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『わたしは、九十九のことが好きです』
その言葉を耳にした時、自分が思ったのは、「やっぱりな」という感情だった。
もともと、主人は弟に好意的だったのだ。
小学校時代の同級生、友人……、そういった関係だったこともあるだろう。
それでも、弟に対しては、他の異性よりも壁が薄いと思っていた。
そこに熱のようなものを覚えるようになったのはいつからだっただろうか?
人間界からこの世界へ来た時は、まだ友人への感情だったと思う。
それでも、異性から護られるということに慣れていないこともあって、彼女は少しずつ、弟に好意を寄せるようになっていった。
だが、それをあの愚弟は激しく拒絶した。
主人の目の前で、占術師が身を投げた後、身も心も弱っていた彼女にさらに追い打ちをかけたらしい。
その遣り取りの内容まではヤツも口を噤んだため、俺もその詳細を知らない。
雰囲気で察するしかなかった。
尤も、クレスノダール王子殿下から聞き出した部分もある。
王子は「過保護やなあ」って笑っていたけど、その自覚がある俺と弟では、その意味合いは全く違うだろう。
―――― 大事な方から任された愛し子の世話役
その大役に対して慎重にならないはずがない。
寧ろ、その自覚なく接していた弟の方が異常なのだ。
【それを九十九に言わない理由を聞いても良いかい?】
俺の声は主人に届かない。
だから、彼女が収まっていると思われる方向にそんな言葉を書き付けた。
向こうからの声が届くだけ、幸いだろう。
少なくとも、そこに込められた気持ちを読むことができるから。
主人が、弟に自分の気持ちを口にしない理由はなんとなく分かっている。
彼女は聡い。
確かに色恋には疎いが、それ以外の部分において、感覚的なもので正解を導くことがある。
直接、弟に向かって口にすることを、直感で避けている気がした。
『わたしが恥ずかしくて当人には言えなかった可能性は考えないのですか?』
【考えないよ】
羞恥心がないとは思っていないけれど、それでも、他者に対して、誠意を見せる主人だから。
『本人から断られるのが怖かっただけかもしれませんよ?』
【それもちょっと違うかな】
ジギタリスのことを思えば、それが全くないとは言い切れないだろう。
だけど、それだけが理由で、自分の気持ちから逃げるとは思えなかった。
【栞ちゃんは、そんな大事なことは本人に直接伝えると思っている。どんなに怖くてもね? だから、何故、本人に言おうとしなかったのかが分からないんだ】
そう俺が書いて彼女に見せると、少しの間を置いて……。
『怖かったのは本当ですよ。以前、思いっきり否定されていますから』
はっきりとそう口にする。
『好きだと零した直後に、冗談だろ? と、言われ、さらに世迷言を抜かすなとも言われました。だから、また強く拒まれるのは怖いのです』
その声には震えがあった。
弟は、当人が考えている以上に彼女を傷つけていたらしい。
【それは、ジギタリスでのことかい?】
『はい』
あの当時の弟に、今ほど護衛の自覚があったかと問えば、恐らく、今よりは護衛の心構えが強かったことだろう。
彼女は同級生であり、友人でありながらも護るべき相手であった。
必要以上に距離を詰めることはできないものと自分を律していた覚えがある。
出会ったその日から、相手を特別なモノだと認識していた以上、それが無駄な行為だとも気付かずに。
『今は拒否されるのも仕方がないと分かっていますが、当時はかなりショックだったんです』
溜息交じりに告げられた言葉は……。
『九十九の立場からすれば、受け入れられないのは当然のことなんですけどね』
当時の九十九の言葉の意味を、今の彼女は正しく受け入れていることを意味していた。
すぐに気持ちに整理を付けられなくても、ゆっくりと理解していったのだろう。
この世界に少しずつ馴染んでいき、気付けば、「聖女の卵」と担ぎ上げられ、俺たち兄弟を護衛として扱うことにも慣れていった。
だけど、それを壊す出来事が起こってしまう。
―――― 発情期
阿呆な弟は、ずっと自分を制していた。
主人に操を立てるあまり、結局、彼女に手を出すという愚を犯してしまったのだ。
結果、主人は見事なまでの結界を作り上げて、自身を守ろうとするほど、外部との接触を拒んだ。
魔法国家の王女殿下の魔法を全く通さない結界など、空属性を得意とするトルクスタンでもできないと言っていた。
そんな彼女を救ったのは弟でも俺でもない別の人間だった。
彼があの時、あの場所にいたのは偶然だったようだが、何かに導かれたようなタイミングだったと今でも思う。
そして、主人にも弟にも、二度と消えない傷を押し付けた。
その呆れるほどに効果的な手法に感心したほどだ。
彼女の震動も、弟への打撃も、容易に克服できるものではないだろう。
