訪れた客人
日中はどこか騒めいている大聖堂の通路も、午後9時ともなれば、一気に静けさを増す。
仄かな明かりしか灯っていない通路を、オレは外套でその身を包んだ男と足早に歩いていた。
外套の下からは、時折、揺れる黒い前髪と、強い光を宿した青い瞳が見える。
さらに口元は、輪郭を誤魔化すかのようなマスクで覆われているが、それでも整った容貌を隠しきることはできない。
会った時から、終始、男は無言である。
聖運門の部屋で待っていたオレを見た時、一瞬だけ、その目を見開いたように見えたが、人間の反応らしい反応はそれだけだった。
大神官からの使者である証を見せ、相手も、大神官からの手紙を見せることで互いを認識し、そのまま、互いに挨拶すら交わさず、目的の場所へと急いだ。
男は、疑問すら口にすることなく、ただ、黙ってオレの後を付いてくる。
だから、オレも無言を貫くだけだ。
黒い髪、青い瞳の男。
その姿にどんな意味が込められているのかは、もう、分かっているのだが、敢えて、それを無視させていただくことにした。
今は、それを語るべき時ではないから。
どちらも口を開くことなく、指定された部屋の扉の前に立つ。
そして、オレは指示されたリズムでそれを叩いた。
トン、トト、トトトトッ、トン、トン
トン、トト、トトトトッ、トン、トン
リズムよく、間違えないように。
これを3回繰り返すように指示が出ていた。
「ちょっと待て?」
流石に、男はその珍妙なリズムに耐えかねて、口を開く。
だが、オレは無視した。
今、背後から話しかけないで欲しい。
オレもいろいろ複雑なのだ。
さらに、肩を掴まないでくれると嬉しいのだが。
リズムが狂ってしまうからな。
オレはそんなにリズム感に自信がある方ではないのだ。
だが、そんな状況の中、とりあえず、言えることがある。
―――― 若宮、コレは、お前の仕業か!?
いくらなんでも、これは、大神官の趣味だとは思えない。
大神官が不思議な顔をしながら、オレにこのリズムを教えてくれたわけだよ。
聖運門からこの部屋までの案内だけならまだしも、なんで、その客人の前で、人間界の演芸バラエティ番組のテーマのリズムを叩かなければならないんだ!?
いや、それでも、引き受けてしまったオレもどうかと思うけどな!?
指示された時もそんなに疑問は持たなかったけどな!?
しかも、この反応。
この方も絶対、知ってやがるぞ?!
立場上、流石に人間界には行ってないはずなのにな!!
そして、扉はちゃんと空いた。
リズムについては若宮の趣味であっても、それを設定したのは、大神官だ。
オレが覚えやすく、偶然、誰かが叩くことがないリズムであることは間違いないのだが、それでも、これは酷いだろう。
「今の音は、お前の趣味ではないのだな?」
外套の下から覗く、不信感を抱いた青い瞳。
「外部の人間が、大聖堂の一室に妙な仕掛けを施すことを、大神官猊下はお許しになりませんよ」
若宮の悪ふざけは黙認するけどな。
なんだかんだ言っても、大神官はあの王女殿下に甘いのだ。
砂糖菓子のようにドロドロに甘いのだ。
本当に甘すぎて胸焼けするほどなのだ。
その甘やかされている当人が、何故、それに気付かないのかが謎であるほどに。
「それでは、中へお入りください」
そう言いながら、扉を開いて促す。
「お前は?」
「自分は、今からこの中で、お茶の準備をするよう、言い付けられております」
「ああ、なるほど。ヤツが淹れる茶は呑めないからな」
同感だ。
そして、それをこの方は知っているらしい。
あの大神官は、意外にも料理ができない人間である。
だが、薬の調合はできるらしい。
神官として生きていくために必要なことはできるのに、人間として生きていくために必要なことができない辺り、本当に、神官の道以外選べなかったのだろうなとは思う。
「しかし、良いのか?」
黒髪の男は笑う。
「茶汲み役とはいえ、ここに入って話を聞けば、お前も、もう、後に退けなくなるぞ?」
その青い瞳でオレを捉えるかのように。
だから、オレは笑って見せる。
