風は光に揺らされる
情報国家の国王陛下との長い対談は終わった。
当人からすれば、本当に雑談ばかりだったようで、オレにとって実りも多かった話は、特に対価を求められることがなかった。
だが、無料よりも怖いものはない。
ましてや、相手は情報国家だ。
後に、どんな莫大な対価を求められるかも分かったもんじゃないので、手土産をいくつか渡した。
情報国家の国王陛下は逆に「貰い過ぎだ」と言われたので、「それについてはいつか情報国家に行った時に返してください」と返すと、不敵に笑って承知してくれた。
それから、時を置かずして、部屋の扉が三度叩かれる。
既に日が替わったこんなに遅い時間に、それも、情報国家の国王陛下が退室して六分刻と経たないうちにこの部屋に来る人間なんて、一人ぐらいしか心当たりがない。
「どうぞ」
そう声を掛けると、扉が開かれ、予想通りの人物がその姿を見せた。
「夜分、遅い時間帯に申し訳ございません。早めにお伝えしたいことがあって、参りました」
背の高い男はそう言いながら頭を下げる。
身に着けている衣装は白ではなく、黒。
髪はポニーテールではないので、正神官の法服なのだろう。
栞なら区別がつくかもしれないが、オレには見習神官の「黒」と正神官の「正黒」の違いが分からないのだ。
そして、わざわざ正神官の法服で現れたのなら、大神官として来ない方が良いと判断したということだろう。
「九十九さんが、出られる時間に、私はお会いできませんから」
その話は聞いていた。
ちょうど外せない予定が入っているらしい。
もともと、大神官への面会の事前予約もせずに大聖堂に来たのはオレの方だ。
「聖女の卵」である栞がいないため、特に見送りが必要なわけでもない。
今回はその「聖女の卵」がやらかしたことの報告と、その見解と今後の指示を仰ぎたくてきただけなのだから。
いくら正神官の恰好をしているとはいえ、いつまでも部屋の入り口で立たせているわけにはいかないので、招き入れる。
わざわざ夜中に来訪したのだから、再度、会って話す必要があるのは間違いない。
だが、ここは「迷える子羊」のための部屋だから、訪問者の接待をする場所はほとんどなかった。
それは手配したこの人自身は承知なのだろうから、情報国家の国王陛下の時と同じように、来客を椅子に座らせ、オレは寝台にでも腰かければ良いだろう。
「何か飲まれますか?」
「いえ、お気遣いなく」
そうは言われても、やはり何も用意しないわけにはいかない。
お疲れのようだから、疲労回復効果のある薬草茶でも淹れることにした。
いろいろ考えたが、兄貴も常用する復帰する草の茶が良いだろう。
「本日は、お疲れさまでした」
大神官はこう切り出した。
「九十九さんは随分、あの方から、気に入られてしまったようですね」
誰に?
それは問うまでもない。
「私は陛下の御身内によく似ているそうです」
気に入られた一番の原因は、情報国家の国王陛下から見て、オレの顔は親父に似ているからなのだろう。
自分ではオレよりも兄貴の方が、親父に似ていると思っている。
ただ、それも3歳児、15年も昔の記憶だ。
はっきり覚えていないのは仕方がないだろう。
それでも、情報国家の国王陛下と同じ色合いにすれば何かの反応があると思って、金髪碧眼に姿を変えてみたら、まさか、抱き締められることになるとは思ってもいなかった。
オレはなんで、女からよりも男の姿をしているヤツから抱き締められる方が多いのだろうか?
いや、特に女から抱き締められたいというわけではないのだが、どうせなら、ゴツくてあちこち硬い男よりは、柔らかい女からの方が良いと思うのは、単純なスケベ心とはまた別の話だろう。
不思議なことに、あの情報国家の国王陛下は、兄貴に対してはそこまで関心を持っていないような印象を受けた。
これは、接した時間が短いからだろうか?
だが、それでも、あの国王陛下は……。
「九十九さん」
大神官が声をかけてくる。
「お顔の色が優れないようですが、あの方から何か不快なことを言われましたか?」
不快なこと?
