巻き込むのは?
『貴方方の事情もお気持ちも、少しだけ理解はしました』
黒髪の精霊族は神妙な顔をしてそう言った。
『つまり、アーキスフィーロ様の婚約者候補としたのは、シオリ様を安全な場所に留めておくための、その隠れ蓑として……ということですね?』
「誤解のないように言っておくけれど、栞様自身の目的は、彼女が言っていた通り、自国の王子殿下による求婚から逃げるためだよ」
兄貴が栞を弁護する。
実際、栞自身は、そこまで先のことを考えてはないだろう。
『求婚……』
だが、黒髪の精霊族は、そこが引っかかったようだ。
そう言えば、手配書の本当の理由は言っていなかったな。
「どうも栞様は、自国の王子殿下から甚く気に入られてしまったようでね。そのために、彼女は国にいられなくなったんだよ」
本来なら、喜ばしいことなのだろう。
自国の王子から見初められるなんて、人間界でも童話や物語、映画の題材にもなるほど、女にとっては憧れの話である。
だが、あの時点で、兄貴は城下にいることすら危険だと判断して、栞を逃がすようにと指示を出したのだ。
何故なら……。
『いや、待ってください。王子殿下からの求婚? セントポーリアは、異母兄妹での婚儀など、現在、認めていないはずではないですか?』
そういった事情からだ。
栞はセントポーリア国王陛下の血を引いており、同じくセントポーリア国王陛下の息子とされた王子との婚儀など、普通に考えても正気の沙汰ではない。
そして、やはり、この精霊族は、栞が王族……、それもセントポーリア国王陛下の御子であることは知っていたらしい。
『滅茶苦茶、お家騒動に巻き込む気満々じゃないですか!?』
黒髪の精霊族は少し考えて、そう叫んだ。
お家騒動?
そこまで大袈裟なものか?
『いや、十分、立派にお家騒動でしょう? セントポーリア国王の血を引く兄が腹違いの妹を血眼になって探している。しかも、その妹の身を案じてではなく、自分の妻とするためになんて、世間が知ったら……』
黒髪の精霊族はそう言いながら身体を震わせる。
精霊族でも事態の深刻さは理解できるらしい。
「もう一つ、良いことを教えてあげよう」
『止めてください!! もう、この時点で嫌な予感しかしない!!』
だが、そんな言葉で兄貴が止まるはずがない。
「セントポーリア国王陛下の血を引く御子は、現状、実は栞様しかいないんだよ」
言いやがった!!
それも笑顔で。
『あ、貴方という人は……』
黒髪の精霊族の顔面は蒼白だ。
それも当然だろう。
先ほど、兄貴がさらりと口にしたのは他国の機密事項である。
直接的な言葉は避けたものの、セントポーリア国王陛下の御子と思われている王子が、その血を引いていないと言ったも同然だった。
「精霊族とは言え、一度、人間の理に縛られてしまうと、いろいろ大変だね?」
さらに追い討ちをかけやがった。
この精霊族は口調の割に、人間のルールに従っている。
契約相手が城に向かう時も、登城許可を得た仕事中は同行するが、今日のように身分を持たない者が立ち入れない日などはついて来ない。
それは兄貴が言うように、人間の理に縛られているということである。
「こちらも、既に主人がローダンセの事情に巻き込まれているんだ。それに対して、何の痛みも代価もなく、このまま無事でいられると思っていたのかい?」
兄貴は酷薄な笑みを浮かべながら、黒髪の精霊族に向かってさらに言葉を投げ付ける。
「アーキスフィーロ様に伝えても構わないよ。陛下より認知されていない栞様には継承権はないし、与えられても放棄するつもりでいるようだからね。だから、国のごたごたにキミの主人が巻き込まれる事態にはならない」
まあ、栞の場合、父親である陛下は認知する気はあるが、それを千歳さんが認めないだけだ。
セントポーリアの場合、母親側が違うと否定すれば、余程のことがない限り、認知が成立することはない。
いろいろな事情から他人の子供を手に入れようと、産んだ母親の意思を無視して勝手に親子関係が成立させてしまうことを防ぐためである。
まあ、血によって親子関係の確認はできてしまうのだが、それも、子の同意が得られなければ、勝手にはできない。
そのため、状況が変わらない限り、栞がセントポーリア国王陛下の御子として公表されることは現状、ありえない話となっている。
『ただ一人の御子とされている王子が、現国王の血を引いていない時点で、そんな単純な話にはならないでしょう?』
「それも、後、2,3年で解決する予定の話だ。そして、我々の事情には関わらせない。その間、アーキスフィーロ様はただ、この国で栞様を守っていれば良いだけだ。簡単なことだろう?」
