軽くて重い
『もともと人類に与えられた神力は、その祖神の気まぐれによるものだからね。ソレを返してもらうことは何の不思議でもないだろう?』
小さな鳥のような生き物はその羽をバタバタさせながらそう言った。
「それはつまり、神格化が進んだ人間が死した後は、その魂ごと糧にする……、と言うことでしょうか?」
『そういうことだね。混ざり気のない磨かれた魂は、神にとって、理想的な糧になるんだよ。まあ、糧となるほどに育ってくれるかは運次第っていうか、大半はムダになるから、やらない神の方が圧倒的に多いけどね』
兄貴の冷えた声も意に介さず、喋る鳥はそう答えた。
生まれる前に、神力を与えられるのは気まぐれだと聞いていたが、そんな側面もあったのか。
だが、糧とは?
神は食事をしないと聞いている。
だから、単純にメシのような扱いだとは思っていない。
「それでは、一度磨かれてしまった魂を神ではなく、人類に近付ける方法はありますか?」
『人界にいるだけで十分だけど、手っ取り早いのはその魂を穢すことだね。ああ、身体の方じゃないよ。肉体よりも魂……、心の話だからね』
オレが余計なことを考えるよりも前に、鳥の方が即座に訂正してくれた。
『人の世に染まった考え方って言うのかな。俗な考え方とかを持つだけで良い。だから、人の世にあれば、本人の意思に関係なく、その魂は人類の穢れに染まる。特に今代の聖女は、自分の欲望に忠実だからね。何の心配もしてないよ』
欲望に忠実? 栞が?
「心配とはどういうことでしょうか?」
だが、兄貴はオレと別のところが気にかかったらしい。
『え? ワタシが今代の聖女のことを気に入っているから、神なんかに簡単にくれてやるものかって思う感情は、その魂が磨かれないように心配しているってことにならないかい?』
「それは……」
予想外の返答に、兄貴が言葉を探す。
『今代の聖女は面白いんだよ。それに、可愛いし、見ていて飽きないよね。理想主義かと思えば、意外と現実主義な部分もあって、打算的で強かな部分もある。子供のように純真な心を携えているのに、大人のような諦観の目も持っている』
その言葉に思わず頷きたくなった。
人間は多面性を持つ生き物だと分かっていても、そのふり幅が大きければ、多少なりとも周囲は混乱する。
それなのに、栞は、それすらも彼女っぽいのだ。
『そんなわけだ。分かってくれたかい? 色男』
鳥のような生き物にそう言われ、兄貴は不承不承と言った感じで頷いた。
口にしていないのだから、どこか納得もしていないのだろう。
魂の神格化が進む……か。
一応、人間視点でも大神官から話を聞いておくか。
精霊族と人間では見えるもの、見ているものが違うから。
『まあ、護衛として、今代の聖女が気にかかるってのは分かるけどね。あの聖女は『封印の聖女』ほどではないと思うけど、かなり危なっかしいから』
鳥はそう言ってその両羽を窄める。
この精霊族から見ても、栞は危なっかしいらしい。
だが、それでも「封印の聖女」ほどではないってことは、その「封印の聖女」は一体、どれだけ危なっかしい女だったのか?
『ただ、それはそれだよ、護衛ども』
不意に、鳥の声質が変わった気がした。
鳥が、兄貴の手から離れて飛び、空中で制止する。
羽を動かしてはいないため、別の力で空中浮遊をしているようだ。
それまでの軽い口調から、一気に重くなったかと思うと……。
「「ぐっ!? 」」
オレと兄貴が同時に両手、両膝を付いた。
セントポーリア国王陛下や情報国家の国王陛下からの圧力とは違った重圧。
いや、これは、物理的に身体が重くなっているのか!?
『2,3日待てば、還すと言ったのに、わざわざこんな所まで迎えに来るなんて、ワタシを信用できないってことかい? 聖女の護衛ども』
顔もまともに上げられない重力の中で、そんな声が響き渡る。
目に映るのは、黄色の床。
ここまで平らなのに、オレの顔も映らない。
この床は輝いているのに、光を反射していないからだろう。
「我々は、主人を、2,3日、預かる……。としか聞いておりません」
オレと同じ状態になっている兄貴が、声を絞り出す。
確かに、あの時言われた言葉は、「預かる」であって、「返す」とは言われなかったとオレも記憶している。
この差異は一体……?
