好きか、嫌いか
「さて、ローダンセの裏事情を、ある程度推測したところで、ここから先はもう少し現実的な話をしようか?」
雄也さんはそう言った。
先ほどまでの話は、現実的なモノではなかったらしい。
まあ、過去の話と現状を結び付けて推測していたことばかりだったので、確かに現実的な話とは違うのか。
「まず、意思確認をしておこう」
ぬ?
意思確認?
「栞ちゃんはこの先もローダンセにいたいかい?」
「え?」
その質問に思わず、身体が固まってしまった。
「それは、アーキスフィーロさまとの契約を解消するかどうかという話でしょうか?」
これまでの状況や、先ほどの話を総合すると、雄也さんが反対しているということは分かる。
でも、わたしは……。
「いいや、違うよ」
「へ?」
「まず、アーキスフィーロ様との契約のことは一度、この辺りに置いておこうか」
雄也さんはそう言って、今は何も置かれていない机を指す。
「最初の確認は、栞ちゃんはこれから先も、ローダンセという国にいたいかどうかという話だね。あの国が好きか、嫌いかの方が分かりやすいかな?」
なるほど。
アーキスフィーロさまのことを考えずにローダンセという国だけで判断しろということか。
それならば……。
「現時点では、好きになれない国だと思います」
これは苦手とかいうレベルの話ではないだろう。
わたしが、ほとんどロットベルク家から出ていないってこともあるだろうけど、それを差し引いても、いろいろ酷いと思う。
いや、そのロットベルク家自体がとにかく救いようがない。
アーキスフィーロさまに対する態度も酷いし、当主も長子も貴族でやっていけるかどうかが心配になる。
本当によくアーキスフィーロさまは真っすぐ育ったよね。
……ある意味、育てられてないからか。
「現時点では?」
「好き嫌いを判断できるほど、わたしはローダンセという国のことをよく知りません」
ローダンセに来てから、ほぼロットベルク家の地下に生息。
たまにアーキスフィーロさまに連れられて登城し、そこでもやはり地下活動。
そして、舞踏会に2回参加しただけで、それ以外の外出は、アーキスフィーロさまの元婚約者殿との対面ぐらいだった。
それでは何も分からない。
ああ、城の庭にあるヴィーシニャという花は昼も夜も綺麗だった。
「ローダンセのヴィーシニャの花は好きだと思います」
尤も、「ヴィーシニャ」という単語に関しては、扱いに困るローダンセの第二王子殿下を思い出してしまうから、好きだと言い切れないのだけど。
「あれだけの目に遭って、よく嫌いにならないもんだな」
「ぬ?」
ずっと黙っていた九十九が不意にそんなことを言った。
「オレは、ローダンセに行ったその日のうちに嫌いになったからな」
確かに九十九も雄也さんも、ローダンセに着いた時からピリピリしていた。
だけど、九十九がその日のうちに嫌いになったことは知らなかった。
「なんで?」
「まず、城下に入る前の門ロットベルク家までずっと歩いていたよな? 他国の王族であるトルクスタン王子が」
ああ、それは城下の入り口からわたしも思っていた。
「トルクスタン王子は長距離の移動魔法が使えるから、迎えは不要だと思われたんじゃないの?」
「それを確認しない所に問題があるとは思わないか?」
「他国の王族であるトルクスタン王子が歩きたいって言ったら、一貴族でしかないロットベルク家は従うしかないと思うけど」
ロットベルク家への連絡は、基本的にトルクスタン王子がやっていたから、そこでどんなやり取りが行われたかは分からない。
あったかもしれない。
やっぱりなかったかもしれない。
それを知るのはトルクスタン王子だけである。
「ロットベルク家の玄関先でも待たされただろ? 客を待たせ過ぎだ」
あの時、トルクスタン王子も「遅い」と言っていた。
だけど……。
「聞けば聞くほど、九十九はローダンセっていうより、ロットベルク家が嫌いなのはよく分かった」
九十九も雄也さんも護衛だけでなく、従者、城の使用人、文官、女中や侍女の仕事までできてしまうほど万能型だ。
それなら、わたし以上に使用人等の粗が見えてしまうだろう。
だが、思う。
わたしの護衛たちがいろいろできるだけで、世間一般、大多数の人たちはあそこまでできない!!
「最初に出迎えた人も、いろいろ失礼だったとは思うけどね」
最初の礼は小馬鹿にしたものだったし、聞き返す時に「は? 」だったし、客人を中に案内しないまま玄関先で暫し放置するなど、見事に三死で交替な話だった。
だけど、それはロットベルク家の問題であって、ローダンセの問題ではない。
「ロットベルク家だけじゃねえよ。城の人間だって大概、酷えじゃねえか」
「まあ、それは確かになかなか強烈な人が多いね」
いろいろ酷いけど、一番駄目だと思うのは、アーキスフィーロさまに対する態度だろう。
あるかどうかも分からない呪いをどこまで信じている人がいるか分からないけれど、人によって分かりやすく態度を変えているのは王城に勤務する人間としては良くないだろう。
しかも、傍に、他国の人間であるわたしがいるのに。
思うことがあっても飲み込むのが、仕事をする上で必要だと思うけれど、それは理想でしかないのだろうか?
