父と母の昔話
「国王陛下は……」
「先ほど、グリスと呼べと言っただろ?」
オレが呼びかけようとすると、不機嫌そうな顔をする情報国家の国王陛下。
まだ、あの呼びかけは継続しろということらしい。
だが、あれはあの時、あの場限りだからオレも呼ぶことができたのだ。
そう毎回、呼び捨てなどできない。
「呼び捨ては無理でも、せめて、邪魔が入らないこの場ぐらい名前で呼んでくれ」
「それでは、敬称だけは付けさせていただきましょう。ご無礼致します」
そう言って、頭を下げて……。
「グリス陛下は、私の母親のことを知っているのですか?」
名前だけならともかく、精霊の系統であることを知っていたことに少し驚いた。
流石は、情報国家の国王陛下ということなのだろう。
オレや親父のことを調べている。
「城内の聖堂付きの正神女で、俺よりも年下だったからな。まあ、あの当時はとにかく目立っていた」
見習神官を始めとして、準神官や下神官など、正神官になる前の神官たちが山ほどいるストレリチアと異なり、正神官以上が配属される他国の聖堂では、確かに若い神女などかなり珍しいかもしれない。
「何より、あの兄上が数年がかりで口説いた女だぞ? 当時の城内で知らない人間などいなかった」
「私は父と母の馴れ初め自体を知らないのですよ」
そうか。
あの母親を口説き落とすのに、親父は年単位かかったのか。
栞の夢の中で会った母親自身も、そんなことを言っていた覚えがある。
確かに、簡単には口説けない印象はあった。
なんとなく、栞や千歳さんのような手強さを感じたのだ。
具体的には、かなり直接的な言葉でなければ全く伝わらないような面倒くささを覚えたとも言う。
「兄上は本当に何も言わなかったんだな」
「そうですね。兄には伝えたこともあるかもしれませんが、少なくとも当時3歳の私には過去のことを何一つとして教えてくれませんでした」
だから、栞と乳兄妹であることも知らなかったのだ。
「知りたいか?」
「そうですね。気にはなりますが、今しばらくは必要ありません」
知りたい気持ちが全くないわけではない。
何も知らなかった時は興味もなかったが、オレは栞の夢の中で母親と出会うという奇跡を体験してしまった。
生きていた時のことを何一つとして知らなかったのに、会話までしたのだ。
そこで何も思うものがないほど、自分は、情の無い人間ではない。
だが、親父が何も残さなかったのなら、その辺りは知る必要もないってことだろう。
「多分、変に両親の知識がない方が、私にとって、気が楽なのです」
「そうか。だが、知りたくなった時は、いつでも言え。兄上の当時の記録は残してあるからな」
それは、親父が気の毒すぎると思うのはオレだけだろうか?
数年かかって、母上を口説いた記録ってことだよな?
後で見ると、恥ずかしくて死ねるってやつじゃないのか?
「ラビアの記録もあるぞ。あの女が城にある木に登っていた所を、兄貴が見咎めたこととかな」
だが、オレの気持ちを他所に、情報国家の国王陛下はそんなことまで口にする。
オレの母親も何をやっているんだ?
木?
木だと?
しかも、親父が見咎めた?
