時期尚早な密会
『お疲れのところ、お呼び立てして申し訳ありません』
そんな自分の言葉に……。
「構わないよ。俺も夜中に出るのは慣れているからね」
淡い月下の光に包まれた黒髪の青年は答える。
『夜中のお誘いに慣れている……、の間違いではありませんか?』
「否定はしないよ」
やはり、多少のことでは動揺しない。
それは分かっていたことだ。
一対一の会話も、この青年の言葉を借りるなら、時期尚早なのだろう。
だが、今夜を逃せば、暫くその機会はなくなってしまう。
そう思ったから、真夜中の誘いをかけた。
相手も少なからず疲労しているはずなのだから。
舞踏会の準備、舞踏会。
そこまでなら想像の範疇だったことだろう。
だが、主人が人目を避けた逢瀬の最中にとんでもない魔法を使った上、それが原因で瀕死状態となったにも関わらず、目の前で攫われ、さらにその後、兄弟揃って過去と心を読もうとする精霊族との密会することになったのだ。
こんなに次々と厄介事が襲い掛かってきたのに、体力、精神力ともに疲弊していなければ、精霊族以上の化け物だろう。
勿論、自分の方にも疲労がないとは言わない。
あまりにも予想外の出来事が多すぎたから。
だが、それでも人間に比べれば体力の回復は早い。
精神力については、ちょっと自信がないが。
精霊族対策が万全な相手との対峙、会話があんなにも辛く苦しいものだとは思っていなかった。
確かに自分は経験不足だろう。
だからこそ、今度はその胸を借りるつもりで行く。
相手の力量を見誤って痛い思いするのは、一度だけで十分だ。
今度は間違えない。
目の前にいる相手は自分よりずっと若いのに、その経験は段違いだ。
たった二十年余りの期間で、どれだけ苛烈な人生を歩んできたのだろうか?
そして、そんな状況の中でどれだけ弟を守りつつ、自分を磨き上げてきたことだろうか?
主人に見習わせたいものである。
あの主人も人間にしては、割と悲惨な目に遭ってきたようだが、目の前のことから逃げることで身を守ってきたのだ。
それはある意味、自身を鍛え上げる場を自ら放棄してきたとも言えるだろう。
だが、普通の人間視点で見れば、彼ら兄弟は明らかに異常である。
そもそも、精霊族に読ませる心の声を取捨選択できるのが、既に普通ではないのだ。
ただの人間にそんなことができるなんて、自分は知らなかった。
少なくとも、彼らはアリッサムにいた自称精霊研究家たちよりも、ずっと精霊族という生物を理解している。
勿論、これまで出会った相手に恵まれてきたこともあるだろう。
彼の主人や弟の過去を視たが、精霊遣いや神扉の守り手、さらには精霊族そのものとも交流があったことは知っている。
だが、それらを含めた経験を何一つとして無駄にしていない点が恐ろしい。
成功も失敗も、出会いも別れも、好意も嫌悪も、それら全てを確実に自身の糧としていくところは、とてもよく似ている兄弟だ。
「それで? お誘いの理由をそろそろ聞かせてもらえるかな? 悪いけど、俺はキミたちのように心が読めるわけではないからね。声に出してもらわないと何も分からないんだ」
何もかも見透かしたような黒い瞳でそんなことを言われても説得力がない。
だが、確かに呼び出しておいて、黙ったままというわけにはいかないだろう。
『ヴァルナさんは今、何をされていますか?』
「ヤツならトルクスタン王子殿下に事情を説明した後、栞様のために掃除しているよ」
『掃除……ですか?』
トルクスタン王子殿下の事情説明することは分かる。
ほとんどの後処理を、王子に任せたのだ。
流石に何の説明もしないわけにはいかないだろう。
尤も、全てを言うつもりもないとも思っている。
あの状況を何も知らない第三者に話そうとしたところで伝わるとは思えないから。
だが、掃除?
