相手に合わせただけなのに
『ようやく、素の貴方方とお話ができそうで嬉しいです』
そう笑う黒髪の精霊族相手に……。
「趣味の悪いお誘いをありがとう。だが、申し訳ないが、これ以上ここで話はできないな」
兄貴はあっさりと断りを入れた。
『何故でしょう?』
そんな問いかけに対して、兄貴は城の方を見て……。
「そろそろトルクスタン王子殿下だけであの場を押さえるのは限界のようだからね」
そう答える。
そうだった。
オレたちは人除けの結界等は準備したが、それ以外の部分はトルクスタン王子に押し付け……、いや、任せてきたのだ。
そこで引き受けてしまうのが、トルクスタン王子なのだが。
いや、見事に押し付ける話術を持つ兄貴が凄いのかもしれない。
『そもそも、ボクはなんで、あんな事態になっていたのかも分からないのですが……。何故、シオリ様が露骨に危険そうな男に連れ出されていたんです? アーキスフィーロ様と仮面舞踏会とやらに行っていただけのはずでしょう?』
「覗いていたわけじゃないんだな」
それはちょっと意外だった。
『なんで、そんな悪趣味なことをしなければならないんですか? ボクはアーキスフィーロ様のただならぬ気配を察してここに来ただけですよ』
それで、自分の主人を押さえつけた……と。
その判断は良かったと思う。
「それらの話は、戻ってからにしようか。俺たちは逃げも隠れもする予定はないから、まずは、キミの主人を連れて帰ってくれるかい?」
兄貴はそう言って、まだ倒れたままの男に目を向ける。
栞が作った薬の効果はまだ続いているようだ。
『それは構いませんが……。アーキスフィーロ様はどこまで、何を知っているのですか?』
「キミが俺たちと話したいことの邪魔にならないと思うなら起こしても良いけど、そうじゃなければ寝かせたままの方が良いかな」
『なるほど。朝まで、きっちり眠らせましょう』
どうやら、さらに眠らせるらしい。
どれだけ自分の主人に聞かせたくない話をするつもりなのか?
『そちらの後始末はお任せしますね?』
「承知した。ロットベルク家の方は任せて良いかい?」
『……何かあるのでしょうか?』
兄貴の言葉に、明らかに警戒を見せる黒髪の精霊族。
まあ、ここまでの言動や少しだけ意図的に漏らされる思考から、その反応は間違っていないだろう。
寧ろ、無警戒の方が心配になる。
「明日以降、大量のお誘いがあるだろうね。まあ、我らが主人に対する問い合わせがほとんどになるだろうけど」
『シオリ様がまた何かやらかしたということですね?』
「主人は、それぞれの先導役に合わせた円舞曲を踊っただけなんだけどね」
その「やらかした」一因である兄貴は苦笑いをする。
最初の標準的な円舞曲はともかく、続いた曲芸のような円舞曲、攻防のような円舞曲、さらには、技巧的な円舞曲。
そんな中、オレが正統派な円舞曲を踊ったことに後悔はない。
だが、一番の問題は、最後に、誰も知らない円舞曲だ。
いや、曲自体は知っているヤツもいたっぽい。
オレも知っていた。
あのシリーズは好きなヤツが多いだろう。
多分、栞も知っていたのだと思う。
そして、あの円舞曲の振り付けは……、多分、あの紅い髪が考えたのだろう。
あの円舞曲を、惚れた女との最後の曲とするために。
まあ、それをどこかの聖女自身がぶち壊してくれたわけだが。
あれだけ見事に調えられたお膳立てを卓袱台返しされたヤツの心境はどうなんだろうか?
いや、延命されたのだから、マシか?