『あれ? そうだったっけ?』
だが、途端に軽さを取り戻す鳥。
『あ? ああ、本当だ。確かに、あの時のワタシは「2,3日預かる」としか言っていない。失敗、失敗』
いや、それを「失敗」の言葉で片付けて良いものか?
『いやいや、悪い、悪い。「返す」って言ったはずなのに迎えに来たから、ちょ~っと、気が立ったんだよ。いや、今代の聖女の護衛たちが過保護って知ってるからさ~。「返す」って言っても、どうせ、迎えに来ちゃうんだろうな~って思っていたせいもあるかもね。ごめん、ごめん』
どうだろう?
流石に「返す」と言われていたなら、オレも兄貴も素直に待っていただろう。
自分たちより上位者からの要請で、しかも主人の命を握られているような状態だ。
その指示に逆らっても、良いことなどないということは分かり切っている。
尤も、言われた2,3日を過ぎても栞が戻らない時は、迎えに行こうとしてしまうだろうけど。
そんなことを考えている間に、フッと身体を重くしていた気配が消えた。
よく分からないが、許されたのか?
『さて、聖女の護衛たち。主人に会いたいかい?』
「「勿論」」
分かりやすい問いかけに選んだ言葉は、兄貴もオレも同じものだった。
『即答、即答。結構、結構』
鳥は手を叩くように、羽を動かす。
『だけどさ、さっきも言った通り、今代の聖女は予定よりもずっと早く目覚めてしまった。そのため、すぐには返せないんだよね』
オレたちが予定より早く、着いてしまったから……か。
尤も、これは単純に伝達ミスの側面が強い。
確かに多少、過保護かもしれないが、栞が城下の森から一人で戻れるとは思わなかったから、そこは仕方がないだろう。
『だから、傍にいることは許そう。朝、例の湖の近くに来るように』
「時間帯は?」
立ち上がった兄貴は抜け目なく尋ねる。
情報伝達の齟齬が僅かでもあれば、主人の命に関わることが分かったからだ。
今回はたまたま、オレたちが別のところで時間を潰していたから、栞の目覚めは一日遅かった。
だが、大神官やセントポーリア国王陛下への報告も紙だけで済ませ、碌に準備もせず、主人に早く会いたいという気持ちだけで、オレか兄貴のどちらかが拙速な行動をとっていれば、魂の修復とやらが終わっていない状態で、彼女が目覚めてしまった可能性がある。
そのことにゾッとしたものを覚えた。
『細かいねえ……』
呆れたように鳥は言った。
「主人の命が掛かっていますので」
細かくても、大事なことだと兄貴は言った。
オレもそう思う。
『もう命は掛かっていないよ。だから、今すぐ向かっても、別に問題はないけどね』
鳥は平然とそう言う。
「いえ、止めておきます。この時間に向かうなど、主人の眠りを妨げるような行為ですから」
少し考えて兄貴はそう答えたのだが……。
『そうだね。今、行っても、簡単に会えないだろうさ。いやいや、賢明、賢明』
そんな意味深な言葉を返される。
「どういう……」
「どういう意味でしょうか!?」
兄貴の言葉を遮って、オレは問いかけた。
『さっき、言ったように、今代の聖女は、魂の神格化が進んでいる。だから、ちょっとばかし、魂を人類に近付けている所だった。ここまでは坊やもおっけ~かい?』
鳥の言葉にオレは大きく頷く。
『だが、中途半端な所で目覚めてしまった。だから、今は少し、魂が不安定なんだよ』
「具体的には!?」
『今代の聖女の許へ行っても、お互い、その存在に気付けない可能性が高いね。ああ、坊や相手なら今代の聖女なら気付くかな? 坊やの方が気付かなくてもね?』
鳥はどこ見ているのか分からない目だったが、その声は妙に楽しそうだった。
だが、オレの方が気付けない?
栞の気配に関して、そんなことがあるんだろうか?
『まあ、大事なのは愛だよ、愛。愛があれば、大半のことはなんとかなる。かつて『大いなる災い』と呼ばれたモノを『封印の聖女』は愛を持ってなんとかしちゃったんだからね』
鳥はそんなことを言うが、素直に頷けなかった。
大神官は「封印の聖女」のことを「運が良かった」と称したのだ。
だから、愛だけでは駄目なのだろう。
『二人して難しいことを考えてるねえ。でも、昔から言うじゃないか』
鳥はどこか呆れたように……。
『愛は惑星を救うってね?』
でも、どこか嬉しそうに、どこかで聞いたような言葉を口にするのだった。
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