アレが良いのだ
「御守りが?」
「はい。左手首から消えてしまっていて……」
とりあえず、折角、会えたのだからと、雄也さんに相談することにした。
因みに、雄也さんが、厨房にいたのは食事をしていたためらしい。
九十九は食べる前に、お風呂に行ったそうな。
この世界には洗浄魔法があるが、九十九は人間界にいたせいか、わたしと同じようにお風呂に入る習慣が身に付いている。
雄也さんは、そういった時間帯に一緒にいることが少ないせいか、お風呂に入るイメージはあまりない。
なんとなく、洗浄魔法で時間節約型だよね?
まあ、大聖堂にて「湯成の儀式」を模した時は、お風呂に入ったと言えなくもないのだけど、あれは何か違うと思う。
「通信珠はなんとかなると思います。ですが、御守りだけは、ないと困ってしまいます」
いや、恭哉兄ちゃんなら新しい御守りを作ることも可能だとは思っている。
だけど、わたしはあの御守りが良いのだ。
我が儘だって分かっているけど、あの御守りはこの世界に来て、九十九から手渡されたあの日からずっと、わたしを助けてくれていたのだから。
「通信珠やそれ以外の装飾品については、断言はできないけど、あの御守りだけは、多分、栞ちゃんの手に戻ってくるとは思うよ」
雄也さんは暫く考えていたようだが、わたしに向かってそう言った。
「以前、クレスノダール王子殿下から伺ったことがある。アレは、完全に栞ちゃんの物になっているから、召喚魔法を使えなくても、あの御守りそのものがなくならない限りは、必ず戻ってくる、と」
「そうなんですか!?」
そう言えば、前、そんなことを言っていた気がする。
実際、あの御守りは崖下へ向かってぶん投げたこともあったのに、ちゃんとわたしの許へ戻ってきたのだ。
「そうだね。通信珠の方は新たなモノを用意できるけど、九十九仕様の方も、まだ必要かい?」
「はい」
「即答だね」
わたしの言葉に、雄也さんが苦笑した。
「これもあまり良くないことだとは分かっているのですが、一つぐらいは繋がりを持ちたいのです」
婚約者候補がいるというのに、他の男の気配がする通信珠なんて、本来は持っていたらいけないものだろう。
「そこまで相手に気遣わなくても良いんだよ?」
雄也さんがわたしを気遣うかのようにそう言った。
わたしの気持ちを伝えたからだろう。
「でも、けじめは大事でしょう?」
「相手もけじめを付けた上で、キミにもそれを押し付けるなら、大事と言えなくもないだろうね」
おおう、棘のあるお言葉。
なんとなく、なんとなくなんだけど、雄也さんはこの話、あまり気乗りしていないんじゃないかな? と思っていた。
特にローダンセに行ってから、それが顕著だと思う。
始めはそうじゃなかったんだけどね。
「一方的な契約は破綻しやすくなるから、その辺りも話し合った方が良いんじゃないかな? 今のままでは栞ちゃんの負担が大きすぎる」
「そうでしょうか?」
どちらかというとアーキスフィーロさまの方に負担が圧し掛かっているイメージが強い。
住む場所の提供とか、本来、婚約者候補の時点ではする必要もない話だ。
その上、わたしの部屋までくれたし、専属侍女も許可をしてくれている。
わたしは何も返していないのに。
「まあ、その話も後だね。まずは、風呂上がりの弟を迎え入れようか」
雄也さんがそう柔らかく笑う。
それから六十分刻もしないうちに……。
「栞、起きたのか?」
首にタオルを引っかけただけの、上半身、裸の殿方がお出ましになった。
そうだった。
九十九は、寛いでいる時、お風呂上りは半裸の人だったのだ。
いや、別に良いですよ。
しっかり見て、記憶してから、後で絵にするだけですので。
「お前、なんて、だらしない恰好で女性の前に出てくるんだ?」
「いや、風呂から上がったら、栞の気配があったから急いだんだよ」
九十九は早着替えができる人だったはずですよね?
それでも、慌てて出てきたのだろう。
彼にしては珍しく、髪が濡れているから。
……これを眼福と言うのかもしれない。
「出直せ」
「今更だろ?」
そう言いながら、九十九は髪を乱暴にタオルでガシガシと拭いた。
いつもは乾燥石を使って丁寧にする彼にしては、こんな姿も珍しい。
明らかに不機嫌なのは分かる。
わたし、また、何かやったっけ?
