少年と兄
ある程度の話をして、栞を家に送り届けた後、九十九はぼんやりと考えていた。
一体、誰が彼女に封印を施したのか?
その疑問がずっと繰り返し湧いてくるのだ。
しかし、何度考えても納得できる答えは浮かばなかった。
本人であることはまずない。
確かに、彼の知る限り、当時の彼女は5歳にしては莫大な魔力を内包していた。
それでもたかが5歳の力だ。
今の彼ほど魔力があったとは思えなかった。
自惚れるわけではないが、それなりに力を増幅させてきたのだ。
だが、そうなると選択肢は限られてくる。
一番、考えられるのは、母親の可能性だった。
自分と、娘の身の安全を確保するために魔力と記憶を封印した。
でも、その考え方は何かがどこかでひっかかる。
母親の魔力も記憶している限り、そこまで高くはなかったはずだった。
当時の彼女の魔力の印象が強すぎたせいか、彼女の母親の魔力に関しては、九十九はそこまではっきりとは覚えていない。
多分、兄のほうが詳しいだろう。
封印に関しても不思議な点が多い。
確かに、隠れるだけなら記憶と魔力の封印をすれば、それでいいだろう。
だが、彼女たちは追われている可能性があったのだ。
もし、昨日のように追っ手に発見された時はどうする予定だったのか?
どんなに強大な魔力を持っていても、それを封印したままでは、反撃のしようもないではないか。
そして、あの時の2人が、その可能性を考えつかなかったとはとても思えなかった。
あの本妻が、そこまでの執念を持って追いかけてはこないと確信していない限りは。
でも、そうなると、母親以外の他に誰がいるのだ? という疑問に繋がる。
彼女と母親以外の別の魔界人。
そんな存在がまだ他にいたというのだろうか?
だが、それも九十九にとっては考えにくいことだった。
あの時は、彼女とその母親だけがあの場から逃げたはずだ。
ある程度事情が分かっている人間たちを巻き込みたくないと、あの時、彼女たちはそう言ってたはずだった。
そんな彼女たちが、人間界に来て、他の魔界人を頼るとはあまり思えない。
何より、タイミング良く、彼女たちの近くに他の魔界人がいたと考えることが難しかった。
仮にそんな魔界人がいたとして、彼女たちの魔力や記憶を封印するメリットも分からない。
普通に考えたら言葉巧みに利用した方が良いからだ。
母親はともかく、娘である栞の力は強大だった。
魔界人ならその価値がわからないはずがない。
それなのに、それを全く使わせないという選択肢を選ぶ理由は、少なくとも今の九十九には考えられなかった。
「ただいま」
九十九があれこれと悩んでいるうちに、彼の兄が帰ってきたようだ。
「お帰り」
九十九は、返答する。
兄は、いつもと違い、帰宅後に自室へと向かわず、まっすぐこの部屋にきた。
そして、部屋を一通り見回すと、一言。
「彼女は?」
そう口にした。
この場合『彼女』というのは当然、栞のことである。
「帰したよ」
「は?」
九十九の言葉に、兄の目は点と化す。
「お前……、ちゃんと説明したのだろうな?」
「したよ。でも、あいつは『魔界人』を認めた上で、今のままの生活を選んだんだ。だったら、オレたちはそれに従うしかねえだろ?」
そっけない九十九の言葉に、兄は大きな溜息を吐く。
「お前な……。どこまで事の重大さを分かっている? 既に、彼女は一度、襲われているのだ。しかも、力があることまで知られている。また襲われる可能性は大きいのだぞ」
「……んなことは、オレにだって分かってるんだ」
「分かってないだろ」
兄はわざとらしく肩を竦めて言葉を続ける。
「ならば何故、彼女もその母も保護してない?」
「仕方ねえだろ? あいつは今のままの生活を望んだんだから」
兄もある程度、それを認めたはずだった。
「そういう問題じゃない。彼女の意思はどうであれ、彼女の身は常に危険にさらされているのだ。だから、それなりの対応をしろと俺は言ったはずだが?」
「あの珠は渡した。それに、明日から学校の送り迎えはする」
「当然だ。それにしても、お前はそんな最低限のことしかできんのか?」
「オレは兄貴とは違うんでね。そこまでしか気が回らないんだよ」
九十九は、この兄に対し多少の劣等感を持っている。
だから、こんな言い方になってしまうことが多々あった。
「だろうな。お前の気がもう少し利けば、付き合っていた彼女の方から別れを切り出すなんてことはなかっただろうに」
この兄は弟に対し、痛いところを突いてくる。
「悪かったな。どうせ、オレは兄貴と違うさ。それに遅かれ早かれあいつとは別れなければいけなかったんだ。オレとしてはこの方が都合もよかったんだよ」
「ま、確かに。女性を傷つけなかっただけでもよかったのかもしれないな。どうせ、お前のことだ。相手の気持ちも考えない言葉を吐いていただろうから」
「今の兄貴ほどじゃねえよ」
「弟に気を使うほど、俺は暇を持て余していないからな」
九十九より二歳年上のこの兄はいつもこうだった。
弟には容赦をしない。
