秘密の共有
『ところで、雄也の方は聞かないのですか?』
そんなわたしの問いかけに対して雄也さんが首を傾げる。
『いや、九十九のどこが好きなのか? とか、なんで雄也さんの方に伝えたのか? とか』
それぐらいは聞かれると思ったのだ。
【まず、好きと言う感情は理屈ではないことを知っているからかな。栞ちゃんが愚弟のことを好きならば、それは止められないし、止まる必要性も感じないしね】
『わたしは九十九を好きでいても、良いのですか?』
てっきり、雄也さんからは反対されると思っていたのに。
確かに好きと言う感情が理屈ではないことは理解できる。
でも、主従関係を継続させるには邪魔な感情でもあるだろう。
【栞ちゃんはそれを今後も隠し通すつもりなんだろう? だから、俺だけに言おうと思ったんじゃないのかい?】
雄也さんはそう書きながら笑った。
【栞ちゃんは、アーキスフィーロ様の婚約者候補になると自分で決めたのだからね】
そうなのだ。
だから、この感情を持つこと自体許されることではない。
婚約者候補がいながら、他の男を想う?
普通なら「ふざけるな! 」と叫ばれることだろう。
【それに、アーキスフィーロ様自身は、栞ちゃんを愛する予定はないと宣言している。だから、プラトニックな愛情を持つぐらいは許されると思うよ】
プラトニック?
えっと、精神的に純粋な感情だっけ?
でも、わたしが抱いている感情が純粋なものだとも思えない。
【尤も、アーキスフィーロ様を優先すべきであることには変わりはないし、そのことで栞ちゃん自身はかなり苦しい思いもするとは思う。でも、それは覚悟しているのだろう?】
そう問いかけられて頷きかけ、それ自体が雄也さんに視えないことに気が付いた。
『はい』
これは精神的な浮気になるのだ。
だから、雄也さんからそう言われても、納得してはいけない。
【あるいは、アーキスフィーロ様との関係を解消するという手もある】
『え……?』
雄也さんから意外過ぎることを言われた。
【栞ちゃんが望むなら、こちらに非がないよう、向こうから言わせることもできるよ】
そう言って微笑む雄也さんの笑みは、間違いなく黒い種類のものだ。
『それは、平和的な手法でしょうか?』
思わず、そう口にしてしまうほどに。
【即効性のある手段なら、各部に影響がある方法になるかな。いろいろあるけど、双方にとって穏便に解消することを望むなら、ちょっと時間はもらうけどね?】
なんで、婚約者候補に選ばれた方が、解消手段を提示できるんですかね?
本来、選ぶ権利はわたしの方にないはずですよね?
【栞ちゃんはただ俺に命じれば良い】
そう言って、蠱惑的な笑みを浮かべる雄也さん。
なかなか酷い。
『解消は望みませんよ。もともと双方にとって利益があるからこそ結んだ契約ですから』
いろいろ考えて決めたことだ。
誤算だったのは、その後に、自覚してしまったこと……だろうか?
いや、違うな。
自覚はもうずっと前からしていたのだ。
ただそれを無理矢理封じ込めようとしただけの話。
それに、他の男性を見れば、これ以上、九十九のことを考えなくても良いかなといった打算もあった。
だけど、その結果、魅力を再認識しただけとか!
わたしはどれだけアホなんでしょうかね?
【その利益なんだけど、それ以上に不利益があることが発覚したんだよね】
『へ?』
それ以上の不利益?
