伝えてほしい言葉
「あの女が戻った後に言っておけ。『俺の命を繋いだことを後悔するなよ』と」
予想以上に、長く会話していたのだが、どうやら、紅い髪はそろそろ帰る気になったらしい。
「承知した。『紅い髪が礼を言っていた』と、言っておけば良いんだな?」
「せめて、一単語ぐらい伝言の原文に寄せていただけませんかね?」
眉間に深い皺を刻みながら、そんなことを言われても、この男を助けたことを、あの栞が後悔するとは思えなかった。
寧ろ、あの時、助けようとしなかった方が後悔していただろう。
誰だって、「できるのに、やらなかった」と「やったのに、できなかった」では、後悔の度合いが違うから。
「悪いな。オレにはそう聞こえたんだよ」
オレが笑いながらそう言うと、紅い髪は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「まあ、どちらも伝えてやるから安心しろ」
「いや、俺の伝言だけにしろ。余計なことは一切、言うな」
「感謝してんだろ? あの時は、既に意識を飛ばしていたから、聞こえてなかったと思うぞ?」
あの時、こいつは確かに、栞に礼を言っていたのだ。
その後、余計なことをしやがろうとしたが。
ふっ飛ばされたのは自業自得だろう。
「好きにしろ」
「おお、勝手にする」
少なくとも、承諾は得た。
だから、ちゃんとどちらも伝えてやろうとは思う。
そして、紅い髪はオレに背を向けようとして、その動きを止めて振り返る。
「ああ、そう言えば、あの時、あんたは屋根の上にいたよな?」
「屋根? ああ、ここに来る前は、ずっと歩廊の屋根の上にいたな」
あの時というのは、栞が意識を飛ばした時のことだろう。
まあ、オレはほとんど動いていなかったから、どの時でも大差はないのだが。
あまり近付かずに、身を隠しやすい場所で、こいつと栞がいた露台がよく見える位置となれば、オレのいた屋根と、周囲の木ぐらいだった。
栞の婚約者候補の男のいた場所は、ちょっと近かったために、少しでも周囲を気にする人間からは見つかりそうな場所だったと思う。
すぐ隣の露台への扉の陰だ。
普段から、隠れ慣れていないことがよく分かる選択だった。
人払いの結界こそ張っていたようだが、監視対象から一度でも姿が見えてしまえば意味がないだろう。
あまり周囲を気にしない栞が気付いていたかは分からないが、この紅い髪は間違いなく気付いていたと思っている。
そして、そんな視線に気付いた上で、堂々と栞に口付けているのだから、こいつの面の皮はかなり分厚いようだ。
「……だよな」
だが、どことなく歯切れが悪い言葉。
さらに考え込んでいる。
一体、なんだって言うんだ?
オレが屋根にいたら、問題あるのか?
どうせ、見えていなくても近くにいたことは知っていただろう?
「いや、先に見たのは屋根だったが、反応が先に変わったのは木の方だったから少し迷っただけだ」
「木なら兄貴の方だ」
オレも木に向かったが、兄貴が先に陣取っていた。
様子を窺うにも、二人で似たような場所にいるよりはと思って、オレは別角度から見るために屋根の方に行ったのだ。
移動魔法を使えば、位置取りなど一瞬でできる。
だから、あの時のオレと兄貴の違いは、状況判断の早さだったのだろう。
つまり、オレはまだまだだということだ。
「ああ、それは確信していた」
「あ?」
確信?
何のことだ?
