安い挑発
『アーキスフィーロ様の書斎での待ち合わせかと思えば、まさか、こんな所に呼び出されるとは思ってもいませんでした』
何もない空間から、姿を現した黒髪の精霊族はそんなことを言った。
精霊族の使う移動の術はやはりその気配が視えにくい。
人間が使う移動魔法よりも、無駄がない気がする。
具体的には、人間が使う移動魔法には、どうしても空間を繋げる際に独特の気配が生じてしまう。
だが、こいつら精霊族たちの移動は、その気配が、注意していても分かりにくいのだ。
空間の繋げ方が人間とは異なるのかもしれない。
まあ、易々と侵入されているのは一時的に結界を緩めているためであり、いつものように強固な状況ではこうも上手く忍び込まれることはないと信じたい所ではあるのだが。
「ここならば、貴方の主人であるアーキスフィーロ様が絶対に来ない場所ですからね」
『それは確かに。貴方方の神経の太さをアーキスフィーロ様に分けていただきたいといつも思っています』
兄貴の言葉に、黒髪の精霊族は苦笑する。
栞の婚約者候補の男は、決して、栞の部屋に立ち入ろうとはしない。
ここに来たのは、栞の部屋を作った時だけだった。
そう、今、オレたちは部屋主である栞がいないのを良いことに、栞の私室にいたのだ。
恐らく、この屋敷の中で、一番、情報が漏れない場所だろう。
あの紅い髪ですら、栞がここに部屋を与えられたことを知らなかったのが、その証でもある。
二ヶ月前と比べて、随分、私室っぽくはなったと思う。
衣装戸棚に服が詰まるよりも、書棚に本がぎっしりと詰まっている辺りが、如何にも栞らしい。
セントポーリア城下の森でもそうだった。
いや、衣装戸棚に入れていなくても、オレたちが栞の服を持っているせいもあるのだろうけど。
そして、絵を描いたり本を読んだりするための机には、紙と筆記具以外にいくつかの置物が増えている。
部屋を見回していた黒髪の精霊族が、その中の一つに、目を止めた。
『これは、ヴィーシニャの花……ですか?』
円筒形の玻璃瓶に入った花をまじまじと見ている。
それは、ヴィーシニャをプリザーブドフラワーにして玻璃瓶の中で固めたものだった。
兄貴から渡された物らしい。
栞はそれを凄く気に入ったようで、一緒に渡されたソメイヨシノのプリザーブドフラワーと並べて飾って嬉しそうにしていたのを覚えている。
正直、栞がそんな置物を気に入るとは思わなかった。
いや、桜が好きなのは知っていたけれど、飾るほど好きだとは知らなかったのだ。
オレはそれよりも、盆栽の方が好きなんだよな~。
兄貴には爺むさい趣味って言われるけれど、その兄貴も盆栽を育てていることを知っている。
別にプリザーブドフラワーを否定しているわけではない。
綺麗だと思うし、生花よりも長持ちするから、部屋のインテリアには確かに良い。
単純に、自分は盆栽の方が好みなだけだ。
そして、さらに個人的な意見となるが、盆栽は部屋のインテリアには合わないとも思っている。
盆栽は、日の光が当たらない地下を含めて屋内ではなく、空の下で見たいのだ。
「主人があの花を気に入ったようで、部屋の飾りにと献上させていただきました」
『へえ……』
何が気に入ったのか、黒髪の精霊族はそれをじっと見ている。
『これ、ボクの主人にも同じ物を作ることは可能ですか? 勿論、御礼はします』
「作り方を教えましょう。その花は綺麗ですが、やはり、ずっとそのまま咲かせ続けることはできませんから」
人間界でも、ガラスケース、ガラスドームなどの外気に触れない状態では1~5年ぐらいの保存期間だと聞いている。
まあ、日本の場合は湿気があるためで、欧州ではもっと長いらしいが。
この世界で、あの花がどれだけ持つかは分からない。
兄貴が保存の処置を施し、さらに魔法を使っているため、ソメイヨシノの方は3年持ったようだ。
『やはり、永遠に咲き続ける花ではないのですね。いいえ、十分です。シオリ様と同じようにヴィーシニャの花で作らせてください』
黒髪の精霊族はそう言って……。
『主人は、ヴィーシニャの花がかなりお気に入りのようですから』
挑発的な笑みを浮かべた。
分かりやすい。
いや、分かるように挑発しているだけか?
