名付けができない理由
「飲み物は何か飲まれますか?」
黒髪、黒い瞳に戻して、情報国家の国王陛下の腕からようやく解放された後、オレは一応、そう尋ねてみた。
アレでこの国王陛下の用件が終わったとは思えない。
まだ何かあると思ったのだ。
「珈琲という飲料はあるか?」
「似たようなものならございます」
なんとなく、世界会合後のイメージから、「酒」と言われる気がしていたのだが、違ったらしい。
しかし、珈琲か。
なかなか難しいところを突くな。
確かにこの世界にコーヒーノキという植物が存在しないのだから、それからできるコーヒーチェリーの種が採れるはずがない。
結果、この世界で珈琲が飲みたければ、似たような味の物を探すしかないのだ。
だが、人間界でも珈琲と呼ばれた飲み物はとんでもない種類があった。
豆の種類、産地、焙煎、挽き方、いれ方、飲み方まで種類が多数あり、その組み合わせで味がかなり変わる。
そこに豆の配合まで加わると、その種類は無限大に広がるという奥が深いものだ。
つまり、再現が難しいのである。
オレにできるのは、自分が飲んだことのある珈琲に近い味である。
飲んだことがない珈琲の種類までは知らん!!
とりあえず、昔、兄貴に飲まされたブルーマウンテンが無難だな。
苦味と酸味のバランスが良くて、珈琲が苦手な人間でも飲みやすい味だ。
香りも良く、ミルクや砂糖なしで飲める点も良い。
まあ、オレは豆ならコロンビアの方が好きだったが。
それに、ブラックよりもカフェオレの方がいろいろ楽しめたんだよな~。
今なら味覚が変わっているだろうから、もっと深く味わえるとは思うが、そこは仕方がない。
「缶やペットボトルで出さないのだな」
缶はともかく、ペットボトルという単語に違和感を覚える。
明らかにこの世界の言葉ではないからだろう。
「それでは珈琲の良さが激減しますよ」
「激減か」
「激減ですね」
缶コーヒーは殺菌目的で高温、高圧処理をする必要があるため味が変化するし、ペットボトルの方は味や匂いの劣化が早い。
入れたてはどちらも美味いらしいが、残念ながらそんなモノを飲む機会はなかった。
「この世界にコーヒー豆を持ち込んで同じ手順で焙煎や挽き方、いれ方を行っても全く同じ味にならないどころか、人間界では考えられないような状態異常を起こすらしい」
状態変化ではなく、状態異常なのか。
「そのために、缶コーヒーやペットボトル飲料とやらで飲まされる機会が多かった。ペットボトルは缶と違って臭みもないが、味が薄い」
それはモノによる気がする。
ペットボトルのコーヒー飲料も以前は少なかったようだが、近年、種類が増えてきたらしいからな。
「どうぞ。『ブルーマウンテンコーヒーに近しい味の飲み物』です」
「そこはブルーマウンテンコーヒーを名乗っても良いのではないか? 人間界にある味を再現しているのだろう?」
オレが入れたブルーマウンテンコーヒーに近しい味の飲み物を前にして情報国家の国王陛下は、どこか呆れたようにそう言った。
「ブルーマウンテンは人間界の地名なのです。それに、コーヒーチェリーの種子を使っていない以上、珈琲とは名乗らせたくありません」
オレがそう答えると、情報国家の国王陛下は少し考えて……。
「ツクモは頑固だと言われないか?」
そんな風に言った。
「頭が固いとはよく言われますね」
オレに近しい人間ほどそう言う気がする。
「名前など、言ったもの勝ちだ。この世界で同じ飲み物がない以上、同じ名を付けても誰も文句は言わない」
「私自身がそれをしたくないのです」
オレの作る物は、その大半が何かを参考にしている。
良く言えば模倣、悪く言えば盗用だ。
「確かに同じ名前を使っても、文句を言う人間はいないでしょう。周囲からも、同じ名前で良いのではとも言われます。ですが、その名の由来や、それに至るまでの先人たちの努力や労苦を知っている自分にはそれはできません」
さっきも言ったように、ブルーマウンテンは人間界の地名……、山脈名だ。
そして、そのブルーマウンテン山脈の標高800から1,200メートルという限られた地域のみであり、それ以外の場所で栽培されたコーヒー豆には、「ブルーマウンテン」という名前をつけることができないと産出国であるジャマイカが定めている。
その特定地域のみでしか出せない味と香りだから。
だが、日本に輸入されている豆のほとんどは、ブルーマウンテン山脈の800メートル未満の麓で栽培されているそうだ。
それでも、「ブルーマウンテン」と名付けて売られている。