だが、大聖堂で雑務を行う準神官の方が、下神官から扱き使われているだけあって私情をそこまで表に出すことなく、動きもしっかりしている気がする。
その下神官だって、上司である正神官がずっとその動きを審査しているためか、通路や人目につくような場所では、やはり負の感情を表に出さないし、かなりその所作も洗練されていると思う。
正神官、上神官にもなれば、貴族と接する機会は多くなってくるし、高神官になれば王族との対応もあるから、下位の神官とは比べ物にならない。
つまり、ローダンセの従者、使用人、女中は、一度、ストレリチアで修業した方が良いんじゃないかな?
でも、どの国も家事使用人を雇う時に、その家の方針とかは学ぶとは思うんだよね。
そうなると、政変のどさくさで、その辺りも影響を受けた?
120年前の政変で末王子が生き残り、その10年後ぐらいに女王になった姉を追い落としたことで、男尊女卑が加速したという話を聞いた。
それらが無関係とは思えない。
「でも、国の魅力って人じゃないでしょう?」
「人だよ。そこの住人を気に入れば良い国だって思えるし、住民から嫌な扱いを受ければ嫌な国って思う」
「極端だなあ……」
わたしは人だけだとは思わない。
景色とか文化とか、歴史とか、その場所の空気とかも好き嫌いに入ると思う。
―――― でも、それらを作り出すのは?
自然による風景はともかく、文化や歴史なんて人間が作り出す最たるものだ。
それに、その場所の空気だって、結局、一緒にいる人間によって左右される。
そう考えると、人間によって、その国の好き好きが左右されるという考え方は分からなくもないのか。
「栞ちゃんの意見はよく分かった。それでは、そのロットベルク家についてはどう思う?」
雄也さんは苦笑しながら、更なる問いかけを口にした。
「ロットベルク家について……」
これはこれで答えにくいものがある。
いや、さっきまで散々考えていたけれど、それを口に出すのは流石に立場上、憚られた。
「懐は深い気がするけど、ちょっと吝嗇……ですかね?」
少し考えて、言葉を選び取る。
親族であり王族でもあるとはいえ、トルクスタン王子やその連れをかなり長い間、滞在させるのは凄いと思う。
その間、どうしても世話をしなければいけなくなるのだし。
しかも、連れているのはトルクスタン王子の世話をする侍女ではなく、同行している貴族女性。
だから、客人としてそちらの世話も必要になるってことだ。
それは、普通ならばどれだけ負担を強いることだろうか。
だけど、滞在費用は全てトルクスタン王子持ちらしい。
さらに言えば、アーキスフィーロさまの婚約者候補であり、同じくトルクスタン王子の同行でもあるわたしの費用についても一緒に請求されているそうな。
わたしや、トルクスタン王子が護衛として連れてきた同性の貴族も、ロットベルク家にお世話になっているのは、寝る場所の提供ぐらいなのだが、それでもトルクスタン王子と同額を請求してくる辺りが不思議だった。
でも、同時に、トルクスタン王子やその連れ、わたしたちが何をやってもほとんど気にしていない。
何かやらかしたらロットベルク家の問題ともなりかねないのに、四六時中、見張られることもなく放置、容認されている。
そのことを伝えると……。
「なるほど」
「お前はアホか」
雄也さんは納得してくれたが、九十九の反応は酷かった。
「ほぼ寝床の提供しかしていないヤツらの方から、暴利な宿代を請求してくるのはおかしいだろ?」
「暴利な宿代?」
「貴族街で空いた屋敷を一年間借り……、いや買った方がずっと安い金額を請求されている。オレは断るように言ったがな。ロットベルク家の困窮を知っているから、援助のつもりでトルクスタン王子は提供している」
「ふわっ!?」
それなら、貴族街の屋敷を借り受けた方が良かったんじゃないの?
気遣わなくて良いし、トルクスタン王子も気楽だろう……って……。
「トルクスタン王子にも、寝床の提供しかしていないの?」
「それはトルクが断ったからだね。食事にしても、身支度にしても、室内の清掃にしても、俺たちが調えた方がマシなんだよ」
「ああ、そう言えばそうでしたね」
トルクスタン王子もそんなことを言っていた。
食事は分かる。
九十九の料理は絶品だし、雄也さんの料理も美味である。
それ以外の面でも、わたしの護衛たちは実に優秀だ。
アーキスフィーロさまも屋敷の厨房に準備されている料理を、セヴェロさんが取りに行くこともなくなっていた。
だけど、わたしがいない間、あの人は食事をどうしているのだろうか?
不意に、そんなことが気になったのだった。
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