【その話については九十九からの報告書を読めるようになってからかな】
どうやら、九十九が何かを調べたらしい。
でも……。
『それでも、一度結ばれた契約なので、よっぽどのことがない限り、解消するつもりはありませんよ?』
自分たちにとって都合が悪くなったから契約を破棄するとか、酷過ぎるだろう。
さらに言えば、信用を得られなくなる。
【だから、向こうから解消したくなるように仕向けるんだよ】
おお、黒い。
こちらから破棄は良くないけど、向こうから解消の申し出があれば、確かに非はない。
でも、酷い。
【それも、栞ちゃんが望んだ時の話だ。キミがそれを望まないなら、そんなことはしないと誓おう】
『わたしは望みません。ですが、アーキスフィーロさまの方が望んだ時は、お願いできますか?』
【分かった】
雄也さんの返答に胸を撫で下ろす。
【だけど、この契約を続けた結果、アーキスフィーロ様の方に多大な不利益が生じそうな時はどうする?】
さらに続けて書かれた雄也さんの文字に虚を突かれてその返答に困った。
わたしとしては、一度結ばれた契約の解消や破棄なんてしたくないというのが本音だ。
九十九が調べた不利益がどんな種類のものかは分からない。
それがアーキスフィーロさまにも影響があるほどのことならば、契約によって縛り付けないとも思ってしまう。
しかも、「多大な」と笑えない修飾語まで付いていたのだ。
雄也さんは、わたしに嘘は言わない。
そして、今回は誤魔化された様子もなかった。
『その不利益の種類によります。その辺りについては、九十九からの報告書を読めば分かりますか?』
そう言いながら、情けなくなってしまう。
なんて、意志薄弱なんだろう。
一度は自分で決めたことなのに、それを貫く勇気もないなんて……。
ちょっと言われただけで、あっさり流されてしまうなんて。
【うん。分かると思う】
そう答えてくれた雄也さんは、少しだけ陰のある笑みに見えた。
これは、想像以上のナニかが見つかったってことだろうか?
思ったよりも深刻な不利益?
それも、アーキスフィーロさまを巻き込みかねないような話?
『今は、話せないのですね?』
【九十九から聞いた方が確実だからね】
その言葉にドキリとした。
さっき、雄也さんに自分の想いを伝えたこともある。
『さっきの、わたしの言葉に関係はありますか?』
【いや、別の話だよ】
それだけでもちょっと安心した。
わたしが九十九を好きなことは、婚約者候補となったアーキスフィーロさまへの裏切りともとれる。
だから、それが影響していたなら、雄也さんにも言わない方が良かったと思ってしまったのだ。
まあ、いずれにしても自己満足ではある。
本来は、誰にも言わないって選択肢が正しいのだから。
尤も、わたしは九十九のことが好きだと思うけれど、だから付き合いたい、恋人になりたいというわけでもない。
それは無理なことだって分かっているから。
九十九の方にその気はないのだ。
勿論、普段の言動から嫌われているとは思っていない。
だけど、そこまで好かれているかと問えば、答えはNOだろう。
「発情期」というギリギリの状態でも、その強力な理性で押さえつけ、耐えきってしまうほどの精神力の強さからもそれは分かっている。
愛はあるけど、それは異性への愛ではなく、家族愛に近いのだろう。
だから、どんなに想っても、彼が本当の意味でわたしに応えてくれることはない気がしているのだ。
それならば、お飾りでも良いから、わたしは別の男性の妻になっている方が良い。
その方が諦められるし、何より、九十九自身に、わたしよりも大事な人ができた時も祝福しやすいよね?
わたしは、九十九と以前、付き合っていたミオリさんに対しても、嫌な感情を持ってしまうような女だ。
彼に「大事な人ができたら優先してね」と言いつつ、そんな覚悟が何一つとしてできていないのだから笑えるね。
『わたしが九十九のことを好きって気持ちは、本人には言わないでくださいね?』
【それは分かっているよ。奴には告げない方が良いと思ったから、栞ちゃんは俺に伝えたのだろう?】
九十九は真面目だし、潔癖だと思っている。
あれだけかっこいいのに、女性と遊ぶこともしない。
まあ、だからこそ「発情期」なんてものになってしまったのだけど。
そんな彼だから、婚約者候補がいるのに、他の男性に想いを寄せるなんて不実なことは許せないと思う。
『いえ、雄也に伝えたのは、それだけじゃないですよ?』
わたしは雄也さんに向き直る。
ここは誤解して欲しくなかった。
『他の誰でもなく、雄也には知っていて欲しかったのです』
わたしに嘘を言わない人だから。
そして、九十九のこともよく知っている人だから。
『雄也には嘘を吐きたくないから』
否定しても、隠しても、わたしが九十九のことを好きだってことは事実で。
アーキスフィーロさまという婚約者候補がいても、それが変わることはなくて。
だけど、それを外に出すことなんて、当然、許されないことだから。
『それに、雄也なら理解してくれるでしょう?』
雄也さんは、わたしの母のことを想ってくれた過去がある。
そして、立場上、その気持ちを隠すしかなかったことも。
だから、その気持ちは同じではなくても、少しぐらいは近しかったりするんじゃないかな?
【栞ちゃんの大事な秘密を共有させてくれるのは光栄なことだね】
雄也さんはそう書いた後、笑ってくれたのだった。
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