忠義なんて立派なものじゃない
『まるで、「狼型魔獣の忠義」ですね』
黒髪の精霊族は皮肉気な笑みを浮かべてそう言った。
セヴロウズとは、犬型の魔獣で、首領と認めた相手の命令ならば、明らかに自分たちよりも強いと分かっている相手にすら本能を無視して飛び込んでいくと言われている魔獣だ。
そこから転じて、主人の命令に忠実な従者に対して「狼型魔獣の忠義」という言葉が生まれた。
主人のためなら、我が身を犠牲にしてでも護ろうとする忠義に篤い兵や従者たちに向けられるものだが……。
「『狼型魔獣』は、単に強い首領の命令に逆らえないだけだろ? そんなのと一緒にするな」
「おや? 忠義を褒められて喜ぶかと思っていましたが、違うのですね?」
狼型魔獣が首領の命令に従うのは、無視した行動をとれば、群れに戻った後、集団に囲まれて暴力的制裁を加えられるためだ。
より強い相手に戦いを挑んで負けるか、そこから逃げた後、仲間たちに制裁を加えられるかの二択を強いられているだけである。
そのために、狼型魔獣は外敵に殺されるよりも、群れの仲間に殺される方が多いらしい。
やはり、自分の脅威となる魔獣に向かっていくことは、本能的に難しいようだ。
そして、それが起こると言うことは、ある意味、種族維持本能を無視した行いを平気でする魔獣だと言えるだろう。
本当に頭が良い魔獣なら、その脅威から尻尾を巻いて群れごと逃げ出すのが正しいと思うのだが、変に縄張り意識があるものだから、その地から動くことがない。
上に立つ国王が無能だと、国が滅びる見本だとオレは思っている。
「狼型魔獣の習性を知った上ではそう思えないな」
確かに、栞の「命令」には強制的に従わざるを得ないことは認めよう。
だが、栞は自分の命を守るために、それを行使することはない。
寧ろ、「怪我するな」、「無理するな」を護衛に向かって何度も口にする主人だ。
一度だけ、オレに向けられた「命令」は、オレの方から使えと言った。
それでも、栞は、一度、拒絶したのだ。
だが、苦しむオレを見た後に、使った。
だから、自分の身を守ると言うより、オレの心を守るために使ってくれたのだと思っている。
あの時の栞の顔はいろいろな意味で忘れられない。
同時に、二度と思い出したくもないのだけど。
『人類も似たようなものでしょう? 上の人間たちに媚び諂う図など、まさに狼型魔獣ではありませんか』
力があるモノの前に膝を付く。
その行動は、確かに似ているかもしれない。
だが、同時に、この男は人間を犬扱いしたいということも分かる。
それだけ、人間に恨みがあるということだろう。
まあ、その辺の事情なんか、オレの知ったことではないが。
「何、言ってるんだ? 強いモノが弱いモノを制するなんて、神々だって示していることだろう?」
だから、人類や精霊族たちだって、その気まぐれに振り回されるのだ。
「それともなんだ? お前はその神たちを魔獣と同列に扱う気か?」
『それは……』
黒髪の精霊族は言葉に詰まった。
人類を見下しても、神は違うらしい。
精霊族たちは神の存在を重く見ている。
純血であろうと、混血であろうと、神の存在を身近に感じるからだ。
リヒトのように、出自が複雑であっても、一度、その存在を意識してしまうと、その気配から逃れられなくなるらしい。
それは、本人が言っていたから間違いないだろう。
その神を軽く見るのは、人類ぐらいだ。
神からの恩恵を大気魔気、体内魔気という形でその身に受けながらも、神は別世界にいて、自分たちに手を出すことはないから安全だと考えている。
気まぐれに、間接的に手を出されても、それは天災……、自然災害の一種だと思い込むのだ。
何度も、人類の歴史に介入していることは、過去に証明されているのに。
そして、その滅びの道を救済しているのも、また神の手ということも、どれだけの人類が意識していることか。
尤も、オレも、栞が「聖女の卵」とならなければ、いや、栞が「神の執心」とやらをその身に受けていなければ、調べることも、真面目に考えることもしなかったのだが。