いろいろやりまくっていた。
そして、やりまくった結果が、この状況なのだ。
もしかしなくても、その辺りを怒っているのかもしれない。
「栞、飯は?」
「あ……、まだ……」
わたしがそう言ったタイミングで、小さくだけど、お腹の音が鳴ってしまった。
護衛の二人が同時に顔を逸らしたから、どちらにも聞こえてしまったのだろう。
雄也さんなんか、下を見て肩を震わせている。
真央先輩ほどじゃないけど、雄也さんも結構、笑い上戸だよね?
しかし、あんなに小さな音でも拾ってしまう彼らの耳ってどうなっているの?
常日頃から身体強化しているわけではないよね?
「じゃあ、座って待ってろ」
九十九は顔を逸らして、口を押さえたまま、そう言った。
もういっそ、雄也さんのようにしっかり笑ってください。
「うわあ……」
そうして、わたしの前に出されたのは、雑炊のようなものだった。
「イシューの雑炊だ」
今回はちゃんと雑炊という名前らしい。
イシューってあれだよね?
ローダンセに入る前に見た、稲によく似た植物だ。
「栞は暫く、食ってなかったからな。消化器官を考えたら、この方が良いだろ?」
「ぬ?」
暫く食ってなかった?
ああ、確かにモレナさまからセントポーリア城下の森に連れて来られてからは何も食べていなかったね。
「最後に食ったのが、仮面舞踏会の前だった。しかも、その時はボールガウンを着るために軽い物しか食ってなかっただろ? それからもうほぼ五日だ。胃がかなり弱っていると思うぞ?」
「五日!?」
え?
九十九たちが迎えに来てくれてから、わたしはそんなに寝ていたの!?
「栞ちゃんが実体化した後、眠っていたのは丸一日かな。なかなか目を覚まさないから俺は、心配したけど、九十九は大丈夫って言っていたから、それを信じたんだよ」
「おおう……」
つまり、わたしがモレナさまにこの国に連れて来られた後も、結構な時間が経っていたらしい。
いや、時間の感覚なんてほとんどなかった。
あの城下の森によく似た場所で、モレナさまとどれぐらいの時間を過ごしていたかも分からない。
「何でもいいから、食え。話はそれからだ」
九十九が、目の前の雑炊を食べるように勧めてくれる。
確かに、熱いうちに食べたい。
「いただきます」
手を合わせて、そう言った後、早速、食べ始める。
う~む。
毎度ながら、どうしたら、こんな深みのある味になるのだろう?
出汁?
だけど、この世界は、その出汁すら容易に取れないのだ。
「美味いか?」
「美味しい」
和風出汁の雑炊を思い出すような風味に、懐かしくて泣きたくなる。
でも、何よりも温かい。
温かい物を食べるとホッとするよね。
それも、これも、自分が生きているからこそだ。
あの時、うっかり死んでいたら、コレを食べることはできなかった。
痛みがなかったわけではない。
苦しくなかったわけでもない。
でも、あの場で、あの人を見捨てたくもなかった。
あの人自身も死にたくないと願っていたのだから。
だけど、わたし自身が死にたいわけでもなかった。
命を懸けるって実感が薄かったこともある。
でも、今、わたしを見守る二人の目から、自分がどれだけのことをしたのかを思い知らされている気がする。
勿論、二人にそんなつもりはないだろう。
これはわたしが勝手に思い込んでいるだけの話だ。
それでも、やはり、反省はしないといけない。
そう反省しつつ、わたしは目の前の雑炊を味わう。
うむ!
美味なり!!
それから、お風呂に入る許可をもらった。
あの仮面舞踏会から既に約5日も経過しているってことは、それだけ、わたしもお風呂に入っていなかったってことだ。
お腹が減っていなかったことからも、その自覚はなかったけれど、気付いてしまった以上、それは無視できない。
一応、妙齢の女として!!
時間帯としては朝風呂と呼ばれるものになるが、今回は仕方ないだろう。
九十九だって、お風呂に入っていたわけだしね。
尤も、九十九は既にいつもの日課をこなした後で、入浴というよりも汗を流すためのシャワーだったらしいけど。
そして、諸々のことが終わった後、ようやく今回の話について、3人で話すことになるのだが、その前に分厚い壁が待っていることを、この時のわたしは気付いていなかったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




