世界のために殺せるか?
「世界のために、お前は『導き』を殺せないだろう?」
この世界の遍く知識を手にする王は、その威厳を持って告げる。
その言葉の意味を、オレの脳は激しく拒絶したかった。
だが、どこかで、その可能性も頭にあったのだ。
例の紅い髪に取り憑いている神の意識とやらは、栞に、いや、その祖神に執着している。
詳しいことはオレもよく分かっていないが、栞は生まれる前の魂だった頃に、その祖神から、さらに力の一部を分け与えられたらしい。
それが栞の神力の素ということは、なんとか理解した。
生まれる前のことなんか知るかよ! とも思うが。
祖神が自分の魂の素であることは知っている。
だから、その容姿に影響を受けることも。
だが、他人の感覚しかない。
祖神など、意識せずに一生を過ごす人間の方が圧倒的に多いのだから。
オレも、栞がそんなものに関わらなければ、生涯知ることもなかったかもしれない。
そして、その祖神から力を分け与えられた栞の魂が、誰に囚われることなく、聖霊界に向かえば、その神の意識とやらも、追いかけてそちらに向かう可能性が高い気はしている。
その神の執着心はそれほどまでに酷い。
その栞の祖神の影響がある魂を何度もシンショクしていることからもそれが分かる。
だから、世界を救うために、栞の魂を別の世界へ送るという判断は、そこまで的外れな意見ではないのだろう。
それは理解している。
だが、それを飲み込むのは別の話だ。
オレにそんなことはできない。
世界を天秤にかけても、オレは栞を選ぶとまで言いたい。
だが、兄貴はどうだろう?
世界の重さをオレよりも理解している兄貴なら、栞よりも、世界の方を選ばないとは言い切れない。
そうなれば、兄貴が一番の敵になる。
「なるほど。俺の言葉の意味は理解しているようだな」
情報国家の国王陛下は笑った。
「『導き』の魂を聖霊界へ……、いや、もう、聖神界の方か。そちらへ送れば、紅い髪の小僧に宿った神の欠片も、その魂を手にするために追うだろう。六千年もの間、ずっと飽きることなく執着し続けていたのだからな」
その言葉で、栞は聖霊界に行くことができない、と理解する。
「聖女」認定を受けなくても、栞は実質、聖女だ。
それならば、神に選ばれた人間は、「聖霊界」ではなく、「聖神界」に行くのが道理である。
やはり、オレは、死んでも栞と同じところにはいけないらしい。
だが、毎度、思う。
なんで、栞なんだ?
彼女はずっと平穏を望んでいるのに、何故、この世界はそんなささやかな望みすら叶えてくれないんだ?
「そして、それが知れば、各国も黙ってはいないだろう。女一人の命で世界が救われるというのなら、その世界に住む人間たちがどちらを選ぶかなんて、自明の理だろ?」
言われなくても分かり切ったことだ。
だから、大神官は言わなかった。
「聖女の卵」を狙う神の存在を、世間には公表していなかったのだ。
本来なら、「大いなる災い」と呼ばれた存在がこの世界に蘇ったのだから、それを世界に知らしめるべきである。
ある日、いきなり、世界が破壊されました……、よりは、近い将来、世界が破壊される可能性がある……、の方が、受け入れられなくても、納得はできるだろう。
神や聖女に詳しくなくても、かつて、この世界を「大いなる災い」が襲い、その人口を著しく減らしたということは、小さな子供でも知っているほど有名な話だ。
恐らく、いつか来る未来のために、口伝、絵本、物語、史書、あらゆる手段で現代にまで残そうとしたのだと思う。
聖女は「大いなる災い」を滅したわけでなく、封印しかできなかったのだから。
人の手による神の封印はいつか、解ける。
それが、たまたま現代だっただけの話だ。
そして、神官の中には神というだけで、その性質に関係なく、盲目的に従うヤツもいる。
神から選ばれた聖女を差し出すことに抵抗などあるはずがなく、最悪、神官を中心に世界が栞の命を狙うことになるだろう。
そうなると……。
「言っておくが、俺も、世界を救うためには、本当に女一人の命だけで済むのならば、安いと思っている」
当然のように、情報国家の国王陛下はそう言った。
その言葉に背筋どころか、全身が凍り付いたような気がする。
だが、不意に栞の言葉が蘇った。
―――― あの王さま二人がもし、敵に回っても同じことが言える?
