一触即発
「戯れがすぎます、陛下」
大神官の声が部屋に響く。
「そう思うなら、助けろよ、大神官」
「貴方のその状態は、自業自得でしょう?」
普通なら、緊迫した場面である。
だが、それでも、周囲の空気は変わらない。
オレが机に載って、畏れ多くも情報国家の国王陛下に対して刃を向けているというのに。
「私はこの件に関して、どちらかの肩を持つ気はありません」
「そこは、俺の肩を持てよ、大神官。俺は一応、一国の王だぞ? 失われたら、世界の損失だとは思わないか?」
「立場上、相手が王であっても、易々と、頭を垂れるなと言い含められております」
大神官はいつものように、表情を変えず、涼やかな声のままそう答える。
どうやら、止める気はないらしい。
オレとしては、この人が止めると思っていたのだが。
「そんなわけだ、坊主。その刃物を下ろせ」
至近距離で情報国家の国王陛下の端整な顔が目に入る。
近くで見ても、あの人にそっくりだった。
いや、近くで見ているからこそ、とてもよく似ているのが分かる。
鋭く隙のない青い瞳、よく通った鼻筋に、笑みを含んだ薄い唇、少しだけ尖った顎など本当に似すぎていて、泣きたくなるほどだ。
遠くからよりも、ここまで近い距離の方が、二人の差異は見つけにくくなるとは思わなかった。
最大の違いは、その容姿ではなく纏っている雰囲気ってことなのだろう。
だが、それはそれだ。
刃を突き付けた相手から、「下ろせ」と言われて簡単に下ろす気があれば、オレはこんなことをしていない。
一国の王に刃を向けるなど、普通なら処罰の対象だ。
だが、情報国家の国王陛下は、オレに向かって威圧にしては少しばかり激しい体内魔気を叩きつけてきやがった。
だから、オレは、自分の身を護るという理由で、堂々と刃物を突き付けさせてもらったのだ。
普通の人間ならば、陛下の体内魔気が解放されるだけでも、動けなくなっただろう。
魔法耐性によっては、それだけで失神してもおかしくはない。
それだけのモノだったと思う。
だが、幸いにして、オレは普通ではなかった。
光属性魔法には耐性があるし、何より、攻撃に近いものが来ると分かっていて、何の防御も対策もしないはずがない。
それに、情報国家の国王陛下の体内魔気の変化は分かりやすかった。
そして、魔力の性質はちょっと兄貴に似ているかもしれない。
オレに光をぶつける速度は想定より早かったが、それでも、対応できないほどではなかった。
後は、ソレに耐えきって、前に向かって突き進むだけで良い。
同じ光属性でも、兄貴の攻撃や牽制に比べれば、ずっと素直で対処しやすいのも幸運だった。
まあ、兄貴の場合は光よりも風の方が強く、さらにどちらも混ざっているから対応しにくいという部分もあるのだが。
しかも、兄貴はその比率を意識的に変えるのだ。
オレもある程度ならできるけれど、兄貴の方が自然過ぎて、分かりにくい。
「もう一度言う、坊主。この刃を下ろせ。このままでは話の続きもできん」
情報国家の国王陛下が笑いながらそう言ったので、そこで刃物を下ろすことにした。
先ほどの話の続きをする気があるなら、オレは聞くしかない。
それに、引き時だ。
相手がそれを教えてくれるなら、従った方が良い。
長引けば、どうしたって刃を突き付けても、このまま突き進めないオレの方が圧倒的に不利なのだから。
「アレぐらいでは、坊主にとって威圧にもならんのか。シェフィルレートでもアレで怯むのだがな」
「以前、陛下よりお相手頂いた時に己の未熟さを知りました。そのために鍛え、光属性魔法の耐性はあの頃より上がっているためでしょう」
あの時は、情けないことに、話にならなかったからな。
光属性魔法の耐性は高い方だと思っていたから、余計に悔しかった。
まあ、国王というものが、それだけ出鱈目な存在だってことなのだろうけれど、それを改めて突き付けられた気がしたのだ。
それに、兄貴が回復して動けるようになった後は、説教の意味も込めてか、光属性魔法を使われることが増えた気がする。
そして、最近、一緒に行動することが増えた水尾さんは、光属性の魔法も使える。