それは間違いなく、あの発言だろう。
だが、それに関してはあの国王陛下の言葉が悪いのではない。
単にオレの意思の問題だ。
「あの方は、気に入った人間を揶揄う癖があるとともに、必要な情報を得るために、わざと相手が怒るように仕向けることもあります」
相手を感情的にした方が、隙ができるし、本音を零しやすいからだろう。
兄貴もよくやる手法だ。
そして、あの情報国家の国王陛下は的確にオレの弱点を突いた。
「九十九さんは、大丈夫でしたか?」
青い瞳がオレを捉える。
先ほどまで見ていた情報国家の国王陛下の瞳も、この方と同じ青い色彩だった。
でも、全く受ける印象は違う。
情報国家の国王陛下は見抜くような瞳。
だが、この大神官は射抜くような瞳だ。
「主人を、侮辱されました」
あれはそういうことだ。
そして、オレはあの時、情報国家の国王陛下の思惑通り、本当は怒らなければいけなかった。
だが、迷った。
揺れた。
震えた。
怒りよりも先に、利を考えてしまった。
それも、主人の利ではなく、自分の利を。
「侮辱……ですか?」
「はい。それに対して、私は、怒りを覚えるよりも先に、そのことに対する結果を考えようとしてしまいました」
主人を護る護衛なら、主人の気持ちを先に考えるべきなのに。
栞がいなくて良かったと心底思った。
あんな情けない姿を晒さなくて済んだから。
「何を言われたのか、伺ってもよろしいでしょうか?」
「主人を……、継妃に、したい……、と」
以前、栞が言われたのは「寵姫」だった。
まだ情報国家の国王陛下をよく知らない時期で、恐らく、あちらも本気ではなかったのだろう。
だが、今回の申し出は違う。
いつでも逃げられる「寵姫」と、国に縛られる「継妃」では、この先の栞の未来そのものが変わってくる。
そして、それは、冗談で口にできることではない。
「継妃であれば、親子ほど年が離れていることもないわけではありませんが、それでも、栞さんはまだお若いのです。シェフィルレート王子殿下の配偶者ならともかく、国王陛下の妃としてイースターカクタスが迎え入れるなど、厚かましいことこの上ありませんね」
「…………」
だが、大神官からは分かりやすく棘が突き出された。
まるで、薬物判定植物に毒薬を掛けた時のように。
「何より、栞さんは既にアーキスフィーロ=アプスタ=ロットベルク様と縁を結ばれました。まだ正式な婚姻契約を交わしたわけではありませんが、報告を読んだ限り、ロットベルク家やローダンセ王家からは、婚約者も同然の扱いを受けていると言えるでしょう」
「情報国家の国王陛下は、それでも、可能だと」
「栞さんに多大な瑕疵を負わせることになれば、可能と言えます。婚姻契約を交わす直前での御破算であれば、損害賠償として、お相手とその家に多額の金銭を支払う義務が生じます。その時点で非は栞さんにあると世間に知らしめる形となり、非難は避けられません」
それは分かっている。
栞はローダンセの貴族子息を捨て、一国の王を選んだとして、不義、軽薄、強欲、尻軽、不義理など、情け知らずのそしりを受けることになるだろう。
それ以前に、栞は、絶対に望まない。
それも分かっているのに……。
「そうすれば、私と兄を側に置くことを許す、と。その言葉に揺らぎました」
実際の言葉は「共有」であった。
だから、揺らいだ。
その形であれば、自分の本心を告げないまま、栞に触れることが許されるから。
お互い、誤魔化すことなく、素のままで側にいることができるから。
勿論、「共有」なんて嫌だ。
それでも、このまま離れるよりはずっとマシだと、一瞬だけ思ってしまった。
ほんの一瞬でも、そう考えてしまった自分自身が許せなかった。
そんな迷いと弱さを抱えていることを、他人に気付かれていることが情けなかった。
「どんな形であれ、愛する人の側にいたいと願うのは人間として当然の欲です」
汚れなき真の聖職者はそう告げる。
「あの方は、人が持つ欲を見抜き、的確に揺さぶろうとします。それでも、九十九さんは強い意思を持って、その誘惑を断ったのでしょう?」
「強くなんかありません」
思っていた以上に情けない声が出た。
だが、この方の前では今更だ。
もっと情けない、兄貴にすら見せたことのない姿だって、オレは大神官の前で曝け出してきた。
「迷うことは罪ではありません。揺らぐことも咎ではありません。弱いことも、負けることも、抗えないこともあって当然です。それが、人間なのですから」
そして、大神官はこんなオレを擁護してくれる。
「大事なのは、その果てに出した結論に自信を持つことです。それが正しいか、誤っているかは些細な差異でしかありません。最後まで迷いに迷っても、他者がどう思おうとも、自分が出した答えを、自分自身が信じるしかないのです」
そう言った後……。
「いつだって、栞さんのことを考えて行動してきた貴方が、誰よりも気を配っている貴方が、栞さんのことで間違った結論を出すことはないと、私もそう信じています」
さらにそう続けてくれたのだった。
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