「その覚悟もなく、ここにいると思いますか?」
元から後に退くつもりなどなかった。
そして、ここで退けば、オレは後悔するだろう。
既に、自分の主人が巻き込まれているのだ。
それなのに、何も分からないままでいられるはずはない。
「覚悟があるならば良い。何も知らぬ若造を世界の有事に巻き込むつもりはないからな」
そう言いながら、男は外套を脱いだ。
さらりと隠されていた黒い髪が流れ落ちる。
その姿を見て、いろいろ複雑になってしまう。
「どうした?」
「以前、お会いした時と、御髪の色が違うことに驚いております」
今日は、色が違うことは分かっていた。
本当ならば、完全に隠せただろうに、わざとオレに見せ付けていたことも。
だから、驚いたこと自体を誤魔化すつもりはない。
そして、この相手も、打診という名の先触れ時点で、オレがいることも聞かされていたはずだ。
その上で、わざわざこの髪色を選んだのだと思う。
「流石に今回は微行だ。大神官からの誘いとはいえ、密会現場を押さえられると、いろいろ面倒になる。多少、姿を変えねば俺は目立つからな。どうだ? なかなか似合うだろう?」
「ええ、よくお似合いです」
それも、腹立たしいほどに。
「もっと動揺するかと思ったが、意外にも落ち着いているな」
「はい。もう、知っていることですから」
以前は知らなかったこと。
あのままだったなら、今のこの方の姿を見て、確実に動揺どころか、無様にも混乱すらしただろう。
だが、今は違う。
それに気付かないほど、オレは幼くも、物知らずでもない。
尤も、あのタイミングで、セントポーリア城下に行ったことは良かったと心底、思っているけどな。
「そうか。もう知っていたのか……」
目の前の男は独り言のようにそう小さく呟いて……。
「まあ、その話は後だ。今は、そこで睨みを利かせている不愛想な男の相手をしなければならないからな」
空気を変えるかのようにそう言った。
その視線の先には白き神衣をまとった背の高い男が立っている。
「珍しいな。お前が、儀式でもないのに正装なんて……、いや、よく見ると、略式か」
「陛下にお会いするのに、普段着というわけにはいかないでしょう?」
大神官はそう言って微笑んだ。
だが、その笑みに温度はない。
「思ったよりも深刻な話か?」
「いいえ。ほんの世間話ですよ」
世間話という名目で、他国の国王陛下を呼び出すのはこの大神官ぐらいしかいないだろう。
いや、この国王陛下でなければ、呼び出されることもないか。
どの国の国王も基本的には自分の国から動かない。
大半は、使者や名代を立てて終わりである。
あの中心国の会合は例外のようなものだった。
だが、その中で、更なる例外が存在する。
それが、この情報国家の国王陛下だ。
この方は、即位後も各国に出没すると言われている。
世界広しとはいえ、自ら、各国に足を運ぶ国王は、この方ぐらいだろう。
それだけ、この世界の国王は、自分の国に縛られている。
「少々、六千年前について語り合いたいと思いまして」
「それを世間話というのは、お前と『聖女の卵』ぐらいだ」
あ~、栞も確かにそう言いそうな気がする。
「まあ、呼び出した以上、楽しい話となるのだろう?」
そして、情報国家の国王陛下は大神官に向けて笑いかけた。
「その話をする前に、一言、よろしいでしょうか?」
大神官はオレたちと接する時と違って、余所行きの顔を情報国家の国王陛下に向ける。
「その趣味の悪い御姿の理由をお聞かせ願えますか?」
「似合うだろ? 我ながら、男振りが上がったと自負している」
情報国家の国王陛下はそう言って、さらに笑う。
「貴方が、ようやく吹っ切れたようで、喜ばしい限りです」
それに対して、大神官は薄く笑うと、情報国家の国王陛下もそれに応じるように不敵な笑いへと切り替える。
それらが意図するものは半分ぐらいしか理解はできなかったが、明らかに嫌な空気だった。
えっと……、オレ、もう帰っても良いですか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