兄貴が分かりやすく挑発する。
2,3年……。
本当にその期間で解決するかは分からないが、兄貴は解決するとみている。
まあ、こればかりは陛下に頑張ってもらうしかない話だ。
そして、それを支える千歳さんにも。
『あと2,3年……。貴方がそう言うなら、本当にそうなるのでしょうね』
黒髪の精霊族はそうポツリと呟いた。
『ですが、それよりも前に、アリッサムを消滅させた国のことが、情報国家を通じて、栞様に伝わってしまう……、と』
「恐らく、そうなるだろうね。アリッサム城が発見された以上、そこから情報国家たちは割り出していくだろう。かの国が、何故、今まで見つかることもなかったのかもそろそろ分かる頃じゃないかな」
その発言は、兄貴も大体、その場所に見当が付いていると言うことだろう。
地図に載っていない国。
遥か昔、地図から消えた大陸があった。
その大陸は一夜にして、海底に沈み、その跡を海獣たちが守っていると言われている。
―――― ダーミタージュ大陸。
その跡地を見ても、大海原しかないのだ。
当時の人間たちが、海に沈んだと思うのは当然だっただろう。
『その……、ボクには知らなかったのですが、シオリ様が探しているミラージュという国が、魔法国家アリッサムを消したというのは本当なのですか?』
魔法国家アリッサムがこの世界から消滅された事実は、すぐに一般公表はされなかった。
状況から見ても、それはどこかの国からの襲撃を受けた以外は考えられなかったが、それを公表することで、世界の混乱を避けるためだったと言われている。
さらに、それを行った国は今も分からないままだ。
そして、謎の集団によって奇襲攻撃を受けた結果だったことについては、知っている人間の方が少ないだろう。
オレたちは、その当事者であり、被害者でもあった水尾さんに会ったから、すぐに知ることができたが、アリッサムの生き残りたちはそのほとんどが、身を潜めることにしたらしい。
その理由は分からない。
だが、水尾さんはオレたちと行動する道を選んだ。
その道中、セントポーリアで会ったアリッサムの聖騎士団だったヤツらも、情報国家に駆け込むようなことはしなかった。
まあヤツらは襲撃時の自分たちの行動に負い目があったからだろう。
変に情報提供すれば、それを情報国家たちに暴露されることを恐れたのだと思う。
真央さんはカルセオラリアに庇護と援助を願った。
そして、それまで真央さんと行動していたアリッサムの第一王女を含めたアリッサムの集団は、やはり、情報国家に向かわず、カルセオラリアからの援助を受け取って、別の地へと向かったらしい。
そう言えば、そいつらはどこに行ったのだろうか?
あの世界会合での話を聞いた限りでは、あの時点でも情報国家に向かっていなかったようだが、千人規模の人間を受け入れてくれる国なんて、そう多くもないはずだ。
本気で、女王陛下を探したいとか、アリッサムの仇を取ることを考えれば、栞のように情報国家を使うことを考えた方が良いと思うんだがな。
そして、あの襲撃によって、ミラージュに囚われたヤツらもいた。
その中に女王陛下とその王配がいる。
水尾さんの話では、襲撃された時、国民たちが囚われていくのを見たらしいから、他にもミラージュの捕虜となったアリッサムの国民たちはいるだろう。
あれだけ自国のことを思っている人が、その全てを助けきれず、最終的には自分の身を守るだけで精いっぱいだったのは、さぞ、悔しかったことだと思っている。
そして、オレたちが知らないだけで、それ以外の地にも生き残りはいるだろう。
もしかしたら、情報国家に転がり込んだヤツもいただろうし、周辺国に助けを求めたヤツもいたかもしれない。
「それは間違いないよ。先ほど栞様と逢瀬を楽しんでいた紅い髪の青年が、その国の王子で、彼自身の口からもそのことは聞いているからね」
『それは……、あの紅い髪の男が襲撃に関わったってことですか?』
「いや、彼自身が国にいない時の話らしい。多分、彼自身はまだ人間界にいたんじゃないかな」
ああ、その可能性もあるのか。
それなら、国にいなかった時の出来事だと言う話にも信憑性が出てくる。
ヤツは、本当に人間界にいたのかもしれない。
『ああ、そうですか……。残念だなあ……』
黒髪の精霊族はふっと笑ったかと思うと……。
『もし、あの男が関わっていたなら、御礼ぐらいしたのに……』
そんなことを言ったのだった。
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