新たな気配
「よお」
扉を出るなり、金色の髪の王は、ごく自然に声をかけてくる。
「私はこれから用があるとお伝えしているはずですが?」
濃藍の髪の大神官は、呆れたようにそう答えた。
「いや、あの男、俺のことを何か言っていたか? それだけが気になってな」
「それならば、場所を変えましょう」
初めて恋しい異性に話しかけた後の、思春期の少年のようなことを言っているが、それでも他国の王である。
正神官の姿に身を窶しているが、誰が見ているとも限らない。
大神官は溜息を一つ落として、別の部屋へと誘う。
「俺としては立ち話でも良かったんだが……。はっ!? まさか、そんなにいろいろなことを言っていたのか?」
「いえ、単純に報告すべきことが多いだけです」
金髪の王の軽口も簡単にいなす。
この大神官にとって、それは慣れたものだった。
「報告? あの男のことか?」
案内された部屋で、金髪の王は警戒することもなく座る。
「それ以外のことを報告しても、今の貴方は全く興味を持たないでしょう?」
「それはそうだ」
勿論、聞いたことを忘れるほど耄碌はしていない。
だが、やはりどうせ向き合って会話するなら、好きなこと、実のある話がしたいのは当然だ。
ただでさえ、多忙な大神官の睡眠時間を割いているのだから。
「まず、通信珠の存在をお伝えしました」
同じく席に着いた大神官はそう切り出す。
この金髪の王に変な前置きは必要ない。
「あ? ああ、お前から押し付けられたヤツか……って、なんでバラすんだよ!? あの坊主は外部からの干渉はかなり警戒していたが、俺が録音石を持っていることも、通信珠を持っていることも気付いてなかったぞ?」
金髪の王はそう食って掛かるが……。
「録音石の方は私も存じませんでしたが?」
大神官は動じることなく、静かに言葉を返すと、黙り込む。
流石に騙し討ちの自覚はあったらしい。
「あの方との会話を録音して、一体、何に利用する予定でしたか?」
碌なことではないだろうなと思いながら、大神官が確認すると……。
「いや、だって、あの声だぞ? めちゃくちゃ兄上に似た声! 世界会合の時はもっと少年っぽさが残っていたのに、今日の声は、随分、低くて落ち着きと色気が混在したモノに仕上がっているじゃねえか。それは録るだろ?」
予想以上に碌でもない答えが返ってきた。
「録りません。せめて、当人から許可を頂いてください」
脅迫など、悪いことに利用する気はないらしい。
だが、ある意味、もっと悪いことに利用する予定のような気がしてならないのは何故だろう?
「そうか? お前の姫さんなら、理解してくれると思うんだが?」
その金髪の王が言うように、この国の王女は声フェチな部分がある。
人間界でも好きな声を聴いては、悦に浸っていたという話を友人である「聖女の卵」が世間話のついでに教えてくれた時は、大神官も珍しくどんな表情をすれば良いのか判断に迷った。
因みに彼女に他意はない。
単に思い出したから口にしただけのようであった。
「そろそろ寝所で囁いてやったらどうだ? その低音ならば、姫さんも喜ぶだろうよ」
「まだその時期ではありませんので、謹んで辞退いたしましょう」
金髪の王の品の無い言葉もいつものように、淡々と言葉を返す。
「それで? 通信珠のことなんか話して、『情報国家の国王陛下ってばサイテ~』とか言っていたか?」
「特段、気にした様子はありませんでした」
寧ろ、礼を言われてしまったことは、大神官にとっても意外であった。
「マジか? あの坊主も、『聖女の卵』寄りかよ」
「主従で似ている部分はありますね」
少しのことでは動じない。
自己評価は高いものではない。
だから、努力を怠らない。
その上で、自分などまだまだだと本気で口にする。
特殊な能力を開花させても、まだ足りないという。
本当に似た者主従である。
「それよりも、気になることがありまして」
「気になること?」
「その方に、神力の気配を覚えるようになりました」
一瞬、何を言われたか分からず、理解するまでに情報国家の国王は少しの時間を要した。
「あ?」
ようやく伝わったが、出てきた言葉は短すぎるものだった。
「私の方では記録が見つからなかったので、陛下の方も探していただけませんか?」
だが、大神官は気にせず、言葉を続けていく。
「何を?」
「神の化身に触れたり、生まれつきの能力以外で、神力を身に宿した事例があるかどうかです」
「いや、神力の気配を感じる人間の方が稀だぞ? あっても、気付かれていない可能性がある。史書を掘り起こしても、見つかるとは思えない」
神力は産まれる前から神に分け与えられた能力だと言われている。
だが、あの青年にこれまで何度か会っても気付かなかった。
そこまで完璧に隠し通していたのか?
ずっと眠っていて後から開花した才能なのか?
