心揺らぐ申し出
『心惹かれる申し出ではありますが、それについては辞退します』
わたしがそう雄也さんに向かって言うと……。
【心ひかれるってなんだよ?】
九十九が呆れたようにそう書いた。
彼は「惹」の文字が分からなかったのか、「若」部分が「苦」っぽい文字で書かれた後、二重線によって消され、平仮名表記になっている。
いや、それはどうでもいい話だ。
雄也さんからの提案に、心惹かれることは否定できないんだよ。
均整の取れた身体つきをした美形二人が、全裸のモデル!!
お金を払ってでも、お願いしたいと思う絵を描く人間は少なくないと思う。
実際、美術系の大学とかでは、ヌードモデルって本当にあるらしいからね。
女性は想像できる。
多少、肉付きに違いがあるぐらいだと思っているから。
だけど、男性は本当に! 全く想像できない未知の部分なのだ。
だから、その話に揺らいだわたしは何も悪くない。
『いや、美形兄弟が文字通り、明るい所で一肌脱いでくれるのは正直、嬉しいし、純粋に興味や好奇心もあるけど、それはちょっと、違うかなって思って……』
自分でも言い訳がましいとは思う。
揺れているのは本当だけど。
『やっぱり、アーキスフィーロさまに悪いから』
断る一番の理由は、やっぱりこの部分だ。
少し前までの自分だった前のめりでお願いしていただろう。
でも、今のわたしは違う。
ロットベルク家第二子息アーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルクさまの婚約者候補なのだ。
仮令、愛されなくても、いや、愛することができないと宣言されているからこそ、自分から裏切ることはできない。
『ああ、九十九。大丈夫だと思うけど、一応、約束してね。アーキスフィーロさまには言わないでくれる?』
本当に大丈夫だと思っているのだ。
彼は、わたしの不利になることは言わない。
でも、嘘が付けない人だから、何かの弾みで口にせざるを得ない場面がないとは絶対に言い切れない気がした。
【何を?】
不機嫌そうに九十九は尋ねる。
文字にもそれが表れている気がした。
『事故だし、回避できなかったことだって分かっていても、他の男の人に身体を見られたことは、やっぱり知られたくないんだよね』
どんな事情があっても、自分の婚約者候補が自分の知らない所でそんなことをしていたら嫌だと思う。
『愛することはできないって言われているけど、一応、婚約者候補でしょう? だから、その辺りはしっかりしておきたいって思っているからさ』
【お前、オレがそんなに信用できないのか?】
そんなはずがない。
わたしは誰よりも彼のことを信じている。
『違うよ。九十九はそんなことは言わないって信じている。だから、これは単に気持ちの問題』
あなたの口からあの人に伝えてほしくないだけ。
【大体、ロットベルク家第二子息とオレが会話する予定はない】
『あ……、そっか』
忘れがちだけど、九十九はアーキスフィーロさまと直接、話す機会は確かにない。
専属侍女であるのは九十九でなく、ヴァルナさんだ。
あの国での九十九は、トルクスタン王子の同行者でしかない。
【それに、そんなことを言っても、お前にとってソンしかない。だからそれを言う理由は全くない】
『まあ、それはそうなんだけど……』
そんな取引を持ち掛ければ、そっちからこれ以上、変な交換条件を持ち出されなくても良いかなとも思ったのだ。
いや、流石に兄弟がヌードモデルになってくれるってこと以上の申し出なんてないとは思うのだけど。
【いちいちオレに口止めなんか不要だ】
それらの文章を書くたびに、九十九がどんどん不機嫌になっていくことが分かる。
一文字ごとに字は乱れ、さらに唇を噛み締めている気がした。
疑われたと思っているのかもしれない。
嘘を吐かない彼からすれば、それは嫌なことだろう。
わたしにそんなつもりはなかったのに。
いろいろ耐えかねて、九十九にそう言おうと思った時だった。
雄也さんが九十九の横で手を振ったのが見えた。
九十九も動きを止めて、雄也さんを見る。
【水着姿ならどうだい?】
さらに、そんな言葉を書いた紙をわたしに見せてくれる。
『へ……?』
水着……?
