それぞれが望むこと
『だけど、分からないんですよね』
黒髪の精霊族はその髪を掻き上げながらそう言った。
『別に貴方方が、今、その顔を曝け出す必要なんてなかったでしょう? 今まで通り素知らぬ顔をしたまま、女装していれば良かっただけです。それなのに、何故、ボクにその顔を見せたのですか?』
そうだろうか?
相手の出方が分からないまま、いつ、どんなタイミングで暴露されるかも分からないリスクを背負い続けるよりは、先に素顔を見せた上で、しっかりと釘を刺しておく方が間違いないと思う。
「変に動かれるより、利益がある間は、互いに協力した方が良いだろう?」
『協力……ですか? ボクの力なんて、微力ですよ、微力』
心を読めて、魔法の結界をすり抜けて移動し、触れた相手の過去を知ることができる上、相手の望む姿を性別変更させて再現できる精霊族がそんなことを言う。
『そこまで手放しに褒められると、照れますね~』
黒髪の精霊族はオレを見て、照れたと言うよりも、困ったように眉を下げた。
「手放しで褒めたのか?」
「いや? 本当のことを考えただけだが?」
「なるほど……」
兄貴も困ったように眉を下げた。
オレは何か悪いらしい。
だがな~。
事実を羅列しただけで、何故、困る?
人間的な好みはおいておいて、相手の分析は客観的で正しくあるべきだよな?
相手を侮った油断が一番危険なのだから。
そういう意味では、オレはあの紅い髪を冷静に分析できていないのだろう。
どうしても、オレ自身の主観……、私情が紛れ込んでしまうから。
『まあ、貴方方がアーキスフィーロ様に内密で、ボクに協力させたいことがあるのは理解しました』
黒髪の精霊族は大きく息を吐いた。
『それで? 貴方方はボクに何をお望みですか?』
そして、両手を広げながらどこか不遜な態度で尋ねる。
だが、本人が聞くつもりならば、何も問題はないだろう。
「まずは髪結いだな」
「いや、化粧だろう」
『はい?』
兄貴とオレの言葉に、黒髪の精霊族の目が点になった。
何を言われたのかが分からなかったらしい。
だが、こちらとしては構わない。
用件を口にするだけだ。
「着付けも大事だな。思ったよりもボールガウンの出番が多そうだ」
「そうなると、場にあった化粧、髪結い、着付けは外せなくなるな」
『ちょっ!? 何の話ですか?!』
黒髪の精霊族は慌てた。
オレは思考を閉じた。
多分、兄貴も閉じている。
だから、読めないのだろう。
オレたちが何のために、そんなことを口にしているのかが。
「「教育の話だな」」
オレと兄貴がそう答えると……。
『嫌な予感しかしない!!』
そんな失礼な叫びを上げられた。
「まあ、順を追って話すと、キミに女性の世話の仕方を覚えて欲しいんだよ」
兄貴がクスクスと笑う。
オレはあまり笑えない。
笑ったとしても、引き攣ったものになるだろう。
『女性の世話って、この場合、シオリ様のお世話ってことですよね? 既に完璧に近い侍女である貴方方がいるのに、ボクまで覚える意味はないのではありませんか?』
黒髪の精霊族はそう言って溜息を吐く。
普通なら、そうだろう。
オレたちが本当に、侍女ならば。
「俺たちはそう長く彼女の側にいられないんだよ」
『ああ、例の薬のせいですか? 確かに若返っているだけなら期限があることは分かりますが、貴方方なら、幻影や幻術の魔法も問題なく使えるでしょう?』
オレもそう思っていた。
トルクスタン王子が作ったあの薬は、あくまで、数年若返るものだ。
もう少し、年を重ねたら、女装にも無理がでてくるだろう。
それでも、オレも兄貴も、自分の外見を誤魔化す方法は一つではない。
だから、一番、楽な手段を選んだだけで、オレはいつまでも栞の側にいられると思っていた。
だが、今日、あの紅い髪と話している栞を見て思ったのだ。
オレたちは、ずっと彼女の側にはいられない、と。
「このまま、栞様がこの国に留まるならば、それはできない」
『何故です? 人間たちが気にする性別の問題ですか? でも、それならば今更の話でしょう?』
この国では、子息の周囲には子息を。
そして、令嬢の側には令嬢を置くのが当然と言う考え方である。