時々、本当に血が繋がってるのかと疑いたくなるときもあるが、顔のパーツ一つ一つが似てはいるので、残念ながら「兄貴他人説」は否定するしかないようだ。
もっとも確かに似ているのは認めるが、一つ一つのパーツの完成度が兄のほうが上なのが余計に気に入らないところではあった。
そして、幸い性格は全然似てないとお互いに思っていたりする。
九十九にだってこの兄が言いたいことぐらいは分かる。
でも、栞の気持ちも分からないでもないのだ。
彼もここで生活をして、10年も経っている。
その短くはない期間に、この地や、友人たちに多少の思い入れができてしまった。
魔界を覚えている自分ですらこうなのだから、魔界を覚えていない彼女が簡単に捨てられるとは思えない。
兄は連絡係として、頻繁に魔界に出入りしているが、それに反して九十九は10年もの間、一度も、魔界に帰ることはしなかった。
正直、九十九自身は魔界に居場所を感じていない。
親もいないのだ。
どこにいたって変わらない。
だからこそ、人間界に居場所を感じてしまうという事態にもなっているのだが。
だが、九十九が帰りたくない理由はもっと単純なものだった。
顔も見たくないほど会いたくない存在がそこにいる。
それだけで、彼にとって、魔界に戻りたくない理由としては十分だった。
「こんな所で言い合っても不毛な争いにしかならんな。もう少し、対策を考えようか」
「オレのやり方に文句があれば、自分でやれば良いじゃねえか」
「俺の身体が4体あればそうしている。文句はあるが、程よい代替品がいない以上、ある程度の欠陥には目をつぶるしかないだろう」
兄の言葉は本当に容赦がない。
これだけの口撃を日頃から受けていたら、多少の暴言は流せるようになるだろう。
「ああ、封印の方は解けなかったぞ」
いい加減、面倒になって、この兄の気を逸らそうと九十九は別の報告を始める。
「詠唱は?」
「呪文詠唱だけ。契約詠唱は、不意打ちをしたかったから止めといた」
「どうせ、面倒になっただけだろう」
「それは否定しない。でも、警戒して防御されないように不意打ちしたかったのも本当だ。オレは、兄貴みたいに高速詠唱はできないからな」
長々とした契約詠唱を、短縮、簡略化した上で、素早く口にできるほど、九十九は詠唱慣れしていない。
「今のお前でも無理……か。それは、なかなか興味深いな」
好奇心旺盛な兄が、不敵に笑った。
どうやら、お気に召した情報だったらしい。
「あの紅いヤツがなんか、知ってそうな雰囲気だったんだけどな」
九十九は、昨夜、栞とともに会った紅い髪の少年を思い出す。
外見が派手で、中身が気障だったいう印象が強いが、自分たちが知らない方面の情報を握っているっぽかった。
「『あの男の封印』という言葉か。これまで調べた限りでは、どちらにもそれっぽい存在は見当たらなかった。母親の兄とされる人物も、少し普通と違う魔気を持っているようだが、人間の域を出てないな」
「なんで母親の兄?」
九十九は怪訝そうな顔になる。
「あの母娘の親戚とされている人間をある程度、調べるのは当然だろう? 数代までの家系図ぐらいは作成できるぞ。ただ……、江戸以前からはあてにならないようだけどな。明治に改製されている戸籍からでは、慶應、元治、文久生まれの人間の名前ぐらいしか分からなかった」
「立派なストーカーだな」
九十九がそう言いたくなる気持ちも分かるだろう。
普通の人間は、家系図を作れてしまうほど調べることは多くない。
いや、それ以前に、普通の人間には、他人の家系図を作成できるほどの資料収集は困難なのだが。
「そう思えるぐらいにお前も動け。のんびりしている時間が惜しい」
そう言って、九十九が作った携帯食を口にしながら、兄は次の場所へ向かう準備を始めている。
「じゃあ、もう一つ報告。高田が10歳の時、親戚が亡くなったそうだ」
「ああ、大阪行きの話だな。ただ、彼女は葬式に出たぐらいで、基本的には近くの公園で遊んでいたらしい。ただ残念なことに、そこでの情報は少なすぎる。お前からももう少し聞いてくれ」
「…………クソ兄貴」
自分が掴んだ情報は、既に兄も知っていた。
兄は本人とまだ会話もしてないのに。
「彼女との会話は面識あるお前に任せる。俺が会うのは……、もう少し先だ。せいぜい、働け」
「分かってるよ、おに~さま」
兄は兄で働いている。
それなら、自分も兄ほど動くことは無理でも、それなりに頑張るしかないかと九十九は思った。
基本的に彼は前向きな人間なのだ。
だが、彼は大事なことに気付いていない。
栞との会話。
これについては、兄よりも、彼の方が間違いなく本音で会話させることができるということに。
彼らが持つ「情報を探し出す力」と「本心を引き出す力」。
兄が言う「適材適所」という言葉の本当の意味を九十九が知るのは、残念ながら、まだかなり先の話である。
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