甘い護衛
「ここからは現状問題の共有と相互理解をしたいけど、その前に……」
雄也さんがそう言いながら、跪く。
九十九も横に並んで同じように跪き……。
「御身を危険に晒した上、守ることもできず、申し訳ございません、栞様」
「申し訳ございません、栞様」
そんな雄也さんの言葉の後、九十九が続き、二人して、同時に頭を下げた。
その行動に思わず、頭が真っ白になってしまう。
こんなのは、嫌だ。
二人に跪かれ、こんな風に堅苦しい言葉で謝られるのは、耐え難い!!
何度も、謝られたことはあったけれど、これまで、一度もこんな形ではなかったのに……。
「栞様の性格上、こんなのは嫌だということは重々承知です。ですが、形式は大事なもの。特に、今回は栞様の命の危機だったということもあります。お言葉を返していただけないでしょうか?」
戸惑っているわたしに対して、雄也さんが頭を下げたまま、そう言った。
それなら、わたしはちゃんと返さなければいけない。
「シャザイを受け入れマス」
多少、言葉が硬くなったことは許して欲しい。
「ですから、顔を上げてください」
わたしがそう声をかけると、二人して顔を上げ、立ち上がる。
護衛でもあり、友人でもある二人にいつまでもそんな姿でいて欲しくない。
「本当にごめんね、栞ちゃん」
雄也さんが顔を上げる。
九十九は顔を伏せたままだ。
だから、彼がどんな顔をしているのか、立っているわたしには分からない。
「謝らないでください。今回のことはわたしが悪いのであって、あなたと九十九は何も悪くありません。寧ろ……、最後まで見守ってくださって、ありがとうございました」
今度はわたしの方が頭を下げる。
「あそこで止められたら、わたしは止めた人間を恨んだかもしれません。あの時、あの瞬間しか、ライトを延命させることはできなかった。少なくともわたしはそう思っています」
今、同じような状況になっても、同じことはできないだろう。
いつもと違う場所、状況、恰好、いろいろな、非日常が重なったからこそ、何かできる気がしたのだ。
「そのことなんだけどね、栞ちゃん」
「はい」
「友人を助けたいというキミの意思は尊重したい。だけど、そこに栞ちゃんの命が係るなら、話は変わってくる」
こ、これは……。
「勿論、聡明なキミのことだ。俺たちがどんな気持ちであの光景を見守ったのかも理解してくれているよね?」
ザ! お説教モード!?
笑顔で確認してくる雄也さんから妙な重圧を覚える。
セントポーリア国王陛下並の空気の圧力だ。
いや、分かっている。
寧ろ、先延ばししてくれていたのだということも分かっている。
だけど、背筋に冷たいものが走るのだから仕方ない。
そして、わたしが怖さを覚えるような事態になった時、いつも助けてくれるもう一人の護衛からも似たような冷気を先ほどから感じている。
即ち、こちらもかなり怒っているということだ。
これまで我慢していた……というか、考えないようにしてくれていたのだろう。
だが、一度、意識をしてしまったら、見逃してはもらえないらしい。
わたしは観念することにした。
この場合、どう考えても、悪いのはわたしだ。
どんなに有能な護衛でも、その護るべき対象が自分から燃え盛る火事場へ突進して行ったら、助けることは難しい。
普通は熱さと激しさから足を前に出すことすら怯むような場面でも、進むどころか飛び込んでしまったのだ。
彼らとしても言いたいことは山ほどあるに違いない。
わたしは俯き、肩を落として沙汰を待つ。
そんなわたしの様子を見て、雄也さんは大きく溜息を吐いた。
「心が狭いことを言いたいわけではないんだよ? だけど、今回のことは、看過できそうにない。だから、俺から幾つか物申したいと思う」
「はい」
思わず、背筋が伸びる。
同時に、自分の喉が、ごくりと何かを呑み込んだことは分かった。
「まず、自分で行動する前に相談してほしい」
「……はい」
確かに勢いで突っ走り過ぎた感はある。
だけど、あの時は、あれ以外考えられなかったのだ。
視野が狭いとか、直情的とか、猪突猛進とか、そんな言葉が次々と頭に思い浮かぶ。
