会いたかった
『またね、今代の聖女』
そう言い残して、わたしの姿をしていたモレナさまは消えてしまったらしい。
「今度は『またね』と、言ってくれるのですね、モレナさま」
初めて会った時に、「次があるかは分からない」と言われた。
そして、何度か「さようなら」という意味の単語は、どこかで言われた覚えもある。
今回のように「また」と再会を約束するような言葉は、記憶に残っている限りは初めてではないだろうか。
同時に、鏡に映っているのは、いつものわたしの姿に戻ったようだ。
わたしが右手を動かすと、鏡像のわたしも線対称……、違うな、鏡の対称図だから、面対称で良いのかな? そんな言葉があるかは分からないけれど、そんな感じで動いた。
顔をフニフニとすると、同じように動くし、表情もいつものとおりだ。
そのことにホッとする。
自分の姿を他者に使われるって、こんなにも違和感があるのかと思った。
自分の表情なんて、今のように鏡ぐらいしか見る機会なんてないけれど、モレナさまが動かしていた自分の動きや表情は、いつもと違うことぐらいは分かる。
わたしでもその差異が分かるのだから、九十九や雄也さんが目撃していたら、もっと酷い違和感を持ったかもしれない。
あれ?
もしかして、わたしが意識していないだけで、普段も、あんな表情している?
鏡の前って、女の子はお澄まししちゃうよね?
―――― 女の子?
どこかの護衛が疑問を浮かべる声が聞こえた気がする。
いやいや、昔の古い変身魔女っ娘もののアニメで、そんな感じの歌があった覚えがあるから、その流れで「女の子」って思っただけだよ?
わたし自身はお澄ましした覚えは、新しい服を着る時とか、化粧やドレスアップをした時だろうか?
うん。
鏡の前で女性が気取った顔や仕草になるのは、年齢関係なく、自然なことだね。
それはそうとして、着替えの続きをしよう。
流石に着替えながら、あんな話を聞く気にはなれなかった。
ブラウスのボタンとか中途半端な恰好も十分、失礼な姿ではあるのだけど、モレナさまにはわたしの姿は見えない。
未来や過去を視通すことはできても、目の前にいる相手の容姿が見えないというのは本当に大変だろうなと思う。
そう言ったら、モレナさまは笑い飛ばすだろうけどね。
外に護衛たちの気配があるから、これ以上、待たせるのも悪い気がする。
特に、九十九には後でちゃんと説明しなければいけない。
そう約束したからね。
まあ、モレナさまの話では聞き耳を立てていたようだから、彼らは聴覚強化とかをしていた可能性もあるか。
どこまで話を聞いていたかは分からないけれど、ちゃんとわたしの口からも説明することは大事だろう。
今回のお洋服は、ちょっとツヤがある柔らかい生地の黒いブラウスと青いロングスカート。
この選択に意味はない。
単にそれぞれの袋の一番上にあった服を出しただけである。
いや、意味はあった。
ローダンセに行ってからはほぼワンピースだったから、今ぐらいは上下を分けたかったのだ。
ここはセントポーリアだから、ロングスカートさえ穿いていれば、問題ないだろう。
ワンピースって、苦手なんだよね。
スカートは得意じゃないけれど、せめて、ツーピースが着たい。
でも、お貴族さまの部屋着ってワンピースが多いから、仕方ないということも理解している。
ドレス姿よりはずっとマシだからね。
ああ、でも、モレナさまは、今のわたしには休養が必要だって言っていたから、すぐにローダンセに戻らない方が良いのかな?
でも、今、ローダンセの方はどうなっているんだろう?
アーキスフィーロさまの登城は3日に一度だった。
セヴェロさんがいるとはいえ、あの人にあまり事務処理は期待できないのだから、大変だと思う。
その辺りも含めて後で護衛たちに確認しないといけない。
でも、護衛たちに会うのはちょっと気まずかったりする。
この城下の森に連れて来られた直後、わたしは下着を含めた衣服を何一つとして身に着けていなかったのだ。
そんな姿を、九十九にバッチリ見られたらしいし、その後で、雄也さんからもしっかり見られてしまった。
九十九はわたしの裸を上半身だけなら見たことはあったし、雄也さんに至っては見慣れたものだろう。
だが、わたし自身はどちらも全身を見せたことはなかったのだ。
せめて、もう少しスタイルが良かったらマシだっただろうか?