あれは、セントポーリア国王陛下との初めての模擬戦直後だったか。
栞はそんなことを口にしたのだ。
セントポーリア国王陛下と情報国家の国王陛下が同時に敵となっても、オレが我を通す気かとかそんな話だったと思う。
今にして思えば、あの時の栞の判断は正しい。
オレな魔力と栞の魔力。
十分すぎるほどその差は開いた今なら、あの提案ももっと柔軟に受け入れただろう。
あの時は違う理由から、二人が敵に回る心配をしていた。
「聖女の卵」としてよりも、セントポーリア国王陛下の血を引く人間としての不安だったのだ。
だが、もしかして、彼女は想定していたのだろうか?
いつか、世界中が自分の敵になってしまう未来を。
あの頃はそこまではっきりと分かっていなかったのだと思う。
だけど、それでもどこかで漠然とした不安を抱えていたのかもしれない。
―――― 国王たちが望めば、九十九は黙ってわたしを差し出ちゃうの?
そんな不安そうな問いかけに対して、オレは、「馬鹿を言うな」と即答したのだ。
あの頃はまだ、栞のことが好きだなんて自覚すらしていなかった。
だけど、それでも、あの頃のオレは多分、誰よりも分かりやすかった。
―――― 王からの命令であっても、お前が望まない限り、オレは絶対に渡さない
ありない……と、そう答えたのだ。
彼女自身の望みではない限り、誰にも、渡すものかと。
そんな分かりやすいほどの独占欲を抱いていたのに、何故、自覚がなかったんだ!?
アホなのか?
アホだよな?
アホでしかない!!
「こう見えても、一国を背負っているからな。『導き』は将来が楽しみな女だが、それでも、世界と比べるべくもない。女一人を護るために、世界を滅びの道を進ませるわけにはいかないのは、坊主にだって分かるだろう?」
それは分かっている。
この方は為政者だ。
だから、たった一人の人間のために、国や世界を滅ぼす判断ができるはずがない。
そして、それは栞の父親であるセントポーリア国王陛下にも言えることだ。
図らずも、栞があの時、言った言葉が、現実味を帯びてしまった。
「陛下の仰ることは理解できます」
だが、納得はしない。
オレはそこまで物分かりが良くないから。
栞か、世界の二択なら、オレはやはり栞を選びたい。
世界中の人間から恨まれようと、栞がいない世界に意味はないのだ。
それは、なんて、病んだ思考なのか。
「だが、納得はできない。そんな感じだな」
「自分の主人のことなので、すぐに承知などできるはずがないでしょう?」
「坊主も、恋やら愛やらで目が眩む男だな。そんなもの、腹の足しにもならん。正常な判断ができなくなるだけで、生み出せるものなど何もない」
この国王陛下が言ったその言葉の意味も理解できる。
オレもそう思っていたし、今でも、どこかでそう思っているのだろう。
自分でも愚かだと思うのだから。
でも、腹の足しにもならないが、心の足しにはなる。
オレはシオリのことを好きになって、自分を磨いたのだ。
当時は、今のような感情とは全く違う好意だったが、それでも、彼女がいなければ、オレはオレとして育っていないのだ。
だが、それはオレの意見であり、この国王陛下に言うつもりもない。
その感情を知らない人間に、精神主義を説いたとしても無駄だ。
何より、この国王陛下はどこかでオレをガキ扱いしている。
そんな相手から、精神の充足を語られても、ガキの戯言としか受け止めてもらえないだろう。
「先達の教えとして授けるが……」
少しずつ……、情報国家の国王陛下が纏う気配が変わっていく。
その感覚は、以前、この国の地下で味わった。
情報国家の国王陛下は薄く笑いながら……。
「年少者の刹那的な陶酔で何かが変えられると思うなよ?」
その言葉と共に、突き刺さるような光をオレに向けたのだった。
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