「いや、思ったより、あんたの方が、余裕はあるって話だ」
「余裕? そんなもんねえよ」
そんなものがあるなら、是非とも分けていただきたいと思っているぐらいだ。
今回、そんなオレに余裕があるように見えたのなら、それは、栞のためだという一点のみだろう。
この紅い髪との会話は、栞が、誰も邪魔しないことを望んだ。
こいつからのキスされたことについては、栞は驚いたようだったが、嫌がっていなかったことは分かっている。
本気で嫌がっていたのならば、栞の魔気の護りが出ていただろうし、意識的にそれを押さえていたとしても、その直後に嫌悪感を露わにするなどの反応ぐらいはあったはずだ。
そして、あの命懸けの封印については、栞がこの男を助けたいと心から願った結果だった。
それらの前提があったから、オレは我慢できたのだ。
いや、我慢するしかなかったのだ。
そんな男に余裕があるなんて言えるわけがない。
「そうか? 俺にはあんたが昔に比べて、随分、余裕ができたように見えるぞ?」
そうは言われても、やはり、オレには分からなかった。
まあ、わざわざ昔と言っているのだ。
最近のことではないのだろう。
どれぐらい昔と比べられているか知らんが、少なくとも人間界にいた頃と比べたらマシになっているのは当然だ。
「それについての心当たりはないが、褒め言葉として受け取っておく」
その言葉に嘘はないようだから。
「あんたも結構、自己評価、低いよな」
紅い髪は呆れたようにそう言うが……。
「自分を高く見積もって、誰かに足を掬われるよりはマシだ」
少なくとも、オレはそう思っている。
過大評価をして失敗するよりは、過小評価をしたままの方が良い。
油断は大敵だからな。
「いずれにしても、慣れ合うのはここまでだ」
紅い髪の男は、そう言いながらオレに向き直る。
「俺は忠告も、警告も再三してきたつもりだ。それを受け入れるか、無視するかはお前たちに任せるが、出した結論には責任を持て」
そして、命令し慣れた声でそう言った。
どうやら、これも主人に伝えろということらしい。
当人がいなくなったから、それは仕方ないだろう。
オレも背筋を伸ばす。
幸い、今は正装だ。
少しぐらいなら良いだろう。
「殿下の度重なる心遣いに感謝しましょう」
そう言いながら、膝をついて顔を伏せる。
だから、相手がどんな顔をしているかは分からない。
「なれど、この魂は主人に捧げしもの。我が心は主人の意に従うまででございます」
さらに、頭を下げたまま、そう続ける。
「お前の献身は分かった。だが、その選択を後悔するなよ」
「殿下こそ、己の心に添わない言動を後悔なさらぬよう、心より願います」
暫し、沈黙。
そして……。
「「くっ」」
オレたちはほぼ同時に……。
「「はははっ!!」」
笑い出した。
タイミングを計ったわけでもない。
本当に同時だっただけだ。
「意外とノるじゃねえか」
紅い髪が笑う。
「はっ!! お前がガラでもねえことをするからだ」
王子然とした芝居掛かった命令に、臣下然とした芝居で辞退しただけだ。
「アレが止まらんことは承知だ。だが、やはり来ないことを祈っている」
「尽力はする。だが、期待はするな」
厄介事から離れた地で平和に暮らして欲しいと思う。
だが、それは無理だろう。
オレたちの想い人が「高田栞」であり続ける限り。
「頼りねえ男だな」
「お前も似たようなモンだろ?」
お互いを頼り合うしかない現状を情けないと思う。
だが、仕方ない。
そんな女に惚れたのだから。
「アレを頼む」
「頼む相手が違うんじゃねえか? だが、承知した」
オレは護衛でしかない。
だが、頼まれた以上、拒否する理由もなかった。
「まあ、面倒ごとを引き受けてやったんだから、簡単に死ぬなよ、ライト」
「――――っ!?」
オレの言葉が相当、意外だったのだろう。
驚愕の顔を見せた。
「導きが泣くからな」
そう付け加えると、何故か、ホッとした顔をされた。
いや、本当になんでだ?
「ああ、暫くは足掻いてやる。だから、お前も安易にその手を離すなよ、ツクモ」
「あ?」
今?
あ?
今、こいつ、オレの名を?
「その顔が見れただけで満足だ。じゃあ、またな」
ニヤッと笑って、紅い髪はその気配を消した。
「ああ、またな」
誰もいなくなった空間を見つつ、オレは一人呟く。
「本当に、死ぬなよ」
あの「ゆめの郷」で、来島がいなくなった時、栞は狂ったように泣き喚いた。
日頃、声を押し殺して泣く女が、吠えるように泣いたのだ。
慟哭……。
まさに、その言葉がピッタリだった。
あんな姿はそう何度も見たいものではない。
それも、他の男のことで泣く姿なんて……。
「さて……」
そう言った時だった。
どぷんっ!!
オレは、大量の水に包まれたのだった。
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