさまに会うまで……らしい。
わざわざそこを強調した理由は一体……?
「ああ、あの発言か」
「そうだな。あの発言が全てだ」
九十九は全て分かったらしい。
でも、わたしには分からない。
二人が言う「あの発言」とはどの発言のことだろうか?
「栞ちゃんに向かって『妻として愛することはできない』と言い切った。キミは気にしていないかもしれないけれど、あれは立派に侮辱だ。栞ちゃんは、アレを素直に受け入れず、もっと憤って拒絶するべきだった」
雄也さんが薄く笑った。
「いろいろな事情があるからそこは仕方ないのではありませんか?」
「それでも、妻となるべく他国から遠路遥々来た女性の目的そのものをふいにする理由にはならない。断るにしても、もっと相手に配慮すべきだし、栞ちゃんが受けなければ、トルクの顔を潰すことにもなり得た」
わたしの言葉に、温度を感じさせない返答をする。
それだけ、雄也さんはアーキスフィーロさまに対して怒りを覚えているらしい。
「それに、アーキスフィーロ様の言葉は、セントポーリア国王陛下や千歳様の意向にも反する。栞ちゃんの相手としては不適格なんだよ」
そうはっきりと言った。
「あの言葉は、あの方の優しさだとわたしはそう思っています」
「それはどういう意味だい?」
わたしの言葉に、雄也さんはふと、表情を変えた。
先ほどまでの冷たさから一転して、いつものようにわたしに課題を与える時と同じように楽しそうな笑みを浮かべている。
「アーキスフィーロさまは、婚約者を持ちたくなかったと思っています。誰かを婚約者とすれば、その相手が不幸になると思い込んでいるから」
それが、あの「魅惑の魔眼」にあるのか、以前、頻繁に起こっていたという魔力暴走にあるのか、例の「呪われた黒公子」という名にあるのか、ロットベルク家当主や自分の兄から疎まれていることにあるのか、その理由は分からない。
ああ、確かに、わたしたちは会話が足りなかった。
その根本的な所を何一つとして、確認していなかったのだから。
「あなたたちも多分、その理由を知っているのでしょう? だから、そういった意味でも、雄也さんはわたしをアーキスフィーロさまから離したいのではないですか?」
そして、それが、アーキスフィーロさまが以前の婚約者との関係を解消した本当の理由でもあるのだろう。
雄也さんが一度結ばれた契約を破棄したいと思うのもそれが原因だと思う。
九十九はそれよりも契約を重視した。
わたしを守るために。
でも、雄也さんは契約よりも、わたしの身の安全を重視した。
こちらもわたしを守るために。
「何故、そう思うんだい?」
「まだ確認していないために、はっきりとした根拠はないのですが、引っかかったのは、王子殿下たちからのラブレターですかね」
わたしに宛てられたものと、アーキスフィーロさまに宛てられたもの。
それらは全く違う文面ではあったけれど、共通することがあった。
それは、アーキスフィーロさまの傍にいると、わたしが必ず不幸になるというものだ。
「既に、前例があったから、王子殿下たちは確信をもって、わたしに忠告、警告をしているのではないかと思ったのです」
だから、アーキスフィーロさまは前の婚約者との関係を解消せざるをえなかった。
本当は好きなのに、これ以上、自分の側に置くと、彼女が不幸になると思ったから。
前の婚約者がどんな不幸にあったのかは分からない。
だけど、彼女自身から、わたしに対して助言……、いや、忠告染みた言葉を告げている。
―――― アキのお兄さんと、第三王子殿下には気を付けて
つまり、彼らがアーキスフィーロさまの元婚約者に何かした、あるいは、しようとしたのだと思った。
特に第三王子殿下の品のない手紙からもその線が濃厚だと思う。
そして、他の手紙から、それ以外の王子殿下たちも知っている可能性がある。
「そして、雄也さんはその前例を知っていますね?」
多分、九十九も。
だけど、わたしには伝えていない。
アーキスフィーロさまの元婚約者がわたしと無関係だったなら、言ってくれたかもしれない。
いや、いつもなら話してくれただろう。
事情を知らなければ、わたしが、アーキスフィーロさまの婚約者候補として、何を警戒すれば良いのか分からないから。
だけど、人間界で、わたしは彼女とも交流があったのだ。
だから、それを知った雄也さんも九十九も、多分、アーキスフィーロさまも、わたしに話すことができなかったのだと思っている。
アーキスフィーロさまの前の婚約者の身に起きた悲劇を。
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