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運命の女神は勇者に味方する  作者: 岩切 真裕
~ 護衛兄弟暗躍編 ~

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忘れて欲しいこと

【兄貴が言ったことは至急忘れろ。良いな?】


 オレはそう書いた紙を栞に向かって突き付けた。


 今、彼女にオレの声は届かないらしい。

 そして、栞からの声は凄く小さい。


 まるで耳元で囁くようなか細い声。

 だから、唇の動きと並行して確認するしかない。


 双方の声が届かないのだから、互いに一方通行のようなものだが、それでも意思確認できるだけかなりマシだった。


『忘れろと言われても……』


 鳥かごを小さくして布を張ったようなモノから顔を出しただけの栞は戸惑ったような顔を見せる。


 彼女の立場からすれば当然だ。


 元をただせばオレが悪い。


 だが、余計なことを言った兄貴はもっと悪い。

 重罪だ。


 しかも、それが()()だったからもっと質が悪い。


 オレにしか姿が視えなかった栞を布団の中に入れた。

 そこまでの対応は責められるほどではないと思う。


 栞は衣服どころか下着すら身に付けていない状態で、しかも、こちらからは布を被せることすらできなかったのだ。


 出した布団も、全て素通りしてしまう。

 だから、布団を積み重ねてその姿を埋めることしか、その時は思いつかなかった。


 だけど、栞が目を開いた後のことまで考えていなかったのが、オレの敗因だったと言えるだろう。


 気配も、いつものように感じられなかったのだ。

 そのために栞が目覚めたことにも気付けなかった。


 いつものオレならありえない失態である。


 それだけ、ずっと彼女の気配頼りだったということでもあるだろう。

 結果として、オレは目を開いた状態で、身体を起こした栞の姿を見てしまったのだ。


 目を閉じていた時は、ただ、綺麗だった。


 そこにいるというのに、どこか現実味がないようで、触れることも許されない、侵しがたい雰囲気があったのだ。


 だが、目を開いた時の栞は、綺麗ってだけでなく、妙に「女」を感じさせるものだった。

 それまでの作り物めいたものではなく、生身の異性であることを変に意識させてしまったのだ。


 そうなると、オレの中にある雄の本能が嫌でも刺激され、呼び起こされる。


 あまりにも咄嗟のことで、オレはその場から離れるしかできなかった。

 アレは言い訳のしようもない。


 だけど、あんなに露骨に()()()()()を晒せるかよ。


 相手は好きな女なんだ。

 それが、生きて動いているだけでなく、裸で目の前にいたのだ。


 そんな状況で、全く無反応の男がいるかよ!?

 無理だ!


 少なくとも、オレは全く我慢できなかった。


 我ながら情けないと思うが、オレの意思とは無関係に一部の部分が全力で元気になりやがったのだ。


 アレはオレであって、オレではない生き物だと思っているが、今日ほどそれを実感した日はないだろう。


 確かにオレの身体の一部ではあるけれど、少しも思い通りになってくれない。


 中学時代や発情期の時よりははずっと制御できるようになったつもりだったのだが、生身の女を前にすれば、そんなことができるはずもなかったのである。


 しかも、最悪だったのは、そのタイミングで「発情期」でいろいろしたことも思い出してしまったことだ。


 あの身体に触れたこととか、それ以上のことをしたとか、そういったことを。


 そうなると、自然に鎮静することはかなり難しくなってしまう。

 場所を変えて、いろいろ吐き出さなければ、収まりがつくはずもない。


 こればかりは、女には絶対に分からない苦労だろう。


 幸いにして、兄貴が栞に伝えたのは、オレの一部が反応してしまった所までの話であり、()()()()()()()()については言っていなかったようだが。


 そんなことまで細かく伝えられたら、羞恥で死ねる気がする。

 いろいろ落ち着かせて戻ってきた後は、栞にひたすら謝り倒すしかなかった。


 護衛として、その対象がいる場所を離れたこと以上に、そういった意味で彼女を見てしまったのだ。


 そんなことを言われた栞が、とても困った顔をしていることは分かっていても、こればかりはオレも退()けなかった。


 好きな女をそういった対象として見ることは、男なら仕方ないとは思う。


 だけど、その想いを告げることもできないオレが、栞をそんな目で見てしまったことに気付かせては駄目だろう。


 栞は、そう言ったことに理解があるようだけど、それは知識の上だけだ。

 そんな露骨に元気になった男の象徴を見たこともないだろう。


 ……ないよな?


 少なくとも、オレは晒したことがない。

 あの「発情期」の時だって、オレはその部分は隠したままだった。


 その部分を解放してしまえば、もう絶対後に退()けなくなってしまうことは、本能に振り回されつつも、ちゃんと分かっていたから。


 だから、こんななんでもない時に曝け出してはいけないのだ!!


