会談の楽屋裏
「あれで良かったのですか?」
「ああ、十分だ。すまないな、無理を言って」
黒髪のウィッグを外し、金髪に戻した情報国家の国王は大神官に向かってそう言った。
「陛下がそう素直だと落ち着きませんね」
「なんだと? 俺はいつも素直だぞ?」
確かにこの国王は素直だろう。
気に入った人間の前では自分を誤魔化さなくなるのだから。
それに付き合わされる方はたまったものではないのだが。
今回の会談はもともと大神官と情報国家の国王のためのものではなかった。
情報国家の国王は予てから、あの黒髪の青年と対面で話す場を設けたがっていたのだ。
青年の兄も主人もいない状況で。
それを知っていた大神官が、その願いに応えただけであった。
尤も、それを素直に言っても、あの青年は警戒しただろう。
そのため、自分たちの話に立ち会うことを名目として、彼を呼び出した。
その結果が、先ほどの会談である。
「それで? いかがでしたか?」
「最高だったな。流石、兄上の息子だ」
情報国家の国王は上機嫌でそう言った。
「いや~、見たか? 俺の威圧に耐えるどころか、迷わず真正面から突っ込んできたぞ? しかも、あの短剣を突きつける時の速さと潔さと正確さ! アイツ、光より速く動けるんじゃないか?」
さらに興奮しつつ、そう続ける。
「身体強化を使っていたようですからね。陛下の目には捉えきれないのも無理ならぬことです」
大神官は分かりやすく棘のある言葉を放つが、国王はそれを無視して……。
「しかも、あの顔! 兄上の整った顔をもう少し人当たりを良くして、黒髪、黒い瞳にすると、あれだけ見応えのある顔になるのかと感心したぞ。前に見た時はもう少し、ガキっぽさがあったが、もうすっかり大人びて、兄上のように男振りが上がっている」
さらに饒舌に語っていく。
ここまで聞いた後、もう大神官は余計な口を挟まないことに決めた。
好きに吐き出させよう、と。
「黒い髪はサラサラで無造作に見えてもしっかり手入れされている。睫毛も長く、鼻筋も通っていて顔のバランスも良い。だが、やはり、あの意思の強さと心根の真っすぐさが表れた黒い瞳だな。前評判通り、思わず、話し過ぎてしまったほどだ」
そこで終わるかと思いきや、終わらない。
まだまだ続くらしい。
「女装にも耐えられるほど見目も良い。至近距離で見据えられた時など、思わず抱き締めたくなったぞ。あんな顔、兄上もなかなか見せてくれなかったから、あれだけでも今回の会談をした甲斐があったな」
お気付きだろうが、この国王は自分の兄が大好きすぎる人間である。
俗にブラコンと呼ばれる病にかかっているのだ。
この様子だと、そこに甥コンも追加された可能性が高い。
似たような病を患っている人間が幼馴染である大神官からすれば、全くその耐性がないとは言わないが、自分を優に超える年代の男が、瞳をキラキラさせて語る姿はやはり、慣れない。
この国王が、世界会合の後に話したというのもあり、大神官自身も、彼らの関係を知っている。
そして、そのまま怒涛のマシンガントークに付き合わされることになったのは、苦い思い出である。
「少し話しただけでも、頭の回転が良いことも窺い知れた。やはり、邪魔がない方が話しやすいな」
少し水を向けただけでも、いろいろなことを察する能力もある。
自身が持つ情報と、与えられた情報を照らし合わせて、次々に判断していく能力も大したものだった。
「しかも、この記録の仕方もどうだ? 無駄を省き、要点を掻い摘んでいる。我が国の文官たちの参考としたいほどだ。それに、兄の記録を今回の報告用に書き換えたんだろう? 大したものだな」
そう言いながら、先ほど手渡された記録を読み直す。
「まあ、字は兄上に似なかったようだが」
そう言って苦笑する。
情報国家の国王の兄は、お手本のように綺麗な字を書いた。
それだけ文字を書いてきたということだ。
だが、この報告書の文字は、急いで書いたのか、少しばかり乱れていた。
「だが、この記録の纏め方は、間違いなくシェフィルレートよりも上手い。シェフィルレートは時々、独り善がりで自己主張の激しい主観が混ざった文章を書くからな」
しかも、情報国家の王子の報告書作成には少し時間もかかるのだ。
大神官の話では、ここにある書類は半日と経たず、兄の文章を改稿し、自分の記録も書き直したものだと聞いている。
一枚や二枚ではなく、十枚を超えるのだ。
間違いなく、文章を記述する速度もあるのだろう。
「やはり、欲しいな」
情報国家の国王は獰猛な肉食獣を思わせる瞳をちらつかせる。
流石に、大神官はそれを看過できなかった。
「あの方に余計な手出しをすると、『導き』とその母君に嫌われますよ」
「そうなんだよ。それは嫌だ。やはり、『導き』とセットで何とか手に入れる方法を考えるしかないよな?」
意外にもあの青年だけに拘っているわけではないらしい。