『今は、九十九がわたしの想いに応えられなくても、それは仕方がないことだと分かっているつもりです』
そんな主人は意外なほど明るい声でそう言った。
『護るべき相手から、そんな風に思われても迷惑だってことも』
その境地に至るまでにどれほどの葛藤があったのかも感じさせないほどに。
『だから、九十九には言えません。またフラれてしまったら、今度はもう、わたしの方が彼を拒んでしまうことでしょうから』
今、彼女が見えなかったことは幸いだったかもしれない。
そのあまりの眩しさに、この目は眩んでしまったことだろう。
『もう二度と九十九に向かって、「近付くな」って叫びたくないのです』
芽生えた自分の気持ちを守るよりも、相手の状況を慮って、笑う強さを持つ主人の姿に。
『ところで、雄也の方は聞かないのですか?』
そんな主人からの問いかけに思わず首を傾げてしまった。
俺の方から聞きたいことなど、特にない。
寧ろ、彼女が俺に心の内を打ち明けてくれたことを嬉しく思っているほどだ。
主人は隠すこともできた。
仮令、俺が気付いていることを知っていても、それを確信しない限り、口にしないと思っていたのだ。
相手は俺の弟である。
それでも、ヤツに漏らす可能性は全くないと格別の信頼を得たことに対して、誉れこそあれど、疑問を持つはずもないだろう。
『いや、九十九のどこが好きなのか? とか、なんで雄也さんの方に伝えたのか? とか』
そんな純粋な疑問は思い浮かべもしなかった。
彼女の立場や状況、それ以外のことを思えば特に不思議に思うようなことは何もないのだから。
それだけ、俺と弟は徹底的に異性を排除していたのだ。
護衛という名目の許に。
それは、主人から異性との出会いを奪う行動である。
セントポーリア国王陛下やチトセ様から、託されたこと以上の越権行為でもあった。
弟は無自覚だっただろう。
だが、俺はそれを自覚していた。
主人ほどの魅力があれば、「聖女の卵」などという肩書きなどなくても、異性を引き付けられる。
そこにいるだけでも目を奪われる存在。
そうと分かっているから、弟も俺も余計な虫が付かないように尽力を惜しまなかった。
だから、彼女の選択肢を狭めることになったのは当然だろう。
寧ろ、そんな疑問を抱かない俺に対して、疑問を持つ主人は本当に可愛らしいと思う。
【まず、好きと言う感情は理屈ではないことを知っているからかな。栞ちゃんが愚弟のことを好きならば、それは止められないし、止まる必要性も感じないしね】
その事実は、自身にも経験があるから知っていることだ。
そして、弟も。
『わたしは九十九を好きでいても、良いのですか?』
彼女が引っかかっていたのはその点らしい。
俺に反対されると思っていたのだろう。
そんなことは全くない。
寧ろ、普通なら誰も愛せなくなってもおかしくない環境にありながら、綺麗な想いを育んでいるその姿は応援したくなる。
尤も、その相手が愚弟でなければ……、の話ではあるが。
【栞ちゃんはそれを今後も隠し通すつもりなんだろう? だから、俺だけに言おうと思ったんじゃないのかい?】
それが苦しい選択だと分かっていても、主人はそれを選んだ。
それならば、吐き出す場所は必要だろう。
そして、それは当事者である弟には絶対にできないことでもある。
【栞ちゃんは、アーキスフィーロ様の婚約者候補になると自分で決めたのだからね】
王侯貴族では珍しくもない。
婚約者がいながら、別の異性に心を寄せるなど、古今東西どの国、どの世界、どの年代でもよく聞く話だ。
特に男ほどそれが顕著で、正妻と別に側妻、愛人、恋人と名前を変えながらも異性を側に置き、家族愛と異性愛は別物だと恥ずかし気もなく品の無いことを口にする生き物へと成り下がる。
女性の方は心の中で相手を想うだけのこともあれば、一時の火遊びに興じる剛の者もいるようだ。
だが、心の中で想うだけのことも、この主人は許せないのだろう。
【それに、アーキスフィーロ様自身は、栞ちゃんを愛する予定はないと宣言している。だから、プラトニックな愛情を持つぐらいは許されると思うよ】
だから、あれだけの侮辱するような相手に対しても、自分はその操を守ろうとする。
だが、その高潔な精神を貫こうとする心を否定はしたくない。
【尤も、アーキスフィーロ様を優先すべきであることには変わりはないし、そのことで栞ちゃん自身はかなり苦しい思いもするとは思う。でも、それは覚悟しているのだろう?】
『はい』
俺の言葉にも、力強く返答する。
だから、俺は更なる選択肢を彼女に与えよう。
真っすぐすぎる主人だからこそ、迷うように。
【あるいは、アーキスフィーロ様との関係を解消するという手もある】
真っすぐすぎる主人だから、激しく拒絶したくなる言葉を。
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