この精霊族の主人は誰の目にも分かるほど、栞に惹かれている。
それを、オレたちに言いたいのだろう。
安い挑発だ。
それに、そういうのは当人がするから牽制になるのだ。
第三者がやっても意味はないと思う。
「このプリザーブドフラワーの話はもう良いでしょう。それよりも……」
兄貴が栞の机に触れながら……。
「あの場で攫われた主人が帰ってくる前に、お互いの蟠りを解消しておく方が重要だとは思いませんか?」
そう含みのある顔で微笑んだ。
心が読めなくても分かる。
絶対に、何か企んでいる、と。
『そうですね。ボクもそう思いますよ、ルーフィスさん』
黒髪の精霊族はそれに応じる。
受けて立つとばかりに。
『なるほど……。それが、貴方方の本当の姿……、というわけですね?』
黒髪の精霊族はそう言って目を細めた。
今のオレたちは年齢も性別も偽っていないし、化粧も、例の眼鏡すらしていない未加工、無修正の状態である。
「はい。その通りです」
兄貴はそう答え、オレは頷くに留めた。
『口調の方も、もっと砕けて大丈夫ですよ。ボクの方が人間でいう身分は低いですからね。貴方方は一応、カルセオラリア王子殿下の従者であり、王城貴族でもあるのでしょう?』
黒髪の精霊族は兄貴を見て、次にオレを見る。
『もっと言えば、貴方方から吐き出される言葉と、時々、意図的に聞かせようとする心の声と、うっかり漏れ出る本音の口調があまりにも違うとボクの方が混乱するんですよ。はっきり言えば、気持ちが悪いんです』
はっきり言い過ぎだろう。
だが、視覚情報や聴覚情報などに齟齬があると、確かに気持ちが悪くなる。
頭の中で合致しなくなるのだ。
オレは栞の表情と、体内魔気の気配の雰囲気が異なると、自分の気分の方が落ち着かなくなるし、兄貴が栞の姿になった時など、心の底から殴りたいのに殴れないというジレンマに陥ったことがあった。
それらと似た感じなのだろう。
「では、口調は変えさせていただくことにしよう」
兄貴は口元に手をやり、そう言った。
そうなると、オレも変えた方が良いのか。
まあ、事前に兄貴から、オレはあまり口を開くなと言われている。
だから、気分的にはいつもと変わりはないのだけど。
「さて、有能なる従僕くんは、何故、素の我々に会いたいと願ったんだい?」
『ボクが有能なのは認めますが、貴方方に言われると、裏を探りたくなるのは何故でしょうね』
今、さり気なく、オレも含まれた気がする。
オレは兄貴ほど、言葉に裏はないと思っているが?
『まあ、良いでしょう。先ほどのルーフィスさんの質問に対する答えですが、貴方方が、本性を偽っていたからですね。誰だって隠されると気になるものでしょう?』
それは確かに。
正体が分からないものは確認しておきたくなる。
「その割に、長く見逃してくれていたと思うけどね?」
『勿論、今後も見逃すつもりですよ。貴方方が、主人の害にならない限りは……ですが』
まあ、暴露するつもりがあれば、とっくにそうしていただろう。
その機会はずっとあったのだから。
だが、不幸にもこいつらには味方が少ない。
だから、オレたちのような明らかに怪しいヤツらでも、利用せざるを得ないのだ。
『ボクではシオリ様のお世話ができませんから。それ以上の理由はありません』
あ~、それもあったか。
男主人と女主人とでは、手をかけなければいけない場所が全く違うからな。
『まあ、今後も主人たちのように、お互い利用し合う関係でいきましょうか。その方が面倒ごとは少ないですから。尤も……』
黒髪の精霊族は軽い口調でそう言った後……。
『アーキスフィーロ様に害をなすようでしたら、仮令、シオリ様が相手でもボクが全力で排除しますので、そのつもりでいてくださいね?』
無邪気に見える顔をしながら、オレたちに圧を掛けてきたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




