さっさと読むな
「どうしてこうなった!?」
「久しぶりだな、その叫び」
わたしのそんな言葉に対して、対面に座っている九十九が苦笑する。
だけど、そう言いたくなるのは分かっているのだろう。
「何? この分厚さ!?」
そう言うわたしの手には分厚い冊子のような報告書の束があったのだから。
これは一体、何枚……、いや、何頁あるのだろう?
しかも、それが2冊もあるのだ。
文字を読むのは嫌いじゃないから良いけど、ちょっとばかり量が多い気がする。
日本語で書いてくれているから、彼らなりの気遣いなのだとは思うし、書くのはもっと大変だったということは分かっているが、まず叫びたかったのだ。
「仮面舞踏会から、城下の森での記録だから、大体、5日分くらいか?」
九十九が顎に手を当てて、少しだけ視線を上に向ける。
「5日……」
その日数は少ない物ではない。
だが、それでも5日分の記録にしては多すぎる気がする。
まるで、小説のような記録だった。
「わたしが寝ている間に一体、何があったの?」
「さっきのお前の叫びだよ」
「へ?」
わたしの叫び?
「オレも、『どうしてこうなった? 』って何度か叫びたくなったし、多分、兄貴も叫びたかったと思うぞ?」
「おおう?」
つまり、それだけのことが起きたってことだろう。
しかし、九十九はともかく雄也さんが「どうしてこうなった? 」と叫ぶ姿はあまり想像できなかった。
「分かった。頑張って読む」
彼らの記録は、言い換えれば、彼らが見聞きした記録でもある。
それなら、わたしも逃げるわけにはいかない。
「おお、頑張れ。分からないことがあったら聞け。兄貴の分もオレが解説できる」
「そう言えばその雄也さんは?」
わたしにこの分厚い報告書を、笑顔で渡してくれたのは雄也さんだった。
だが、今はその姿はない。
「兄貴は別室で、文書の仕分けだ」
「文書? セントポーリア国王陛下からお仕事をもらったの?」
ここはセントポーリア城下の森だから、その可能性はあるだろう。
九十九も雄也さんも護衛として有能なだけでなく、優秀な文官とおなじような仕事ができる。
本当に凄いよね。
「お前は陛下をなんだと思っているんだ?」
「隙あらばわたしたちを仕事に巻き込む上司」
「間違ってねえけど、お前がそう思っていることを知ったら、流石に陛下は落ち込むと思うぞ?」
間違っていないと思っている時点で、九十九もそう思っていることが分かる。
「セントポーリア国王陛下は関係ないの?」
「陛下からの伝書もあったようだから、全く無関係ではないな。この5日間に来たオレたち宛の手紙の内容確認だ」
「あ~、人気者は大変だねえ」
一週間にも満たない間に仕分けが必要なほど手紙が届くなんて、どこのお貴族さまでしょうか?
「言っておくけど、お前宛に来たものが一番多いんだからな」
「ほへ?」
「ロットベルク家に届いたお前宛の手紙も全部、こっちに回すようにあの精霊族に頼んでおいたんだよ。あの精霊族の目が入って送られてきた手紙を、兄貴の目が通った後に、お前に渡すって言ってたぞ」
この量の「伝書」が、ここまで届いたとは思えない。
具体的な金額は知らないけれど、「伝書」はお高いらしいから。
そう考えると、雄也さんは、一度、ローダンセに戻っているのかもしれない。
「分かった。こっちをさっさと読むね」
雄也さんが、侍女のお仕事をここでもしてくれているというなら、わたしも主人として務めは果たそう。
ウォルダンテ大陸言語を読めるようにはなっているけれど、お貴族さまの独特な言い回しになると自信はない。
神官からのお手紙は大分、読めるようになったんだけどな~。
でも、雄也さんなら、この部屋にいてもその仕分けとやらはできると思う。
それなのに別室に行って、その代わりってわけじゃないけど、九十九がここにいてくれるのは、護衛ということもあるけど、雄也さんから言われたのかもしれない。
わたしが気持ちを言ったから気を遣わせちゃったかな?
考え過ぎ?
まあ、どちらにしても九十九と二人なのは嬉しいから良いか。
「さっさと読むな」
「ほへ?」
浮ついたことを考えていると、九十九がそんなことを言った。
「兄貴の方はまだまだかかる。量はあったからな。だから、その手にある報告書はじっくり、見落としのないようにしっかり読め」
「ら、らじゃ~?」
かなり、真剣な顔でそんなことを言われた。
どうやら、相当なことがあったらしい。
しかし、そこまで言われたら、読み込む必要があるだろう。
わたしも九十九と二人で嬉しいなんて、フワフワした気分ではいけないね。
「じゃあ、頑張って読む!! でも、どっちから読めば良い? おすすめはある?」
「あ~、時系列を考えれば、右手に持っている方だな。仮面舞踏会の話と、大聖堂で聞いた話がある」
「あ、これ……。2冊あるけど、よく見ると記録者が別ってわけじゃないんだね」
パラパラとめくると、九十九と雄也さんの文字が混ざっていることが分かる。
でも、所々不穏な単語が混ざっているような気がするのは気のせいか?