「今回は、運が良かった。でも、次はないかもしれない」
「はい」
雄也さんの言葉が正論すぎて、先ほどからわたしは「はい」以外の言葉を口にできない。
冷静になった今なら分かるのだ。
わたしはアホかと。
そして、落ち着いた今だから言えるのだ。
わたしはアホだと。
「キミの心を否定したいわけではない。恐らく、俺や九十九が彼と同じような立場なら、多分、栞ちゃんは迷いもなく同じ行動に出るだろう」
「はい」
それはそうだ。
あの時、あの場所にいたのが、ライトじゃなくて、今も心配そうな黒い瞳をわたしに向けている護衛兄弟だったとしても、わたしは同じ行動をしていたと胸を張って言える。
いや、ダメなんだけど。
それがダメって分かっているけど。
助けられると思ったなら、助けるために力を尽くしたいじゃないか。
その結果、自分の命を懸けることになったらしいのは……、はい、見通しが甘すぎたとしか言いようがないのだけど。
「だけど、その前に、相手の意思も確認してほしい。命が助かりたいと思っていても、彼は栞ちゃんの命を懸けることは望んでいなかったはずだ」
「それは……」
それも分かっている。
彼は助かりたいと言った。
生への渇望は捨てられなかったと。
でも、わたしの身を賭けることはしないとも言った。
だから、逆に、わたしの方が覚悟を決めてしまったのかもしれない。
自分の命よりも、わたしのことを考えてくれたあの人を助けたいと思ってしまったのだ。
「栞ちゃん。キミが善だと思った行動も、相手にとっては偽善だと受け止められてしまうかもしれない。いい迷惑だと。あの時点で彼は運命を受け入れる準備をしていたのだ。その点については考えたかい?」
……偽善。
そうかもしれない。
わたしがやった行動は善意の押し付けであり、彼にとってはただの迷惑行為だったことも分かっている。
だけど……。
「押し付けでも何でも、死を受け入れて欲しくなかったのです」
そう思ってしまった。
死んでほしくないと。
諦めてほしくないと。
そんなに簡単に受け入れて欲しくないと。
「わたしの我が儘だって分かっていても、ライトに生きていて欲しいのです」
結局は、ただの自分勝手な思いでしかない。
それでも、やはり、生きていて欲しいと願ってしまった。
あの人がそれを望んでいなかったとしても。
「それが我が儘だって分かっているんだね?」
「はい。わたしの……、勝手な思いです」
結局は、延命行為でしかなかった。
無駄にあの人を苦しませる結果になるだろう。
それでも、わたしは、わたし自身が……。
「それでも、わたし自身が諦めたくなかったのです」
ライトがあのまま、闇に呑まれるのは我慢できなかった。
あの人は何も悪くないのに!!
「うん。だから、ちゃんと相談してほしい」
「え?」
「栞ちゃんの我儘を叶えるのが、俺と九十九の役目だから」
雄也さんはそう言って、わたしを見る。
「確かにキミと比べたら頼りないかもしれないけれど、少しはマシな案を出せるかもしれないから」
わたしは首を横に振った。
「頼りにしてます」
頼りないなんてことはない。
二人はいつも、わたしを助けてくれている。
わたしが頼らないだけだ。
「うん。だから、もっと頼って? 我が主人?」
「ふぎっ!?」
ここで、色気のある笑みを向けられると困る。
九十九が雄也さんの後ろで呆れたように溜息を吐くのが見えた。
どうせ、残念な女だとか思っているのだろう。
自分でもそう思うから。
今の反応は主人としても、女としても、友人としても、ないだろう。
「も、もっと頼るようにします」
そんな言葉を息も絶え絶えに口にするしかない。
それだけ、今の甘い声と表情は良くなかった。
致命傷になり得るほどの破壊力だったのだ。
だけど、甘かった。
本当に、わたしは甘かったのだ。
「うん。栞ちゃんから頼られるのは、俺も嬉しいからね」
そう言って、さらに笑った雄也さんの顔と声は、見聞きした女性をドロドロに溶かしてしまうほど、とても甘いものだったから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