「大体、オレが持っている感情は、忠義なんてご立派なもんじゃねえよ」
本当に忠義ならば、栞に余計な感情を抱くことはなかっただろう。
何のことはない。
オレは、シオリに救われたあの日から、私情でしか動いていなかったのだ。
そこに、誰の目から見ても分かりやすい理由を後付けしていっただけの話である。
だから、オレのこの守りたいと言う感情は、栞が上位者じゃなくても発揮されていただろう。
寧ろ、素直に守られていろって思ってしまうのはそういうことだ。
『忠義でなければ、欲ですか?』
「否定はしない」
自分勝手な願いを「欲」と言えば、その通りだ。
その上に「我」、「愛」、「私」、「利」など、何の単語が付くかの違いでしかない。
「オレは強欲だからな」
だから、手を伸ばす。
少しでも、この手に掴み取るために。
その欠片も逃さないために。
『ボクの主人もその半分で良いから、欲を抱いて欲しいものですね』
「物心ついてから飢えたことがねえんだろ」
育児放棄されていたとは聞いている。
だが、それは乳児期……それも、物心がつく前の話らしい。
自分で少しずつ考えることができるようになった後は、衣食住に苦労はしていなかっただろう。
折檻に近しい仕置きを受けていたとも聞いているが、この世界でそんな子供はたまにいる。
誰もが周囲に祝福され、親に愛されて生まれてくるわけじゃないのだ。
それはストレリチアに行けばよく分かる。
法力の才能があるということは、そういうことだから。
『まあ、あの主人は食事もできていたし、睡眠も問題はなかったようですし、あの顔ですから女に不自由もしていなかったようですからね』
食欲、睡眠欲、性欲は問題なかったと言いたいらしい。
だが、最後の言葉は必要ないだろう。
必要になるのは、成人直前からだ。
物心、関係ねえ!!
『それだけの容姿と能力を持ちながら、不自由なのはお気の毒なことですね』
「不自由だと思ったことはねえ」
少なくとも、飢えを覚えるほど渇望したのは、「発情期」の時だけだ。
『ボクで良ければ、いつでも解消しますよ?』
「要らん!!」
『理想の女性にもなれますけど?』
「間に合っている!!」
どんなに見かけを騙したところで、本物には勝てない。
『その割には、見かけに誤魔化されたようで……』
「あ?」
『理想の女性の姿になった別の女性を、一度は抱いたのでしょう?』
心臓が……、掴まれて、そのまま、無遠慮に、握り潰されたかと……思った。
『ああ、なるほど。本意ではなかったと。それで、こんなに……』
その青い瞳にナニが映っているのか?
オレだ。
だが、オレの中にあるナニかを見ている。
これは煽られている。
オレを怒らせようとしているのだろう。
『これは、お相手の女性がお気の毒ですね……』
―――― ぷちっ!!
頭の中に、そんな音が響いた直後に……。
どごんっ!!
オレの後頭部から凶悪な音が聞こえ、目の前に火花が飛び散る。
これは攻撃ではない。
何故なら、オレの魔気の護りが仕事をしていなかった。
だが……。
「いきなり、何、しやがる!? クソ兄貴!!」
オレの背に向かってそう叫ぶくらいは許して欲しい。
キレかけたオレを止めるために、こんなことをしでかすのは、兄貴ぐらいだ。
しかも、後頭部を強打しても、一時的な衝撃を受けるだけで、怪我するほどではないという絶妙な力加減は、どれだけ、オレを殴ってきたのかが分かるほどの職人芸である。
そして、それだけでまんまと正気に返ってしまうオレもどうなんだという話だが。
だが、兄貴は何も言わず、オレを睨んでいた。
まあ、言いたいことは分かる。
兄貴は最後まで隠れていたかったのだろうから。
『いらっしゃい、ルーフィスさん。お待ちしておりました』
そして、悪びれる様子もなく、そう口にする黒髪の精霊族。
『ようやく、素の貴方方とお話ができそうで嬉しいです』
さらに、そう邪気のない顔で笑ったのだった。
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