「大聖堂にも行ったんだ」
たった5日の間で、ローダンセからストレリチア、セントポーリアと渡り歩いたことになる。
「内容的に大神官猊下に話した方が良いと思ったんだよ。話を聞いたのはオレだけで、兄貴は挨拶だけしかしていないけどな」
九十九が大神官である恭哉兄ちゃんに、雄也さんがセントポーリア国王陛下にそれぞれ報告したってことらしい。
「なるほど……」
わたしはそう言いながら、表紙を捲って、本文を読み始める。
最初は雄也さんの文字だった。
日本語もお上手だよね。
漢字も平仮名も片仮名も綺麗だ。
だが、そんな呑気な感想はあっという間に消えることになる。
今、わたしが読んでいるのは、会場から離れた直後の様子だと思うけど……。
「九十九……」
「なんだよ?」
「お疲れさま」
わたしとしてはそう言うしかない。
「どこだ?」
どこって……。
そんなに労わなければいけないことが多かったのか。
「会場からの実況。雄也さん視点」
「ああ、それならオレや兄貴よりもトルクスタン王子殿下の方が頑張ってくれた」
九十九がわたしの持っている紙を覗き込む。
黒い前髪がさらりと揺れた。
「そっか。御礼、考えなきゃね。何が良いかな?」
わたしが自由にできるものなんて限られているけど、一応、考えないとね。
「それについては兄貴が貸しの一つを返してもらっただけだって言ってたぞ」
「それは雄也さんの貸しであって、わたし自身も御礼しないといけないでしょう?」
「栞自身……? いや、それは止めておけ」
九十九が難しい顔をした後、また真顔になる。
「へ?」
「その辺りは兄貴が考えるし、オレも考えている。それに、あの場をトルクスタン王子殿下に任せたのはオレたちだ。だから、お前は絶対に何もするな。いいな? 絶対に何もするなよ?」
九十九はかなり強い口調でわたしに向かってそう言うものだから、それに対して「承知」以外の言葉を返せるはずもない。
「でも、これって、わたしのせいじゃない?」
それでも、気になったので確認する。
ここに書かれているのは、わたしがライトに手を引かれて、会場から露台に出た時の様子であった。
護衛二人はまず、その露台へ向かう扉を固定して完全閉鎖したらしい。
……いや、城だよね!?
さらに扉に認識阻害を掛け、そこへ向かう通路に幻影を使うという徹底っぷりである。
いや、だから、城だよね!?
城でそんな魔法を使いまくって良いの!?
そんな疑問に答えるべく、補足として「今回は魔法ではなく、魔石と魔道具を使用」「痕跡を分かりにくくしているため、誰がやったかは分からない」とか「あの状況で疑われるのは連れ出した本人か機械国家の王子」などと書かれている。
「ここに書いている通り、連れ出した人間が真っ先に疑われている。あの様子だと、紅い髪の息が掛かった人間もいたようだから、そっちからの誤魔化しもあった。だから、連れ出されたお前が何かしたとは思われないよ」
「いや、その後に機械国家の王子が疑われるって書いてあるじゃないか」
「魔道具だからな。流石に城内で許可なく魔法は移動系と身体強化ぐらいしか使ってねえよ」
なんだろう?
この微妙に噛み合っていない感は。
いや、少しずつ話題をずらされている気がする。
「大体、あれを見てお前が加害者なんて、誰も思わん。どう見ても、あの紅い髪に連れ去られていたじゃねえか。あの男が誘拐犯として捜索されなかっただけマシだろ?」
「それは、確かに?」
ちょっと納得はできないけれど、ここで引くべきかな。
実際、わたしが外へ出ることになったのは、紅い髪の青年、ライトから手を引かれたからである。
「まあ、直後、第二王子殿下が煩かったのは事実だ。『ヴィーシニャの精が攫われた!! 』って叫んでいたからな」
「仮面、意味なし」
「オレもそう思った」
その状況がありありと思い浮かんでしまうのは何故だろう?
「第五王子殿下も『人間界で卒業式を破壊しようとした男に似ている』と呟いたのが聞こえたから、まあ、あの紅い髪が完全に悪人扱いだな。尤も、ヤツのことだから、用もなく、ローダンセ城に来ることはもうないだろう」
確かに、あのライトが意味なくローダンセ城に来るとは思えない。
だけど、何人かあの人の命令を聞いた人たちはいるはずだ。
そうでなければ、あの曲が演奏されることはなかっただろう。
「つまり、あの夜、あの場からお前を攫った犯人は、絶対に捕まらないってことだな」
九十九はそう言って、どこか皮肉気に笑ったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