どうも裏がある気がしてならない。
「ロットベルク家にはネズミが多く入り込んでいるようだからね。地下まで潜らないように気を付けているんだ」
『ああ、なるほど』
どうやら、これまで大人しかったヤツらも動き始めたらしい。
だが、主人の魔力の暴走を恐れて、ずっと避けていた地下にまで下りてくるようになったのなら、相当、いろいろな人間の思惑が絡んでいるのだろう。
まあ、その魔力暴走の噂も、様々な方向から流された悪意でしかない。
ロットベルク家そのものからだけでなく、一部の王族やそれに仕える貴族たち、そして、主人自身。
疎まれ、避けられていれば、周囲との関りは最低限で済む。
ある意味、貴族子息の責務の放棄ではあるが、貴族子息としての恩恵が衣食住の最低限の保障ぐらいしかないのだから、それぐらいは許されるだろう。
だが、今後はそうは言っていられなくなったようだ。
それだけ、アーキスフィーロ様の婚約者候補となった女性の価値と魅力に気付く人間が多くなったらしい。
黒い髪、黒い瞳の小柄で生命力が満ち溢れた女性。
人類よりも精霊族を強く惹き付ける彼女は、精霊族の血が混ざった人間が多いこの国の貴族たちにとっては、垂涎の的でもある。
そうなると、掃除のやり甲斐がありそうだと思う。
今日までは、あの青年に任せたとしても、明日以降は自分が頑張らなければいけなくなるだろう。
『貴方方は、シオリ様をお迎えに行くのでしょう?』
「当然だね。本当はすぐにでも迎えに行きたいところだが、まあ、すぐに還してはもらえないだろうとは思っている」
本当に心が読めない相手はやりにくい。
自分には彼女が、今、どこにいるのかも分からないのに、この青年は分かっているかのようにそう言った。
あの女性を攫った相手が「盲いた占術師」だというのなら、そう簡単に行方を掴めないはずだ。
歴史上、多くの人間が追い求めても、誰一人として、その行方を知る者はいない。
自分でも知っているほど高名な占術師。
かなり長い間、神出鬼没、奇怪千万な人間とされていたが、それも実は、精霊族だったと分かれば納得だ。
『アーキスフィーロ様と共に、貴方方の無事の御戻りをお待ちしております』
戻ってこないとは考えていない。
トルクスタン王子殿下はまだこの国に残るようなので、彼らの性格上、それを見捨てるような不義理はしないはずだ。
そして、あの王子も大概、普通ではなかったらしい。
彼らが舞踏会会場から消えて、その後始末をする時も呆れた様子ではあったようだが、慌てることはなかった。
どれだけトラブルの扱いに慣れているのか。
だが、これではどちらの立場が上か分からないとも思う。
この兄弟を重宝し、さらにその主人に対しては、自身の婚約者かと見紛うほどの気遣いを見せているのだ。
確かに、あの女性の血筋を思えば無視できないことは理解できるが、それでもカルセオラリアの王子の方が、その立場は上であるはずだ。
無意識に、その格の違いに気付いているのだろうか?
あるいは、それだけカルセオラリアが落ち目なのか。
カルセオラリアは、今、国がその体を成していないらしい。
国王の居城である城は崩れ落ち、城下も至る所に瓦礫が放置され、国民たちも纏まる様子がないそうだ。
情報を掴みにくい他大陸のことなので、それがどこまで本当かは分からないが、少なくとも、この国はそんな見解を持っていた。
だから、あの王子は必死になって、この国の王族たちの機嫌を取っていると見られているのだ。
笑ってしまう。
あの王子は、そこまでこの国を重要視していない。
そんなことは、心が読めなくても分かることだろう。
単に親族がこの国にいて、中でも可愛がっている従甥が不遇であるから気に掛けているだけだ。
実際、自分が仕えるようになって三年余りの間に、何度も、カルセオラリアに来ないかという打診もあったらしい。
頑固な主人は承諾しなかったが。
この国から離れるつもりがないあの主人の守りを固める意味でも、シオリ様を紹介してくれたことは分かる。
だが、それは明らかに人選を間違えたとしか言いようがない。
あの黒髪の女性は、王族の血が濃すぎるためか、いろいろなモノを惹き付けてしまうのだ。
だから、主人が望んでいた平穏で閉じた世界は、もう叶うことはないだろう。
一度、壊されたモノは、二度と元には戻らない。
まあ、あの王子さまは、アーキスフィーロ様を外に出したかったようなので、ある意味、その望みが叶ったとも言える。
それが計算された結果ならば、大したものだろう。
だが、今回のことで、いろいろと分かったことがある。
まずは、そこを突いてみようか。
消滅させられない程度に。
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