はっきりしない気配
目を閉じても感じられるのは、おぼろげな気配。
ゆらゆらと揺れているような点滅しているような不確かな存在感が肌に伝わってくる。
いくら城下の森と言う特殊な結界内にいるとはいえ、この感覚はかなりおかしかった。
オレは少し前に、この城下の森で栞と生活している。
その時は、城からでも、城下の森の中にあるコンテナハウス内にいた栞の気配は、はっきりと感じ取れていたのだ。
しかも、そのコンテナハウスにも、内部の気配遮断の結界を施していたというのに。
だが、今回は、その気配がはっきりしない。
この宿から出て城下の森に入れば、また感覚は変わるのだろうけど、なんとなく、そんな単純な問題ではない気がしている。
同じ世界なのに、違う場所にいるような違和感とでも言えば良いのだろうか?
自分でも、よく分からんがそんな感覚がしているのだ。
こんなことは初めてだった。
あの時、無茶をして倒れた栞を連れ去った相手は、「盲いた占術師」と呼ばれ、「暗闇の聖女」と認められているが、それは人の世での話。
その本質は、精霊族だ。
だから、人界に縛られない活動ができてしまう。
それでも、気配を感じられるなら、栞はこの世界にいる。
それだけが救いだった。
例によって、魂だけを引っこ抜かれて別世界に行っている様子はないから、意識だけがどこか別の場所にあるのかもしれない。
「はあ……」
いろいろ堪りかねて、オレが溜息を吐くと……。
「煩い」
真横から不機嫌な声がした。
どうやら、起きていたらしい。
「悪い」
寝ていると思っていたから、息を漏らした音に反応するとは思わなかった。
さて、お分かりだろうか?
今、オレは兄貴と同じ布団で寝ている。
こんな状態になるのは、セントポーリア国王陛下に眠らされて、一緒に寝台上に転がされた時以来だ。
……割と最近だった。
だが、こう、改めて兄弟で同じ布団に納まることなんて、普通はない。
20歳と18歳の男が、兄弟とはいえ、同じ寝台を使って眠る機会なんてそう多くはないだろう。
あっても困る。
そこまで抵抗があるわけではないが、当然ながら嬉しいわけでもない。
オレたちはそこまで仲良し兄弟というわけでもないのだから。
あのまま、変な奴の気配を纏っているのが丸わかりの状態の兄貴を、栞の所に連れて行きたくなかっただけだ。
置いていくということも考えたけれど、ここまで来て、それも結構酷いし、兄貴はそのままついてくる気がした。
もともとオレと合流したら行くつもりだったみたいだからな。
オレほど気にしていないのだろう。
それに、兄貴は、セントポーリア国王陛下への報告が終わったら、すぐに城下の森へ行くこともできたのだ。
それを、オレがストレリチアの大聖堂で一晩過ごすことを決めたから、セントポーリア城で一晩明かすことにしたのだと思う。
オレが、ストレリチアでの用事を済ませた後、すぐにここに来ていれば、余計な気配を纏う必要もなかったと思えば、少しばかり罪悪感もある。
いや、オレを待つにしても、城に残らず、とっとと城下に逃げておけよ、とも思うが、城内でやりたいこともあったのだろう。
いずれにしても、今の栞の気配は普通ではない。
そして、今、迎えに行ったところで、すぐに連れ帰ることが許されるとも思えなかった。
あの「暗闇の聖女」は、2,3日預かると言ったのだ。
だから、まだ返してもらえない気がする。
この気配はそういうことだと思うしかない。
「お前は今も、主人の気配を感じるか?」
不意に真横から低い声。
周囲が真っ暗なせいか、つい昨夜、聞いた声に重なる。
金髪碧眼で四十を超えているにも関わらず、無駄に艶と華がある王様。
オレもあの声と似ているのだろうか?
自分では分からなかった。
「ぼんやりとなら」
「そうか、やはり『嘗血』だけの俺よりは、掴みやすいようだな」
溜息交じりに兄貴がそう言った。
距離が近いせいか、いつもよりも感情が分かりやすい気がする。
「兄貴には分からないのか?」
「分からないというのは正確ではないな。主人の気配は分かるのだが、どこか、違う気がしてしまう」
オレには兄貴の感覚が分からない。
ぼんやりとしていつもと違う気はするのは確かだけど、それでも間違いなく栞だと分かっているから。
「結界のせいじゃねえのか? 城下の森自体が強力な結界だからな」
「阿呆」
兄貴は短くとも、確実な言葉で弟を突き刺しに来る。
「結界の中にいる気配かどうかも分からないほど、この俺が未熟とでも言いたいのか?」
「そんなこと言ってねえよ」
オレよりも、兄貴の方が他者の気配を感知する能力が高いことを知っているから。
気配を感知する能力に関して、オレが兄貴に勝るのは、栞に関することだけ。
それも、実力ではなく、ある意味、環境によるものに近い。
単に「嘗血」しているだけの状態だったら、気配察知も兄貴の方に軍配は上がったことだろう。
「ただ、オレが感じているのも、結界のような壁に邪魔されている感覚に加えて、同じ場所で移動魔法をずっと繰り返しているような気配だなとは思う」
「同じ場所で移動魔法?」
「上手く言えねえけど、ぼんやりした気配が点滅しているような、そこに現れたり、消えたりしているような?」
ぼんやりしているだけでなく、瞬間的にその場で入れ替わっているような、変な感覚がするのだ。
「それは……」
兄貴も考え込む。
この状況は、大神官が言っていた「正視できない姿」に関係があるのだろうか?