だが、夢の中で会った母親の性格から、それは嘘だとも思えない。
オレや兄貴のことすらひよっこ扱いした元正神女だったからな。
「自室の扉に鍵がかかっていたので、窓から侵入しようとしたそうだ」
「それはいろいろ危険ですね」
扉が開かないから窓から入ろうという発想も危ないし、女の部屋だというのに、窓の鍵が開いていることも危険だと思う。
そして、栞がそんなことをしていたら、どんな事情があっても、オレも注意するだろう。
まずは、オレを呼べ、と。
「まあ、後で分かるのだが、その当時、ラビアは城の者から嫌がらせを受けていてな。そのために聖堂で神務を行っている間に自室に鍵をかけられたらしい」
「嫌がらせ……ですか?」
なんだか穏やかではない話だ。
だが、あの勝気な性格では敵を作りやすいとも思う。
「まあ、若い正神女なんて久しぶりだったからな。しかもイースターカクタスは聖堂が城内にある。貴族でもないのに城内で生活する神女に対して良からぬことを考える貴族子息たちが多かったのだ」
どこの国でも阿呆はいるらしい。
だが、それが情報国家だということに驚く。
「そこそこ容姿が整った若い女。身寄りのない孤児。そして、貴族ではなく神女。さらに後ろ盾もない。まあ、欲望を抱いた貴族子息どもの恰好の餌食だよな、普通なら」
その時点で自分の母親が普通ではないことを理解する。
いや、オレたち二人を前に、笑いながら「かかって来い」と言える時点で、普通ではないことは重々承知なのだが、他者から聞かされるのはまた別の話だろう。
「正神官、正神女に若くして上がるような才能があれば、そこらの貴族子女など話にならん。ラビアが我が国の聖堂に配属されて一月後、城の裏手の目立たない所に、貴族子息が半裸のまま拘束された状態で放置される事件が多発していた。あれは、一体、何の関係があるのやら……」
いや、どう考えても下手人は一択だよな?
今、この場で全く関係のない話をするとは思えん。
しかし、半裸で拘束……。
貴族子息が自ら脱いだ結果なのか?
それとも、母親が報復でひん剥いたのかで、意味合いが随分、変わる気がした。
「二十年ほど昔のイースターカクタスは、それだけ治安が悪かったということですね?」
オレがそう言うと、情報国家の国王陛下はクククッと笑って……。
「二十五年前のイースターカクタス城内は、確かに治安が悪かったようだな。何度も同じ顔があったらしいから、狙われていたとしか思えん」
そう付け加えてくれた。
それは貴族子息が狙われていたというよりも、その貴族子息が特定の相手を狙っていたということだろう。
しかし、何度、ひん剥かれて拘束されても、懲りない男もいたってことか。
「何度もその男に拘束犯の話を確認するが、頑として口を割らなかった。当然だな。返り討ちに遭っていただけなのだから。だが、その内に新しい扉を開けてしまったのか、聞いてもいない拘束方法の見事のみを切々と語ってくれるようになったらしい」
ちょっと待て?
これ以上、この話を続けても、オレの精神衛生上、良くない方向へ進む気がした。
「グリス陛下、この話はまだ続けなければいけませんか?」
思い切ってそう言ってみた。
情報国家の国王陛下は笑いながら……。
「そうだな。もう昔のことだ」
そう言って、話題を切り上げてくれた。
だが、オレはこの時点で気付くべきだったのだと思う。
情報国家の国王陛下が母親の話題を出した本当の意味を。
しかも、何の関係もないような古い話題だったことについても、もっと深く考えるべきだったのだ。
情報国家と呼ばれる国が、何故、他国にも恐れられているのか?
その意味をもう少し考えておくべきだった。
尤も、気付いていたところで、この時のオレにはどうにもできなかっただろう。
いや、後のオレでもこの国王陛下には勝てないと思う。
明らかに役者が違った。
情報国家の国王陛下は、一見、何の関係もないような話題を少しずつバラまく。
そこで、相手を油断させて、必要な情報を引き抜いていくのだ。
それはバラバラの情報の欠片を組み立てていく、膨大な作業。
それを涼しい顔で行うことができるのが、情報国家の情報国家たる所以であった。
そして、オレはもっと警戒すべきだったのだ。
外部からの盗聴、覗き見については、細心の注意を払っていた。
だが、まさか、情報国家の国王陛下自身が録音機を持ち込んでいる可能性については、全く考えなかったのだ。
尤も、会話自体には十分すぎるほど気を付けていたので、後にも先にもそこまで問題になるようなものではなかった。
ただ、オレにとって大したことのない話題であっても、情報国家の国王陛下にとってはとても大切だっただけのことだ。
それを知らされるのは、この夜からさらに数年経ってからのこと。
オレがこの上なく、情報国家に関わるようになってからの話である。
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