それは、今の雄也さんの姿のことだ。
【裸体は芸術の素材として珍しくないけれど、それを理解できる人間ばかりでもない。特に異性がモデルとなれば、尚更、抵抗を覚えることもあるだろう】
さらに、雄也さんはそう書いた後……。
【でも、水着など、身体に何かを身に着けた状態ならば、通常のモデルとなんら変わりはないと思わないかい?】
水着なら、確かに身体の線は分かる。
でも、半裸でも絵を描くために異性をしっかりと凝視するのはアウトにはならないだろうか?
【それでも、抵抗があるなら、今の俺のようにパーカーやガウンを羽織った状態でも良いかな】
そ、それは、ただのモデル!!
それも、最近、描いていなかった人物のモデルだ。
いや、護衛観察日記は専属侍女観察日記に名前を変えて継続しているのだけど、男性バージョンは確かに描いていなかった。
わたしは分かりやすくグラついていたのだろう。
雄也さんがニッコリ笑って……。
【一度ぐらい俺もキミに描いて欲しいけど駄目かな?】
そんな一文を見せた後、顔を近付けた。
―――― 一度ぐらい俺もキミに描いて欲しいけど駄目かな?
耳元で、そんな声が聞こえた気がした。
いや、多分、実際に言ったのだろう。
音にならない声。
でも、わたしは雄也さんの声も、性格も知っている。
この人なら、こんな状況ならば、こんな感じの言葉を艶っぽい声で、妖艶な微笑みを浮かべながら言ってくれるであろうことも。
ああ、自分の想像力が恨めしい。
顔に熱が集まったことがよく分かり、さらに、足腰から力が抜けてしまった。
想像だけで!
妄想だけで!!
わたしは自爆したのだ。
パーカーやガウンを上から着用していれば、確かに何も問題ない。
ごく普通のモデルだ。
そして、水着までなら?
まあ、言い逃れもできる範囲である。
下着姿ではないのだ。
水着だ。
人に見せても大丈夫なスポーウェアだ。
それに先ほどチラリと見た雄也さんの水着は、競泳選手が穿くようなピッチリ系ではなかった。
以前、見た九十九の水着と似たような形だったと思う。
ああ、でもパーカーを羽織るのも捨てがたい!!
もう、この時点で、自分の中で彼らをモデルにして絵を描くことは決定していたことに気付いたけれど、そこは仕方がないだろう。
極上のモデルなのだ!
それを見て描く機会が捨てられますか?
無理ですよね?
そうですよね?
抗えませんよね?
しかも、九十九はモデルをあまりしてくれないのだ。
もともと、気が進まないことは知っているから、あまり頼めないということもある。
そして、雄也さんをモデルにして絵を描いたことは確かになかった。
当人に無許可で絵は描いていたけど、見ながら描いたことは確かにないから、細部はちょっと違うかもしれない。
その違いを埋める機会でもある。
わたしは男性の身体を見る機会がないから、ずっと九十九の身体の形が基本形だったんだよね。
前、ライトの身体なら、見る機会はあったけれど、その時はまだ絵を描いていなかったし、じっくり観察するような状況でもなかった。
ソウはその身体に触れたけれど、脱いだ状態ではなかったからその上半身すら見ていない。
まあ、わたしはプロの絵描きではないのだから、男性の身体つきをあまり知らないのは当然なのか。
それに絵描きになりたいわけでもない。
描きたいのは漫画なのだから。
だから、細部まで知る必要はないのだ。
濡れ場の多い漫画を描くつもりもないから、服で誤魔化すこともできるのだけど、見る機会があるならという好奇心は大いにある。
しかも、相手は嫌がっていないのだ。
寧ろ、ノリノリであるように見える。
そう言えば、雄也さんは以前、大聖堂でも、そんな申し出をしてくれた覚えがあった。
あれは、雄也さんの誕生日だったか。
あの時、わたしは彼らがイースターカクタスの王族だったって知ることになったのだ。
イースターカクタスの王族。
今回、彼らがわたしの姿を視たり、声を聞いたりすることができるのは、その血のためなのだろうか?
九十九はわたしの姿を視ることができて、声も少し聞こえている。
雄也さんは声だけがしっかり聞こえているっぽい。
でも、それなら、モレナさまが知らないとも思えないんだよね。
モレナさまは、彼らがここに来ても、気付かないだろうと言っていた。
そうなると、それ以外の理由なのだろうか?
わたしは、膝を抱え込んだまま、そんなことを考えていたのだった。
この話で127章が終わります。
次話から第128章「乱調子」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




