大きすぎる声
気付いた時には水の中。
まあ、海に落ちた時よりはマシだろう。
それに、あの時と違って、側に守るべき相手もいない。
自分の身だけを気にすれば良いのだから、かなり楽だと思った。
水に包まれる前に、顔の周囲に空気の確保はしたからな。
本気で殺す気がないようだから、暫くは大丈夫だろう。
『随分、怪し気な男とお知り合いなのですね』
オレを水に包み込んだヤツはそう言いいながら、身体を起こした。
思ったよりも早く、目が覚めたらしい。
まあ、精霊族の血が入ったヤツを一時間も眠らせたのだから、十分すぎるとは思うけれど。
『ボクのソレも、貴方なら十分、避けることができたでしょう? 何故、易々と包まれているのですか?』
黒い髪、青い瞳を持つ精霊族はオレを見上げる。
普通、水に包まれた相手に話しかけても意味がないだろう。
人類は水の中で発声できるほど進化していない。
つまり、心の声を出せと言うことか。
今も、銀製品を身に着けているし、最近では、思考を魔力で防御するのが癖になっている。
この状態でどれだけ伝わるか分からないが、やってみるか。
―――― 話が早いだろ?
オレがそう強く心に思うと……。
『――っ?! 今、何を!?』
黒髪の精霊族が自分の頭を押さえた。
この仕草には覚えがある。
カルセオラリア城の崩壊後、大聖堂で世話になっていた時期に、オレは長耳族のリヒトと同じ部屋で寝ていた。
リヒトがまだ今のように能力を押さえる術を知らなかった時期だ。
寝ている時は、特に、他人の心の声が流れ込んでくるので困ったらしい。
それまでは兄貴と一緒に寝ていたから問題はなかった。
周囲の雑音も、知っている人間の心の声の方が大きく、それも身近にいればかなり聞こえなくなったようだ。
だが、その兄貴が死にかけてしまったために、一緒に寝ることができなくなってしまった。
そのために、オレと寝ることになったのだ。
兄貴もオレも、リヒトにとっては、心の声が大きくとも、不快ではなかったことが理由だった。
だが、オレはそれに慣れず、しかもリヒトが言うには、寝ている時は無防備過ぎたらしく、かなり大きな音が流れ込んできたそうだ。
今にして思う。
大変、悪かった、と。
その夢のほとんどは覚えていないが、「発情期」を気にするような時期だ。
相当、申し訳ない心の声を多く聞かされていたことだろう。
そんなリヒトが夜、オレの側で耳ではなく、頭を押さえていた姿を何度か見ていた。
その姿によく似ている。
まあ、つまり、オレの声が思ったより、でかかったってことらしい。
―――― 大きすぎたか。あまり、強く思わない方が聞こえるか?
『まだ、大きいです』
―――― これ以上絞るのは無理だぞ
『そのようですね』
黒髪の精霊族は、そう言って、オレを水の塊から解放する。
「良いのか?」
『頭を揺らされるような音の塊を一語ずつ容赦なくぶつけられるよりはマシです』
オレ程度でそれなら、栞はどうなるんだろう?
『シオリ様の場合は、音の巨大な塊が一斉に上から押しつぶしにきます』
流石に規模が違った。
『水に浸けた時よりは幾分、マシですね。いや、ボクに伝えようとしていない独り言でも、その音量なのか……』
水に浸けたって、オレは汚れの酷い洗濯物か?
だが、必要ないなら、いつものように思考を魔力で覆うだけだ。
頭に、視えない網を被せるようなイメージを思い浮かべる。
「これで良いか?」
『それはそれで、静かすぎて落ち着きませんね』
「どうしろと?」
オレは兄貴ほど器用ではない。
聞かせたいことだけを聞かせるなんてことはできねえぞ?
『いえ、そのままで。ボクは素の貴方を知りたいだけですから』
そして、黒髪の精霊族はにっこりと笑って……。
『ねえ? ヴァルナさん?』
そう言った。
「なんだ?」
『…………』
オレが反応すると、黒髪の精霊族は分かりやすく不満そうな顔をする。
なんだって言うんだ?
『いえ、もっと誤魔化そうとするかと思っていたのですが、思いの外、普通に答えられて戸惑っています』
「心を読める精霊族相手に誤魔化すことに何の意味があるんだ?」
変に誤魔化す方がアホだろ?
