気にならない事実
『貴方の一番の弱点は、シオリ様ではなく、弟の方ですね?』
そんな自分の言葉に対して……。
「は?」
初めて、この青年の素の顔を見た気がした。
どれだけ意外だったのか、見事に呆けた表情である。
「弟?」
さらに考え込まれた。
あれ?
もしかしなくても、自覚もなかったのか?
「どうだろう? 足を引っ張るようなら、迷いもなく見捨てるぐらいの情はあるつもりだけど」
『それを情と言って良いかは謎ですが……』
そして、恐ろしいことにそれを本心から口にしているのだろう。
そこに分かりやすい感情の揺らぎはなかった。
「何故、そう思ったのかを伺っても良いかい?」
その黒い瞳に好奇の光が宿る。
自分には解けない謎を見つけた時の人間の顔。
嫌なことを思い出す。
これまで、全く思い出すことのなかったのに、何故、今、思い出すのだろう?
『貴方はシオリ様には自分の全てを知られても良いと思っていますよね?』
「当然だ。自身を預けられると判断しているから、俺は彼女を主人として認めている。彼女が望むなら、俺の全てを知られたところで何も問題はない」
『重い……』
思っていたよりもずっと重い答えが返ってきた。
何故、ここまで自分の予測を外してくるのか?
心の声が読めないから、思考の流れが全く理解できない点も痛い。
「弟ほどじゃないよ」
さらに、そんな風に、にこやかに返されても反応に困るだけだ。
黒髪の女性が困ったように笑った顔をしている姿が思い浮かぶ。
だが、これは間違いなく貴女のせいだ。
貴女がこの兄弟を甘やかし、好き放題させた結果がコレなのだ。
猛省していただきたい。
……無理か。
彼女は何が原因かも分かっていない。
精霊族を惹き付ける聖女は、同時に、他の王族を惹き付ける王族でもあった。
種の本能なのか分からないが、人間は、王族と呼ばれる魔力の強い者同士は、特に、強く惹き付け合うらしい。
まあ、弱い者よりは、強い者の方が生き残る可能性が格段に上がる。
精霊族の番いも似たようなものだ。
運よく、番いと巡り合うことができれば、適齢期を迎えてない精霊族は、その身体が大人へと変化して、子供が作れる身体になる。
そして、番いが相手ならば、子供ができやすくなるらしい。
つまり、受精率が上がる。
さらに女型ならば、排卵時期も分かりやすくなるそうだ。
自分のようにどちらにもなれる両性型ならば、番いによって性別が確定するとも聞いている。
まだ巡り合っていないのでその感覚は知り得ないが。
『いやいや、比べる対象がおかしいでしょう。ルーフィスさんの感情も一般的にはかなり重すぎると思いますよ。シオリ様が困る姿まで容易に想像できてしまったではありませんか』
「そう言われても、あの主人は、困る姿も愛らしいのだから、その点に関しては何も問題はないよね?」
問題しかないだろう。
そして、そんな危険な台詞はそんな良い笑顔で言うものじゃないと思う。
『シオリ様に心底、同情したくなりました』
こんな護衛を側に置くしか選択肢がなかったあの黒髪の女性を思い……、やはり、当人の自業自得だと思うことにした。
結局は、あの女性の放置、容認が原因なのだ。
しかも、弟と違って単純な異性への恋愛感情から来たものではないから、もっと質が悪い気がする。
その点に関しては、自分の主人も似たようなものだからなんとも言えない気分だった。
ここは是非ともいろいろ頑張っていただきたい。
『話を戻しましょうか。貴方はシオリ様に全てを知っていただいても問題はないと思っている。ですが、弟の方はどうでしょうか?』
「問題ないよ」
意外にもそんな言葉が返ってきた。
「寧ろ、ヤツは何故気にならないのかが不思議で仕方がないとも思っている」
気にならない?
何の話だ?
本当にこの青年の会話の流れが掴めない。
「自分の父親や母親を含めた出自については、普通、一番、知りたいものだと思うのだけどね」
ああ、なるほど。
そう繋がるのか。
この人は、別に隠しているわけではないのだ。
ただ当人が興味を持たないだけ。
だが、確かにあの青年の立場なら、知りたいと思うのが普通だとも思う。
自分の恋しい相手は、公式的な身分こそないが、その血筋が良すぎる。
それならば、自分の血筋を全く気にしないのは不自然と言えば不自然だ。
あるいは、完全に諦めているのか。
まあ、普通、王族に釣り合う身分なんてそう多くはないが。
「兄弟揃って、魔力が強く、魔法力の量もかなりのものだと自負できる。そして、契約できる魔法の種類も多い。それ以外の観点からも、それなりの血を引いていなければ理由が付かないものがある。それでも、ヤツは全くその事実を気にしないのだ」
自分一人なら突然変異だと納得もできるだろう。
だが、同じ母親の胎から生まれた兄弟も共にとなれば、完全に血筋、遺伝的なものである。
それでも、気にしないのは何故か?