だが、正直、アレを超える印象付けってかなり難しいよな。
ある意味、気の毒である。
国に帰った後で、後悔していなければ良いのだが……。
『国の頂点との激しいワルツだけで、十分、衆目を集めたでしょうが、それだけに留まらなかったのですね。流石、シオリ様というか、何と言おうか……』
心を読んだか、何かを察した黒髪の精霊族は肩を竦めた。
『承知しました。また書類に埋もれる日々に戻るだけです。以前よりも対応策があるだけ、幾分、マシだと自分を納得させましょう』
そして、黒髪の精霊族は、自分の主人に触れると……。
『早めのお帰りをお待ちしております。ルーフィス嬢、ヴァルナ嬢』
そう捨て台詞を残して、消えた。
しかし、最後だけ「嬢」を付けやがったな。
「さて……」
二人の姿が完全に消えると同時に、兄貴の口から冷えた声が漏れる。
「今日の無様についての申し開きを聞こうか?」
久しぶりに聞く、兄貴の低い声。
最近、高い声しか聞いていなかったために、より迫力が増している気がするのは、気のせいではないだろう。
明らかに怒っている声。
それも、かなり。
「どの件についてだ?」
「それだけ心当たりがあるのだから大したものだな」
「兄貴にもあるだろ?」
オレだけが責められるのは割に合わない。
今回は、オレだけではなく、兄貴にも反省すべき点が多々あるはずだ。
「そうだな。主人を喜ばせることに重心を置きすぎた」
「いや、あの円舞曲のことを言っているなら、アレは喜んだと言って良いのか?」
確かに楽しそうではあったが、アレは喜んだのだろうか?
「我らが主人は、身体を動かすことが好きなんだよ」
「それは知っている」
だから、じっとしていられない。
今も尚、筋トレをやめられないのもそういうことだろう。
インドアに見えるが、アウトドアでもあるのだ。
「だが、俺たちと違って、模擬戦闘を好むわけでもない。理由がなければ、身体を動かせないんだ」
「いや、オレも模擬戦闘を好んでいるわけではねえぞ?」
単に必要だからやっているだけだ。
どこかの魔法国家の人間のように戦闘を好んでいるわけではない。
「そういった意味ではこの国は窮屈に感じるだろうな」
あ、無視しやがった。
だが、兄貴が言いたいことも分かる。
この国に来てから、栞はずっと元気がない。
いや、ちゃんと笑ってはいるのだけれど、セントポーリア城下の森で見た時のような笑顔ではないのだ。
「だから、円舞曲でも、つい、大技を取り入れようとしてしまうのだろうな」
「あ~」
この国の国王が投げ動作をした時、正直、思っていた以上の高さがあって、ギョッとしてしまった。
だが、前回も、似たような高さだったのだろう。
栞は慌てることなく、宙を舞い、さらに両手を広げて一回転すると言うオレたちの前でも見たことがない大技を披露した。
何故、あんな技をしたのかと思えば、運動ができないストレスが溜まっていたのか。
そう思うと妙に納得もできる。
兄貴が気付いたのは癪だけど。
閉じ込められているストレスだけだと思っていたのだ。
だが、身体を使ってのびのびと動けないのも栞にとってはストレスだったらしい。
筋トレでは補いきれない部分があったということか。
「模擬戦闘……、栞も誘うか?」
「俺たちではその役目は荷が勝つ。手加減する模擬戦闘に何の意味がある? 却って、ストレスが溜まらないか?」
兄貴も気付いている。
栞は、俺たち相手では全力を出せないことに。
「身体を動かすって意味はあるだろ?」
少なくとも、あんな心臓に悪い円舞曲よりはマシだと思う。
「その辺は主人の意見を聞いてから……、だな。その上で、負担があれば止めれば良いか」
兄貴もそう思ったようで、少し考えて同意はしてくれたようだ。
しかし、ストレス……、か。
あの栞の不安定さは、別の要因かと思っていた。
だが、そこはオレの考え過ぎだったようだ。
だけど、少しぐらいは考えてしまうのだ。
栞は自分で決めたけれど、やはり、どこかで……、この国に来たことを後悔しているんじゃないかって。
まあ、それについては、オレの願望もあるのだろうけど。
「まあ、それはともかく……、本日の報告書は反省文込みだな。お互いに」
どうやら、自分に非があることは否定しないらしい。
そりゃ、そうだろう。
今回のアレは兄貴の失敗だ。
アレだけは言い逃れはできないし、させるつもりもない。
オレだけじゃない。
ヤツも気付いただろう。
剥き出しになった兄貴の本音。
だからこそ、確認したのだ。
まあ、幸いにして、それを利用されることはないだろう。
わざわざ眠っている獅子を目覚めさせるような愚行はしないと思っている。
尤も、この先、その獅子が目覚めてしまえば、どうなるかはオレにも分からんのだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