水尾さんの主属性は火属性だが、光属性魔法も凶悪な威力を誇る。
魔法国家の王族は本当に規格外だ。
さらに、最近では栞も使うようになった。
尤も、目晦ましのようなちょっと変わった使い方をするのはどうかと思うが、そこも栞らしい。
「まだあれから一年と経っていないのだがな……。これが、若さか……」
「魔力成長期ですからね。もう今後、成長が見込めない陛下よりは伸び代はあるでしょう」
どこか年を感じさせるような国王陛下の言葉に対して、大神官がなかなか辛辣なことを言う。
だが、真面目な話、壮年になっても、中年になっても、高年になっても、魔力は強くなる。
ただ魔力成長期を超えると、成長率が鈍化していくだけだ。
だから、成長が見込めないわけではないが、成長するためには多大な努力が必要になる。
「お前、十分すぎるほど、坊主の肩を持っていないか?」
「気のせいですよ」
これまで、黙って事の成り行きを見ていた大神官は淡々と答える。
「まあ、いい。坊主、今の動きはなんだ?」
「光属性魔法への耐性を意識的に上げて、そのまま、突っ込んだだけです」
「いや、それは分かっている。何故、魔法で対抗しようとしなかった?」
「そんなことをすれば、陛下の体内魔気の護りで簡単に対処されるでしょう?」
王族の魔気の護りのほとんどは、凶悪なほどの凶器であることが多い。
この陛下はオレを体内魔気の放出で挑発し、それを狙ったのだと思う。
「それよりは、体内魔気の放出に耐えて、直進した方が勝率は高いと思いました」
実際、陛下は反応できなかった。
自分の防御を魔気の護りに任せることが多い王族は、体術や剣術などの物理攻撃に弱い。
それは兄貴が水尾さんとの模擬戦で証明してくれた。
尤も、少しでも当てようと思ってしまえば、確実に魔気の護りが発動するため、寸止めしなければならない。
そして、相手が反応してしまうほどの速度では、恐怖や危機意識などの防衛本能が働いて、やはり魔気の護りが発射される可能性があるので注意が必要である。
「それに、陛下は私を傷つける意識が全くなかったでしょう? 手加減されたなら、私でも簡単に対応できますよ」
少しでも害意があれば、頭よりも先に、オレの身体が反応する。
防衛本能が働き、身の危険から逃れるために、寸止めではなく、排除しようと考えてしまうだろう。
「そんな簡単な話でもないのだが……」
国王陛下は口元に右手をやり、暫く考え込む。
「まあ、俺は魔法使いだからな。お前たちのように肉体労働には向いていないんだよ」
そして、大神官とオレを交互に見ながら肩を竦めた。
大神官が肉体労働に向いていると思う人間など、そう多くはないだろう。
だが、神官は時として、身体を使うこともある。
誰の手も借りることができない聖地や聖跡の巡礼なんかは、不健康、ひ弱な身体では決してできない。
巡礼中は魔獣に襲われることもあるし、道中は全て自給自足だ。
そんな環境にあれば、嫌でも鍛えられるだろう。
だから、上神官以上になると、ほとんど法力遣いでもあり、物理攻撃も磨かれているらしい。
但し、その頃には大半が中年以上の年代となっているので、一見、分からないらしいが。
そうなると、若くして大神官の地位にある人間が、どれほどのものかなんて考えなくても分かるだろう。
実際、オレは相手にならないほどだった。
そして、魔法国家アリッサムの聖騎士団は、この国で正神官以上にならなければなれないという。
アリッサムでは魔法を、そして、この国でも、法力と身体を鍛えられていたらしい。
どの国でもいるはずの、騎士団、兵団の中でも、アリッサムの聖騎士団が際立って有名になるわけだ。
だが、神官以外の人間はほとんどその事実を知らない。
世間が知っているのは、聖堂にいる神官か、ボロボロの姿で巡礼をしている神官の姿だろう。
でも、その方が良いことなのだ。
世間が、逞しく力強い武闘派の神官たちの姿を知らないというのは、今の世がそれだけ平和と言うことなのだから。
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