だが、兄貴はそれについては特に気にした様子もなかった。
ただ一言「ああ」と言っただけだったのだ。
オレと違って、栞がどんな状態なのか、分かっているのかもしれない。
だが、一体、栞に何が起こっているのだろうか?
「まあ、夜が明けたら向かうのだから、それで分かるだろう」
「素直に、会わせてもらえると思うか?」
一番、気にかかるのはそれだった。
「分からん。だが、俺たちが迎えに行くことぐらいは分かっているだろう。それに、明日が駄目なら、暫く通うだけだ。崖下にコンテナハウスを設置するぐらいのことは許されるだろう」
それは、オレも考えていることだった。
栞の気配が今も城下の森にあることは間違いない。
そして、気配を感じる位置は例の湖だ。
それならば、あの崖下からならすぐ近くだから問題なく通える。
どのくらいの期間になるかは分からないが、滞在予定の二週間よりも遅くなりそうな時は、トルクスタン王子に伝書を飛ばせばいい。
その間、城下に「濃藍」は出なくなるが、「緑髪」はトルクスタン王子と行動することになる。
トルクスタン王子の侍女と知らなければ、少し名前が売れた魔獣退治屋が、高貴な人間の護衛に任命されたと思われるだろう。
それに地元に根付いた狩人はともかく、魔獣の居る所に現れる退治屋や、流れの傭兵などが、突然、現れ、そして、姿を見せなくなることだって珍しくない。
オレたちだって突然、ローダンセに現れたのだからな。
だから、「濃藍」が、ローダンセ城下やその周辺に現れなくなっても、単に別の場所に行ったと思われるだけだろう。
「はぁ……」
息が漏れた。
今度はオレじゃない。
横から聞こえたものだった。
肩を並べるような距離なのだから、互いの呼吸音なんて、身体強化をせずとも聞こえる。
それが、大きな吐息なら尚のことだ。
「悪い」
聞こえていたのかが分かったのか、兄貴がそう言った。
聞かせるつもりはなかったのだろう。
それでも、思わず漏れてしまったらしい。
まあ、ここまで次々といろいろ続けざまに起これば、溜め息の一つや二つ吐きたくもなるよな。
「お前の考えでは、主人は今、違う世界にいるわけではないのだな?」
兄貴はそこが気にかかったらしい。
オレも気になっているが、仮死状態の時のように消失した気配ではないため、その可能性はないと思っている。
「少なくとも、以前のように聖霊界にいるわけではないと思う」
オレはあえて「聖霊界」という言葉を使った。
そう言ったところで、栞が「聖神界」に行くことから逃れられるわけでもないのに。
「そうか……。この世界にいないわけではないのか」
それは、ポツリと漏らしたような声。
だが、兄貴だって、栞の気配は感じ取っているはずだ。
それなのに、何故、そんな風に思ったのだろうか?
そう言えば、「気配は分かるけど、どこか違う気がする」と言っていた。
それと関係があるのか?
「行けないのだ」
「あ?」
何のことだ?
行けない?
どこに?
「城下の森にいても、気配さえ掴めば行けることは証明されている。だが、今回はどうしても行くことができない」
「どういうことだ?」
「時間的に、主人は寝ているはずなのだが……」
その言葉で理解した。
「また勝手に夢の中へ入り込もうとしたのか?」
兄貴は他の人間の夢の中に入ることができる。
今回もそれをしようとしやがったらしい。
オレに何も言わないままに。
「勝手にとは人聞きが悪いことを言う。主人からは『いつでもどうぞ』と許可を得ているのだが?」
「それは社交辞令って言うんだよ!!」
「今のところ、追い返されたことはない」
栞だからな。
兄貴が夢に現れたとしても全く気にせず、のほほんと対応している気がする。
「それに今回も、ここまで近い場所にいるのだから、必然的にお前を巻き込むことになっただろう。だから、夢の中で説明すれば良いと思っていた」
「先に説明してから、連れて行ってくださいませんかね? お兄様?」
事後承諾にも程があるだろう。
「だが、今回は行けない。こんなことは初めてだ」
兄貴の夢の中に入る魔法は、正直、よく分からないことが多すぎる。
オレも契約はできたが、使うことができない。
ある日突然、使えるようになるのか?
それともこのままなのか分からないのだ。
「だから、この気配がもしかしたら、違うのかと思ったのだが……」
兄貴がそう口にした時だった。
―――― ぶぉんっ
暗闇の中、低くて妙な音が、自分の頭の上で聞こえた気がして……。
「この音はっ!?」
そんな兄貴の叫びと共に、オレたちは更なる闇に呑み込まれたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