あるいは、気まぐれな神々によって、その化身に触れることとなったのかも判断ができなかった。
「それが、『聖女の卵』の側にいるためなのかが分からないのです。そして、弟だけのことなのか? 創造神の像は目撃したけれど、兄弟とも触れなかったと聞いています。神の化身に触れる以外の事例を知らないだけだと思いたいのですが……」
神の化身に触れたら大神官に報告はあるだろう。
彼らからの相談、報告は神や精霊族についての話が多いのだから。
「確かに、神官たちに知られると厄介だな。『穢れの祓い』も、同性の方が効果的だ」
「上神官ぐらいなら簡単に制圧すると思いますよ。それだけの戦闘経験がありますから」
「うむ。流石だな」
情報国家の国王は何故か誇らしげに頷いた。
それほどの関心を実の子に向けて欲しいものだが、それは叶わないのだろう。
血を分けた息子は、国王の妻である王妃殿下によってそれはもう大切に大切に慈しみ、育てられていた。
それはもう病的と言っても過言ではないほどの愛情だった。
それでも、女性嫌いにならず、逆に女性が好きになるのだから、父親の血の濃さを思わせると大神官はそう考えている。
そんななかなかに酷い考え方を、先ほどまで話していた青年がそれを知ったら少なからずショックを受けるかもしれない。
彼は、この大神官のことを、そういった俗世の穢れを知らない人間だと思っている節があるから。
俗世を含めて人界の清濁を併せ呑まなければ、この座に至ることなどできない。
いや、そこはあの青年も分かっている。
それでも、「神官」という職業は綺麗であってほしいという願望だろう。
あまりにも汚れた神官が多すぎるために。
「当人には?」
「まだ話しておりません。もう少し、調べて確証を持ってからの用が良いでしょう」
「それで良いか。現状では神力を視ることができるヤツなんて、そう多くないからな」
神力は、神や精霊と同じ「神眼」と呼ばれる種類の眼を持たねば視ることができないと言われている。
それならば、あの青年にそんな能力が備わっていることなど知られる可能性は低いだろう。
「考えられるのは、『聖女の卵』が何かしでかしたってことか? あの娘も次から次へと本当に楽しませてくれる」
「当人たちにその気はないようですけれどね」
情報国家の王にも、「聖女の卵」の情報は流れている。
この大神官が伝えているためだ。
そして、情報国家の王からは、それに対する情報国家としての見解と当人の私見が返ってくる。
この王は、幼い頃から古今東西の書物を収集していた。
大聖堂も古き書はあるが、それはあくまでも神に関することのみであり、人類の歴史や意外にも精霊族の記録すら時代が遡るほど少なくなっていく。
精霊族が神の遣いと考えられるようになったのは、ここ数百年ほどの話だ。
それ以前は、虐げても良い存在と思っていた時代すらあり、ほとんどの精霊族はその時期の前後に、人界から姿を消している。
つまり、神については溢れるほど書物があるのに、歴史的な観点から見れば、大聖堂が管理する物はほとんどなかった。
尤も、神が関わること……、王族と呼ばれる者たちに関する話は、やはりそれなりの量を占めているので、人類の歴史が全く読み解けないわけでもないのだが。
「ああ、少し前に、『聖女の卵』が祖神変化したことがあっただろう? それのせいではないか?」
「『祖神変化』……」
「俺は神官ではないため詳しくは分からんが、アレは自分の肉体に神を宿らせる受肉と違って、自分の魂が素となった神に引き摺られることだろ? 神像とは別の意味で、神の化身ということになるのではないか?」
王の言葉に大神官は少し考えて……。
「可能性としてはあります」
そう答えるに留めた。
そもそも、神の意識を人界に下ろす「神降ろし」、人間の肉体に宿らせる「受肉」と違って、「祖神変化」は実例が少なく、記録もあまりないのだ。
共通点は、それを過去に行った人類は、神の加護を強く持つ肉体……、王族であることが多いということだけである。
どうやら、一時的に神そのものになるらしく、当人もその時の記憶がないらしい。
「坊主が、『聖女の卵』の暴走を止めたと聞いている。それがどんな形だったのかは聞いたか?」
「いいえ。『聖女の卵』も、それを止めた青年も、その部分については言葉を濁しました」
あの「音を聞く島」でそれを尋ねた時、二人とも気まずそうな顔をしたことを覚えている。
だが、「聖女の卵」の「全く覚えていない」はともかく、あの青年の方は、間違いなく何かを隠していた。
「いや、そこは聞いておけよ。後進のために記録するのも大神官の務めだろ?」
「『縁を繋ごう』としたらしいので、恐らく、抱擁だと思うのですが……」
「どう考えても、ソレが原因じゃねえか。だが、マジか? その素が知り合いでも、姿は神だ。王族の『魔気のまもり』以上の圧力もあったことだろう。それを食らいながら近付くだけでも……」
情報国家の王はそのまま考え込む。
あの兄弟にも見られる思考の整理に入ったのだろう。
まるで写真のように動かなくなった。
大神官も思考する。
あの二人、いや三人は、戻る時にもう一度顔を見せる。
「聖女の卵」のお守りに力を注ぐために。
その時にでも聞けば良い、と。
そして、大神官は知る。
「聖女の卵」が覚えてなくても目を逸らした理由と、青年が言葉を濁すことになった原因を。
さらに、その近くにいた兄と、自分の弟子となった精霊族の青年も、僅かながらその影響を受けていることを知ったのはこれから数日経った後である。
この話で126章が終わります。
次話から第127章「国の攪乱」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