相手は心を読んでいるのだから。
「それに先ほど、オレを水で包んだだろ? それで、ある程度の事情も理解したんじゃないのか?」
この精霊族は、触れることで過去の記録を読み解くことができると聞いている。
『過去の事情は分かっても、現状は分かりませんし、貴方の本心も掴めないままじゃないですか』
「本心を知りたいなら、心の声は漏れさせた方が良いんじゃないか?」
全てではないが、多少の本音は漏れるだろう。
オレがそう言うと、黒髪の精霊族は呆れたような顔をこちらに向ける。
『自分から、心を読んで良いって許可するのは、シオリ様ぐらいかと思っていましたが、違うんですね。これは文化の違い? いや、人間性の違いかな』
言外に非常識扱いされたことは分かった。
『普通の人間は、自分の奥底を読まれることを嫌うのですよ、ヴァルナさん』
「自分の奥底まで読めないことは知っているからな」
精霊族が読むことができる心の声は、表面上のものだけだ。
ふと考えた声ぐらいしか流れ込んでこないし、それも全てを読めるわけではない。
何より、もっと深い部分、心の奥底に眠る無意識の欲望を含めた願望、過去に植え付けられた精神的な傷などの本人すら意識できない根本的な部分に眠る行動原理の元となるものは全く読めないそうだ。
だが、兄貴のような腹黒、悪巧みが標準装備のタイプは、表面上だけでも読まれることを嫌うだろう。
だから、言葉の問題や栞から願いがあったとはいえ、リヒトを受け入れたのは、意外だったのだ。
そして、オレは気にしないタイプだ。
そんなに難しいことを考えられるようにできていないからな!!
『ああ、貴方たちは精霊族の知人がいたんでしたね』
「長耳族と人間の混血だったらしいけどな」
それでも性質的には長耳族と言い切って間違いないだろう。
心の声が読めるだけでなく。オレたちよりもずっと長く生きているし、「適齢期」の症状も現れた。
今や、番いすらいる。
同胞たちから一方的に虐げられていたアイツが、少しでも幸せになれたら良いと心から思うばかりだ。
「努力家で、前向きで良い男だよ」
大神官に勧誘されて、神官の道に入った。
この前、会った時は、兄貴みたいな笑いを浮かべるほどの余裕はあったようだから、頑張っているのだろう。
栞に想いを寄せながらも、本能との間に苦しんでいたことをオレは知っている。
それでも、自分でその道を選んだことも。
『混血ならば、ボクもそうですね。まあ、どれだけ混ぜられたかは知りませんが、迷惑なことです』
「混ぜられた?」
混ざったではなく?
『さっきの妙な気配を持つ嫌な男が言っていたでしょう? アリッサムの「実験動物」と』
「言っていたけど、オレはその『トムラーム』が何を指しているのか分からん」
嫌な雰囲気を持つ単語だとは思っていた。
だが、知らんものは知らん。
『は? 貴方は、アリッサムの関係者とも行動を共にしていたでしょう? それで知らないなんて……』
アリッサムの関係者とは、あの王族二人のことだろう。
だが、第二王女はともかく、第三王女は全く知らないと思っている。
それならば、精霊族に強い憧れを抱くはずがないだろう。
オレはおかげで酷い目に遭っ……ってない。
断じて、オレは遭っていない!!
『ヴァルナさんは、男性の容姿でもイケる人なんですね。なかなかにお熱い。しかし、これなら、今のボクの姿では受け入れられないのは理解できますね』
「イケねえ!!」
『でも、この漢らしさを絵に描いたような、鍛えすぎてはち切れんばかりの筋肉を身に着けた紅い髪のジュウドウカっぽい姿で女性はないでしょう?』
どうやら、オレの心の声だけでなく、何かの映像を見たらしい。
先ほどの水の中で情報を抜き出されたってことだろう。
だが、何故、そこをピンポイントで抜き出しているのか?
『コレが好みだと言うのなら、なかなか偏っていますね?』
「よく見ろ。オレは逃げ出せないように、そのぶっとい腕に拘束されていた。その上で、人質と引き替えに了承せざるを得ない状況に追い込まれただけだ」
あの時は、栞とオレのどちらかがヤツと口付けをしなければならない状況だった。
しかも、栞が了承しようとしたものだから、ああ、その先は封印したい。
いや、封印していた。
だが、精霊族と関わるたびに、思い出しかけるのは何故だろう?
『人質……? ああ、シオリ様の身柄と引き替えなら、迷いもなく、その身を差し出せる人でしたね』
「いや、あの当時はかなり迷ったぞ?」
口付けだぞ?
しかも、その相手は、性別不明な精霊族でも、見た目は角刈りマッチョな男だった。
さらに文句を言いたい部分は、頬とか額って言っていたのに、あの野郎はバッチリ口にしやがったところだ!!
『シオリ様が既に貴方のように拘束されていたら、その当時でも迷わなかったと思いますよ』
それはそうだろう。
当時は今のように精霊族への対策なんて全く持ち合わせていなかったのだ。
明らかに勝てないと分かっている相手に、目の前で栞を良いように扱われるよりは、あの時の自分でも、我が身を投げ出していたろうとは今でも思っている。
それは恋愛的な話ではなく、忠義……、いや、友情的なものだろう。
『まるで、「狼型魔獣の忠義」ですね』
そんなオレを見て、黒髪の精霊族は皮肉気にそう言ったのだった。
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