『貴方と違って自分に興味がないのでしょう』
あの青年はそこまで知識欲の塊とはいえない。
興味があることに関しては周囲も引くほどの執着を見せるのに、興味がないことに関しては、全くといって良いほど気に掛けない。
「自分が一番気になる存在だと思うのだけどね」
『その点は人それぞれですよ』
実際、自分の主人もそうだ。
それまで、人間は自分が一番大事だと思っていたのに、そんな固定観念を消し去ってくれやが……、消し去ってくれたのだ。
驚くほど、自分に興味がない。
寧ろ、自分がいなくても世の中は普通に回ると思っている。
大局的な見地に立てば、その考え方は誤りではなく、寧ろ事実でもあるのだが、自分自身が始めからそう思考するのはちょっと違うだろう。
特にまだ若いのだ。
未熟なのだ。
自分に過剰な期待をしなければ、大きな希望を持たなければ、自身を磨く気にもなれない。
そう、期待だ。
自分の主人も、あの青年も、そういった意味では自分に過剰な期待をしていない。
自分の能力が、何かを変えることができるなんて微塵も思ってもいない。
ある意味、冷静ではあるのだが、夢もないのだ。
『ヴァルナさんは自分のことよりも、シオリ様の方が気になるようですから』
その点が大きく自分の主人と異なる点だとも思う。
自分より気になる他者がいる。
自分自身よりもずっと大事な何かがある。
だから、いちいち自分のことなど気に掛けない。
そんなことよりも、一分でも一秒でも、その誰かのことを考えている。
ある意味、異常な思考だ。
皮肉な話ではあるが、そんな考え方だったから、今のあの青年があるとも言える。
自分に過剰な期待はしていないが、それでも、自身を鍛え続ける。
それが僅かでも主人のためになるのだと信じて。
だから、優れた能力を持ちつつも、自分は大したことがないと本気で言ってしまえる青年が出来上がるのだ。
だが、彼の比較対象になってきた人間たちも悪い。
2歳年上の優れた兄を持ち、王族の血を引き神子どころか聖女の位置づけにある主人がいて、魔法国家や法力国家、機械国家の王族を友人に持ち、神扉の守り手から教えを受ける。
環境に恵まれているが、ある意味、恵まれていない。
兄はともかく、それ以外と比べたら、大半の人間は大きく見劣りするのだ。
だが、そこに混ざっても見劣りしていない自分自身には気付けない。
しかも、そこから更なる努力を……、と思えてしまうのが、あの青年があの青年たるものなのだろう。
だから、その異常さが際立っていく。
『シオリ様は当然ですが、ヴァルナさんが弟でなければ、貴方の人生もいろいろな意味で大きく違ったことでしょうね』
「そうだね。ヤツがいたから、俺は兄になれた」
自分のどうとでも取れる言葉に対して、黒髪の青年はそう答える。
『常に弟から追い詰められる人生はいかがです?』
「なかなか楽しいよ」
笑っているが、弟から追い詰められる人生であることは否定しないらしい。
自分自身を常に鍛え続け、次々と能力を開花させていく弟を持てば、自分も負けられないと奮起するか、才能の違いだと諦めてしまうか、別の人間だと興味を持たないか、弟の癖に生意気だと虐げるかのどれかになることが多いだろうが、この青年は奮起するタイプらしい。
その点はあの青年は羨ましいほどに恵まれている。
自分の主人は虐げる兄を持ってしまったから。
本当にアホだよな、あの長男。
主人の知らない所で勝手に死んでくれないかといつも願っている。
あんな兄がいなければ、主人に人生は本当に大きく違っただろう。
まあ、あんな人間ほど悪運が強くてこの世に見苦しいほど執着するので、残念ながら簡単には死んでくれないことは理解している。
「それで? その弟のどこがこの俺の一番の弱点になるんだい?」
それはもう楽しそうに問いかけられる。
だから、ここが攻め時だと判断した。
まさか、その結果、再び、死を幻視するような事態になるとは……、かなり思っていたのだけど。
こんな予想ばかりが当たっても嬉しくないな~。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