購入者が知らないのを良いことに、堂々とブルーマウンテンの山麓で栽培されたと明記されていることも珍しくない。
質は違っても、その方が売れるということだろう。
そして、ブルーマウンテン山脈で栽培されたことは事実だから、ブランドとしては認められていないものであっても、言い逃れもできるのだ。
まあ、それを言い出したら、オレが昔飲まされた「ブルーマウンテン」も本物ではないのだろう。
「何より、本物を知っているのに、紛い物と知りつつ本物と偽れるほど、神経も太くありませんし、面の皮も厚くありません」
「本物を知る人間の方が少ないのに、か?」
「私は自分を騙すこと、偽りを口にすることが苦手なんですよね。白餡を一切使っていないと知っているのに、『練り切り餡』を名乗れないでしょう?」
和菓子を知っている国王陛下ならば、この言い方で伝わるだろう。
日本では「練り切り」と呼ばれている上生菓子は、正式名称を「練り切りあん」という。
求肥飴を加えたり、山芋を加えたりした白餡を、固めに練り上げることを「練り切り餡」と言うため、白餡が入っていなければ、「練り切り」と言えない。
少なくともオレはそう思っている。
尤も、菓子の名前がキャベツに見立てた焼き菓子のようにその形そのものが由来ならば、なんの抵抗はないのだ。
あるいは、全ての材料を均等の量で作る、四分の一が四つも問題ない。
だが、地名、人名、ちょっとした謂れがあるものなど、人間界でそういった意味があると決められている物に関しては、やはりどこかで自分を騙すことになるのだと思う。
チョコレートは人間界にしかない植物であるカカオを使っていなければ認められないし、ザッハトルテなど、考案者の名前入りだ。
サンドイッチなど、賭博好きな伯爵が好んで広めたとして有名すぎる話だろう。
そんな話を知っているためか、それを再現した料理をそう口にすると、自分自身が光るのだ。
「ああ、なるほど。確かに本物を知っていれば、自分を騙すことになるのか」
「ご理解いただけて嬉しいです」
その感覚を情報国家の国王陛下も知っているのだろう。
本物を知っているからこそ、そう名付けられない理由を。
何もないところから何かを作り上げた先人たちは勿論、尊敬している。
だが、それだけが理由ではない。
何かを参考にして作った物を、自分で別の名前を付けようとしたこともあったけれど、それすらオレ自身の中にある何かが許せないらしい。
「初めから存在しない物を作ってみたことは?」
「ありません。私は、何かを参考にしなければ料理を作り出せないようです」
どうしても、何かに似たものになってしまうのだ。
この世界の食材を使って作っても、既に存在する料理名が頭に浮かんでしまう。
肉も魚も、野菜も果物も、穀物も香辛料のどれを使っても、調理方法においてはそんなに違いがあるわけではないのだ。
基本は、五法と呼ばれる切る、煮る、焼く、蒸す、揚げる。
もっと細かく分ければ五法に加えて、炒める、茹でる、炊く、炒る、 和える、混ぜる、塗す、漬ける、浸す、干す、凍らす、固めるなど例に挙げるときりがないが、この世界も人間界も大差はない。
だから、何を作っても、どこかで見たこと、聞いたことがある料理名が頭の中に浮かんでしまうのだ。
「誰かの物を参考にして調理できること自体が稀有な才能であり、高等技術なのだが、惜しいな」
「特に、料理名に拘っているわけではありませんので気にしておりません」
さらに言えば、名付けのセンスもないし、どこかの聖女の卵のように独創的な発想力もない。
「強いて難点を挙げるならば、先ほどの陛下のように、料理を差し出した時に相手からツッコミが入ることぐらいでしょうか?」
それに対しても、適当に理由を付ければ大半は納得してくれる。
そのことに対して食い下がられることはない。
さっきの国王陛下のように「頑固」、「頭が固い」、「融通が利かない」と言われたり、思われたりするだけだ。
だから、誰も気付かない。
オレが、情報国家の特性を強く持ってしまっていることに。
そして、この国王陛下はそれに気付いた。
たかが料理の名付けにすら、その特性がはっきりと出てしまうことに。
兄貴にすら言ったことはない。
気付いているかもしれないけれど。
どうして言おうと思ったのか?
今まで通り、誤魔化すこともできたはずなのに。
だが、なんとなくだ。
それ以上の理由はない。
この誰かに似すぎた青い瞳のせいだなんて。
オレは口が裂けても言ってはいけないのだから。
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