いやいやいや、それでも裸は裸だ。
裸体だ。裸身だ。全裸だ。丸裸だ。赤裸だ。素っ裸だ。真っ裸だ。ヌードだ。それもオールヌードだ。
彼らだって見たくて見たわけではないと分かっていても、襲い来る羞恥心には勝てない。
だが、既に見られてしまったものに対して、今更、いろいろ文句を言っても仕方がないということも理解できる。
こうなったら、開き直るしかないのだ。
でも、アーキスフィーロさまに秘密が増えてしまった。
そこが大変、申し訳ない。
ただでさえ、隠し事の多い婚約者候補だというのに。
ああ、でも、雄也さんがちょっと気になることを言っていたな。
もしかしたら、このわたしたちの約束事は、アーキスフィーロさまも巻き込むほどの不利益が生じる可能性があるってことを。
ううっ、わたしがここに連れて来られて、護衛たちと再会するまでの時間で、一体、何があったのだろうか?
そんな風に考えているうちに、着替えが終わってしまった。
いろいろ、覚悟を決めて外に出るしかない。
わたしは意を決して、扉を開くと、黒髪の青年たちが、同時にこちらを見る。
その姿にわたしは、間違いなく、安堵した。
羞恥心とかそんなものが一気に吹っ飛んだ。
―――― 会いたかった
胸の中にあるのはその気持ちだけ。
ずっと、長い間、会っていなかった気がしていた。
いや、ここに来る前、正装した彼らとローダンセ城で円舞曲を踊っているのだけど、それは何かが違うのだ。
いや! 正装した彼らは当然ながら、カッコいいのです!!
胸を張って、この二人の美形は、わたしの自慢の護衛だって叫びたいぐらいなのです!!
だけど、ローダンセでの彼らは、わたしと何の関係もない顔をしなければいけない。
それが、ずっと悔しかった。
いつもの姿の彼らと接することができない立場なのが嫌だった。
それが、自分の選んだ道だって分かっていても。
だけど、今だけ許されるなら、わたしの第一声は決まっている。
「改めて、ただいま戻りました」
そう口にすると……。
「「おかえり」」
二人とも、声を揃えてそう返してくれた。
それだけのことが、こんなにも嬉しくて、胸がいっぱいになってしまう。
―――― ああ、帰ってきたんだ
わたしは素直にそう思えた。
だけど、雄也さんは、そう思わなかったらしい。
「栞ちゃんにちょっと頼みがあるのだけど良いかな?」
この人にしては前置きもない珍しく性急な言葉に……。
「はい」
ほぼ反射のように返答した。
「少しだけ、キミを抱き締めて良いかい?」
「「え゛っ!? 」」
そんな突然すぎる申し出に、わたしだけでなく、九十九の声も重なった。
彼にも予想外だったらしい。
えっと、どういうことだろう?
雄也さんには九十九のことが好きだっていうわたしの気持ちを伝えている。
……あれ?
もしかして、あれは夢だった?
いやいや、それがきっかけで、そこの湖に飛び込む事態になって、わたしがこの世界と繋がったのだ。
だから、夢であるはずがない。
でも、わたしの気持ちを知った上で、その九十九の前で抱き締めたいという雄也さんの気持ちが分からない。
いや、九十九が誤解するとは思っていないけど。
そして、誤解も何も、わたしが一方的に九十九のことを好きなだけなんだけど!!
わたしが、そんな風に迷っていると……。
「婚約者候補がいる栞ちゃんに対して褒められたことではないけれど、どうしても、無事を確認したいんだ」
雄也さんは困ったようにそう言った。
ごめんなさい。
今、雄也さんからの申し出された時、アーキスフィーロさまのことは全く思い出すことなく、あなたの弟のことしか考えていませんでした。
わたしは、どこまで自分に正直なんだろう。
でも、雄也さんの言葉の意味は分かった。
雄也さんは、まだわたしが本当に戻ってきたかが確信できていないのだ。
姿だけで、声を聞くだけで安心するのはまだ早かったと猛省する。
わたしもそこはちゃんと確認してほしいから、その申し出は受け入れるべきだろう。
「はい、どうぞ」
えっと、両手を広げれば良いかな?
閉じていると、警戒しているっぽいよね?
魔気の護りは出ないと思うけど、念のために気を付けておこう。
「失礼するよ」
雄也さんはそう言いながら、わたしを抱き締めたのだった。
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