だが、その発言からは、余計な火種が生まれるような予感しかない。
「俺としてはヤツに王位をやりたい。本来、この座には兄上がいる所だったのだ。兄の子に譲っても問題はあるまい?」
さらにとんでもない発言が飛び出す。
どこまで本気か分からないような言葉ではあるが、この国王のことだ。
その全てが本気である可能性も否定できない。
もともと、この国王は、セントポーリア国王と同じく、第二王子として、第一王子の保険でしかない存在であった。
だから、今の情報国家の王子と同じか、それ以上に好き勝手振る舞いながら過ごしていたのだ。
だが、第二王子の偉大なる兄は国を捨てた。
誰もが認め、納得し、その将来を期待されていた王位継承権第一位の人間がいなくなってしまったのだ。
そして、世界中、どこを探しても見つからなかったという。
国王が本気で探そうとしなかったことも一因だろう。
加えて、当時の王妃は心を病み部屋に閉じ籠り切りだったために、捜索の役に立たなかった。
そして、残る王族である第二王子は、尊敬していた兄がいなくなったことで茫然自失となっていたのだ。
さらに言えば、醜聞である。
第一王子は、女を追っていなくなったのだから。
情報国家の名を隠しての捜索など、上手くいくはずもなかった。
その結果、すぐに見つかると思われた兄は数カ月先まで見つからなかったのだ。
しかも、探し当てた場所も悪かった。
その当時、情報国家イースターカクタスが唯一、強く出ることができなった国、剣術国家セントポーリアの城下にいたのだ。
それを知っていたから、兄も身を隠す場所として選んだことを、今なら分かるが、その当時、第二王子であった身では、それすらも分からなかった。
外交問題に発展することを承知で兄を連れ戻すべく食い下がったが、国王の出した結論は、「国を捨てた男のことなど要らぬ」だった。
無知は罪だ。
その時、第二王子は何も知らなかったから、みすみす、その兄を死なせる結果となったのだ。
それ以来、第二王子は自分自身の手と足、耳と口と目を使ってあらゆる方向から情報収集をするようになった。
他人を使っていては駄目だ。
もっと強い地位にある人間の脅迫や、利益をちらつかされれば簡単に裏切るから。
歴史を軽んじてはいけない。
過去の記録に未来へ繋がる道が見えるから。
そうして、情報国家の国王となった第二王子は、同時に孤独な国王となった。
だが、兄のことを諦めたことはない。
兄が死んだことを知ると同時に、兄に子が二人もいたことを知る。
今度は見捨てない。
今度は捕まえる。
今度こそ、手に入れる。
孤独な王は、今も一人、誰も知らない後悔の海で漂い続けているのだから。
「グリス=ナトリア=イースターカクタス国王陛下」
その孤独に唯一気付いた人間である大神官は告げる。
「貴方のお気持ちはともかく、あの方は承諾しないでしょう。何より、兄を差し置いて、取り立てられても、困惑されるだけです」
「兄な~。俺、アイツ嫌いなんだけど」
あの兄弟を知る人間たちからすれば、信じられないような言葉を情報国家の国王が口にする。
「ちょっと可愛がってやっただけで、簡単に崩れた。脆い。芯がない」
「体調不良で身も心も弱っている時分に押しかけられ、一国の王から圧迫されたなら、大半の人間は崩れます」
「弟もか? あれだけ揺さぶっても、その芯は動かなったぞ?」
情報国家の国王はそう笑う。
一国の王から圧迫どころか、体内魔気の放出という威圧を受けても怯まなかった。
かなり、上位者からの圧力に対する精神的な耐性がある。
多少のことでは揺らがない。
自分を曲げない。
太くて頑強な芯が自身の中にあるのだ。
「まあ、体調不良で押しかけたのは悪かったと思っているが、話を聞く限り、どうも好きになれないんだよな~」
大神官の脳裏に「同族嫌悪」という言葉が浮かんだが、それを呑み込んだ。
多分、認めないだろう。
お互いに。
「坊主は、今日は大聖堂に泊まるんだよな?」
「はい。流石に夜も遅いですから、泊っていただきますよ」
「それなら、俺も帰る前に夜這いでもしてくるか」
情報国家の国王は気軽にそんなことを言った。
「夜討ちの間違いでしょう?」
大神官は苦笑する。
「恐らく、待っていらっしゃいますよ」
この国王がこのまま帰るとは思っていなかった。
それは大神官だけでなく、あの青年もそうだろう。
万全の準備とは言わないまでも、それなりに整えて待ち構えているだろう。
「それなら、両想いだな」
そんなおちゃらけたことを口にしながら、情報国家の国王は手を振る。
それを見ながら、この件に関しては、中立を保つと決めていた大神官は……。
「素敵な夜をお過ごしください」
そう言って見送るしかないのだった。
この話で125章が終わります。
次話から第126章「国の胡乱」です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