『九十九……』


 身体強化しても尚、小さすぎる声が微かに耳に届く。


 兄貴は、栞の姿が視えないものの、その声はいつも通り聞こえるらしい。

 だが、オレにはあまり聞こえないのだ。


 多分、オレは目で、兄貴は耳が良いのだろう。

 それが、今回、最悪な方向に働いただけだ。


『とりあえず、わたしは事故だと理解しているから、お互いに忘れよう?』


 忘れろと?


 こんな無様を?

 あんな綺麗な姿を?


 無理だろう。


 今は珍奇な姿をしているが、その下に隠されている身体が、オレの思考を止めることを、オレの理性を溶かすには十分すぎることを、もう知ってしまったのだから。


 確かに、オレの方も忘れて欲しいと言った。


 だけど、栞に忘れて欲しいのは、オレの痴態であって、オレの方は栞を傷つけてしまったことは忘れてはいけないのだ。


 好きでもない男に向かって自分の裸を見せても平気な女はいるとは思う。


 特に高貴な女なんて、使用人や従僕を部屋の置物としか思っていないヤツも少なくない。

 だが、栞はそんな女ではないのだ。


 どんなに親しくても、友人としか思っていない男に、自分の身体を見せたいなんて思ってもいないだろう。


【お前はそれで良いのか?】


 傷ついたのは栞の方なのに。


『今回は本当に不幸な事故だからね。九十九は何も悪くないよ』


 不幸な事故(アクシデント)

 オレにとっては幸運な出来事(ハプニング)だ。


 全然、釣り合ってない。


 そんな風に互いに一歩も退く様子がない時だった。


 ざぱぁ……


 すぐ近くで水音がした。


「『あ……』」


 オレと栞の声が重なる。


「そろそろ話は付いたか?」


 嫌味なほど全体的にバランスよく整った男が、湖から現れた。

 水を滴らせた前髪を掻き上げるその仕草なんて、狙っているとしか思えない。


『おかえりなさい、雄也』


 空気が変わったせいだろう。

 栞の声は小さいながらも少し弾んで聞こえた。


 オレが戻って、状況説明をした後、兄貴は湖に潜ると言い出したのだ。


 以前、湖の底に固定されていた魔石に、親父の気配がしたと報告したことがずっと気になっていたらしい。


 何度もセントポーリア城に来てはいたが、この森に立ち寄る時間がなかなか取れなかったらしい。


 セントポーリア城と城下ならば移動魔法で行き来できるが、この森では移動魔法がまともに使えないため、身体強化して徒歩の移動が基本となる。


 だから、この機会に湖を自分の目で確認したかったとのこと。


 ただ、それはただの口実で、オレたちの話がこじれそうな気配があったためだろう。

 付き合っていられなかったのだと思う。


 湖に潜るという目的のために仕方がないとはいえ、今は、兄貴の半裸姿が妙に腹立たしく思える。


 兄貴なら着衣潜水もできるよな?

 何故、わざわざ、栞の前で脱ぐ?


 そんな八つ当たり染みたことまで考えてしまう自分が嫌だった。


 しかも、栞が妙にソワソワしているのだ。


 顔を赤らめて、その視線は水着姿となっている兄貴に固定されていた。

 そして、右手と左手が明らかに妙な動きをしている。


 そこから考えられることなんてそう多くない。


【今のお前に渡せる紙と筆記具はないぞ】


 その視界を塞ぐように、オレは紙を突き付けた。


『そうだった!!』


 なんで、そんな言葉だけ、小さいながらもはっきり聞こえてしまうのか。


 しかも、そのまま姿が消えた。

 この中で、両手両膝を付いている気がする。


 どれだけ悔やんでいるのか?


『でも、今の雄也は良かったと思わない?』


 そして、即復活。


 顔がひょこりと出てきた。

 その姿は可愛い。


 可愛いが、口にされたのはあまり嬉しくない台詞だと思う。


 だから、オレは……。


【見えそうになるから、あまり動くな】


 そう可愛くない言葉を書いた。


 実際は、首から胸の上部……、いや、鎖骨までしか視えない。

 だけど、そんな風に両手を上げれば、肩や首筋は見えてしまう。


 オレにはそれだけで、結構な刺激物だ。


 さらにいえば、興奮していつものように身を乗り出せば、いとも容易く、栞は囲いを突き抜けてしまうだろう。


 これ以上、そういったトラブルは避けたい。


 そして、オレの言葉で意味を理解した栞は顔を真っ赤にして……。


『えっち!!』


 そう叫んだ。


【アホか。本当に変態ならいちいち指摘しねえよ】


 言わずにじっくり見るだろう。


 個人的な感情に従うなら、そうしたいのだ。

 だが、なけなしの理性がそれを押し留めていた。


『確かに!!』


 素直な栞は両手を打って納得してくれる。


『わたしの方が動きに気を付けなきゃいけないね。ちょっとだけ、注意しておく』

【大いに注意してくれ】


 反省したのかどうか分からない栞の言葉に、オレはそんな言葉を書くしかないのだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました

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