世話をしたり、護衛すら同性であることが基本だ。
だから、女はあまり出歩く機会が減ってしまうのだろうけど。
だが、問題はそこではない。
そんなことは、それこそ今更の話だ。
「栞様が、アリッサムを消滅させた国を調べている。それが理由だよ」
兄貴がそう言うと、黒髪の精霊族は微かにその肩を揺らした。
この精霊族はアリッサムと……、いや、アリッサムの闇と関りがあるらしい。
だから、そんな表情をするのだろう。
怒りや憎しみ、そして苦しみが煮詰められたような顔だ。
『シオリ様は、何故、そんなことをしているのですか? 関係がないのにアリッサムの仇を討とうとでも?』
「友人の親を探しているだけだよ。少なくとも、栞様自身はそれだけのつもりだ」
そうだ。
栞は、水尾さんと真央さんの両親を探している。
それだけのつもりなのだと思う。
だが、相手はそう思わない。
栞は、「封印の聖女」と呼ばれる聖女の血を引き、彼女自身も「聖女の卵」として、その地位を確立しつつある。
聖女に寄って「魔神が眠る地」とされたミラージュは、その原因となった「聖女」という存在を酷く憎んでいるらしい。
つまり、栞にとっては最悪の国であるのだ。
その中枢にいる人間が、栞に惚れていなければ、かなり面倒なことになっていたと思わせるぐらいに。
いや、それはそれで面倒なことは分かったが、少なくとも、栞の身が危険に晒されているわけではない。
あの国は、一国を……、それも魔法国家と呼ばれるような国を消し去ってしまった国なのだ。
たった一人の女をどうにかすることなんてそう難しくはないだろう。
事実、何度も危機はあったのだ。
これまで栞が無事でいられたのは、単に、運が良かっただけというのが、最大の理由としか言いようがない。
「だけど、その相手はそう思ってくれないんだ。歴史は繰り返すものだからね。栞様が彼の国に赴くだけでも大騒ぎして排除しようとするだろう」
それも、栞にとって最悪な手段を取る可能性が高い。
かの国はオレたちと同じような倫理、道徳のない国だ。
いや、理解した上で、最大の傷を負わせようとするだろう。
あの紅い髪も言っていたではないか。
―――― 我が国民どもは悪事を悪事と認識し、道徳から外れた行いとは承知している
あの言葉が全てだ。
そして、憎い相手にこそ、それが最大限に発揮されてしまう気がする。
過去を繰り返させないためという、勝手に掲げられた大義名分のもとに。
栞が、「封印の聖女」の血を引いているのは、彼女自身のせいじゃない。
先祖がやったことで子孫を責めても、過去が戻せるわけでもないのに。
『なるほど。もし、その謎の国のことが分かっても、シオリ様をその国に関わらせたくない……いや、その国に行かせたくないと言うことですね?』
どちらの心を読んだのか分からない。
分からないが……。
「「当然だろ?」」
兄貴とオレの声が重なった。
『息、ピッタリですね』
そんなオレたちを見ながら、呆れたように黒髪の精霊族はそう言う。
「けれど、栞様のことだから、どんなに危険性は分かっていても、その国に向かう友人たちだけで行かせまいとするだろう」
こればかりは理屈ではない。
ミラージュのことが分かって、水尾さんと真央さんがその国へ向かおうとすれば、必ず、付いていこうとする。
自分にとっても危険だと分かっていても、あの二人を止めることができないならば、一緒に危険な道を行くだろう。
だけど、オレたちが、二人について行くなら?
それならば、栞が自ら引いてくれる可能性がある。
あの「音を聞く島」で攫われた水尾さんを、オレだけで助けに行かせた時のように。
栞は一見、無謀なようだが、勝算が高い方へ賭ける合理性が全くないわけでもない。
自分が付いて行くことで足手纏いになると分かっていれば、身を引く程度の判断力はある。
結果として、その間、オレたちは栞のことを守ることができなくなるが、彼女が安全な場所にいてくれるなら、その方がずっと良い。
それが、オレたち兄弟が出した結論だった。
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